九章 二つの戦い 109 開戦
・・・五・・・
戦いを告げるラッパが鳴り響いた。
まず左に布陣したソイジャルの陣から響き始めた。遅れず右のドニエリの陣からも鳴り響く。それが終わらないうちにまたソイジャルの陣から鳴らされる。そしてまたドニエリの陣に移って・・・数回同じことが繰り返された。
ラッパの音が耳慣れた頃怒号とも喚声ともとれる声が湧上り、二つの陣を行き来し始めた。二千人の兵士の叫び声は次第に大きくなり、ラッパの音もかき消すほどの地鳴りとなってザイラル軍の兵士に届いた。参戦するわけではないが、自然に兵士達の表情は引き締まり、目が異様に光り始めた。
レヨイドは待機する自軍の兵士達の興奮を見て、ドニエリ、ソイジャル両軍の旺盛な戦意の高揚を感じとった。二人の部隊長が期待した通りに、兵士達の眠っていた闘争心が目覚めたのだ。彼は圧倒的に不利な立場になったコボス軍に同情した。
・・・殺気だった二千人の正規兵が駆け抜けるだけで、戦いは終わるに違いない。コボス軍に生き残れる者は誰もいないだろう。無益な戦いだ・・・
魂を揺さぶる声が響き渡る。その場の雰囲気はもう戦いの真っ直中であった。それでも激突までまだ時間があると感じたレヨイドは、横にいるザイラルに解いて欲しい疑問をぶつけた。
「連合軍の士気が旺盛なのに、突撃命令が出ません。何故なのです?」
ザイラルは視線を前方に向けたまま、間を置かず問いに答えた。
「相手の強弱に係らず開戦前は誰もが恐怖心を抱く。死にたくないからな・・・。突撃ラッパだけで無意識に突っ込めるのは、将校が多数を占める騎馬隊だけだ。歩兵は戦意を高めてからではないと戦いには入れない。お前ならどうする?」
レヨイドはザイラルの逆問いの答えを出すべく頭を回転させた。時折こんな風にザイラルから試されるが、満足すべき答えを返さないと目をかけてくれない。レヨイドは答えを見つけた。
「彼等の気持ちの高ぶりを待っていては勝機を失います。勝つと判断した時は、無理にでも兵士達を戦いに追い込むしかないと思います」
「そうだ、いい答えだ。先程話したように兵士が全て勇敢だとは限らない。相手が強いと感じるとせっかく高めた戦意がくじけてしまう。口には出さないが、ほとんどの者が自分だけは生き残りたいと思っている。そんな奴等を戦いの場に押し出してやらなければならない。それがうまくできる者が優れた将校なのだ」
「・・・私などまだまだです・・・恥かしい限りです」
「そう悪くはない。その場の雰囲気を冷静に読めばいいのだ。兵士を押し出すには自我と恐怖をなくしてやればいい。ラッパの音、自身の叫び声は気持ちをより高揚させ、戦う集団に変えていく。人は大声を出すと気力が湧く。つまり兵士を一種の集団催眠にかけてやればいいわけだ。暗示は強ければ強いほどいい」
「すると・・・間もなく攻撃が始まるのですね」
「十分過ぎるほど機は熟した。問題はこの後だ。相手が相手だけに最後の決断を躊躇っている。・・・見ろ・・・」
ザイラルが指差したのはコボスの小さな陣だった。
極端に不利な人数、位置にありながら、丘の上の喧騒に無関心かの如く静かに佇んでいる。低地のたった百人余りから発せられる妖気がその場だけでは収まりきれず、斜面を上っているようだ。
「ぞくぞくしますね・・・寒気を感じます・・・」
「わしも数え切れないくらい参戦したが、こんな感覚に陥ったことはない」
二人が見つめる中ひときわ高いラッパの音が響き、左右の陣から同時に兵士達が前に出て来た。ようやく開戦する決心をつけたらしい。
一番遠くから相手を攻める正攻法がとられた。
最初は弓隊の攻撃だ。彼等は斜面を数十レンド(数十メートル)下ってコボス軍を射程内に入れると、空に向けて弓を構え指揮者の命令のもと一斉に放った。
相手から射返されないだけに落ち着いて十分に弓を引き絞り、狙いを定めて放つことができた。弓隊だけでも百人のコボス軍より遥かに多く、手持ちの弓がなくなるまで休まずに放ち続けた。
最大の標的となったコボスが弓隊の姿を見て初めて動いた。片膝を地面につけると、手にした長い盾を構えたのだ。百人の部下もコボスの動きに合わせて一糸乱れぬ動きを見せた。
瞬時に背丈以上の大きな壁が出現する。矢は構えた盾に当ったが、湾曲した表面に遮られ左右に流れて地面に落ちた。
矢の攻撃が途切れるとコボスと部下は同時に立ち上がり、弓の攻撃を受けなかったように元の姿勢に戻った。
矢の成果を確かめることもなく、弓隊が後方に退く。矢を放ち、戦いの開始を告げるのも役割の一つだった。
丘の上で見ていたソイジャルとドニエリは、誰一人倒れていない状況に言葉もなかったが、ここは攻め続けるしかないと決断した。攻めが途切れて兵士達の気持ちが緩むのを防がなくてはならない。
「よし、今度は力攻めだ。槍と剣の間合いで奴等と交戦する。こちらには八百人以上の歩兵がいる。敵一人に八人だ・・・負けるわけがない」
戦いは一度始まると決着が付くまで流れは止まらない。
コボスの部下に恐怖心を与えるべく、左右の陣から出て来た兵士達が合流しながら横に百人並び、敵から見えるように縦八段になり、軍旗を押し立てて前進する。
「もうすぐ激突です。それにしても見事な攻めようです」
「さすがに正規軍だな。堂々としたものだ」
「あっ!」
レヨイドがコボス軍に生じた動きを見て声をあげた。
分散していたコボス軍が、隊形を維持したまま後退を始めたのだ。その姿は、あたかも連合軍の圧力に屈したように見えた。戦場ではやってはならないと教えられた激突前の後退をコボス軍は演じたのだ。この動きを見れば攻手の戦意が益々高揚するに違いない。
コボス軍の後退は止まらず、背中を向けたままじりじりとザイラル軍が待機する丘に近づいて来た。盾を攻撃軍に向けているため背面は全くの無防備状態で、前面以上に強力な軍が後ろに控えているのを忘れたかのようだ。
攻める連合軍はここで初めて剣を抜き、槍を構えた。最後の突撃命令を待っているのだ。だが・・・その合図は丘の上からはなかなか出なかった。圧倒的に有利な場面で時間が止まってしまった。
「どうしたのでしょう・・・何を躊躇っているのですか?」
「奴等も根っからの軍人だ。決断を鈍らせるものを感じているな」
「突撃までまだまだ時間がかかりますね。もし我々がここでコボス軍に攻撃をかけたら・・例えば矢を一斉に放てば、盾は前面に向けられていて、防ぎようがありません。全滅させられます」
「・・・・」
「どうされますか?」
「動くな。わしらが危機的な状況であればその場に即応した動きが要るが、ここでは傍観者の立場に徹するのだ。戦いが始まる前にそう決めた。明らかな結果が出るまではむやみに作戦を変えるものではない」




