八章 ライクレス 104 九死に一生
・・・十二・・・
コボス軍を追いかけるようにして、慌ただしくザイラル軍も姿を消した。誰一人いなくなった砦では櫓の残骸も燃え尽き、地面に吸い込まれてすっかり小さくなった。
櫓から少し離れた場所に、村人達がコルゲリオンの攻撃から身を護った土壁があった。分厚い壁には熱石が当たった大きな窪みが何カ所もあったが、突き抜けるほどではなかった。土が熱石の衝撃を緩めていた。
その土壁に亀裂が走った。その亀裂は徐々に伸び始め、一本の線で結ばれると扉の大きさになった。その扉が小さく開き、中から覗いた顔が周囲を用心深く探った後、大きく開かれて人影が出て来た。カラーイだった。
「もう大丈夫だ。奴等の姿は見えない。出て来るがいい」
その声に促されて人々が次々に現れた。出てきた者達は、皆新鮮な空気を胸一杯に吸い込むために大きく深呼吸をした。放心した顔で地面に座り込む者も多くいた。
「それにしても運がよかったな。櫓の下に隠れ場所があるとは思わなかった」
最初に出てきたカラーイはローイに話しかけた。二人とも顔は煤けてはいるが火傷一つなく、元気な顔をしていた。それは他の者も同じで、櫓が炎に包まれた早い時期に逃げられたのを物語っていた。
「櫓に火がつけられ、もう駄目かと思った。煙で息苦しくなり床に突っ伏した時、漂っている煙が勢いよく吹き上がる場所があった。霊感がしてその床を剥がすと、穴が開いていた」
「お前が急に立ち上がって床を剥がし始めた時は、気が触れたのかと思ったぞ。床をはがしたら穴があり、斜めに下りる石段が見えた。今思えば、石の扉が開かれていたのは奇跡だ。閉じられていたら隠れ場所があるのにも気づかず、焼け死んでいた。黴臭い部屋だったが、我慢できないものではなかった」
「早く見つけていれば、もっと多くの者が助かっていた・・・」
「それも運命だ。仮に先に穴を見つけて逃げたとしても、櫓内に斬り込まれていたら、消えたわしらを捜して奴等も入り口を見つけただろう。火をつけられたことで運命が変わったのだ。わしらも奴等も考えた上でのことではない。運命の悪戯なのだ。ライクレスのあの世からの贈り物かも知れない・・・」
「今からわし達は何をすればいい?」
ローイはカラーイに今後やるべき事を聞いた。死んだライクレスに替わって、カラーイが新しい指導者にふさわしいと思ったのだ。
「すぐにでも家に帰らせたいが、用心のため地下室で数日過ごした方がいい。暗くて黴臭い穴倉だが、安心して眠れる。今はゆっくり休むのが大事だ」
カラーイは村人達を地下室に戻らせ、ローイには自分の手伝いをするように言った。
「森に潜ませた者を迎えに行く。首を長くして待っているに違いない」
「ああ、ザイラルは悪魔のような奴だ。森を標的にコルゲリオンとかいうもので矢を放った。我慢強く待っている者達が心配だ。森には特に幼子と母親を潜ませている。シュットキエルの再興の力となる者ばかりだ」
「みんな無事だといいが・・・急ごう」
死の恐怖と戦いながら、迎えが来るのをじっと待ちわびている者がいる。一刻でも早く安心させようと、二人は時折足を取られながらも、精一杯の早足で森へ向かった。砦から森まで真っ直ぐに歩ければ近いが、実際には曲がりくねった細道を通り、何度か坂道を登り下りしなければならなかった。
「カラーイ、ひどい有様だ。かなりの犠牲者がいるのではないか?」
森に入ると周囲の木や地面に、数え切れないほどに多くの矢が突き刺さっていた。コルゲリオンから放たれた矢は、どの矢も深く刺さっていて、小さな枝や葉をものともしない威力を見せつけた。地面には矢に当たった鳥や小さな動物があちこちに転がっている。人間より段違いに素早く動けるはずだが、あまりの速さにかわす時間がなかったのだろう。
「とにかく合図を出そう。一人でも多く生き残っていて欲しい」
ローイは背負った角笛を口に当てると、大きく吹き鳴らした。長い音の途中で微妙に揺らし、敵が去った合図を三回繰り返した。カラーイも太い枝に鐘をぶら下げ、木槌で鐘を強く打った。潜んでいる者にとっては待ち望んでいる音が森に流れる。
・・・みんな、早く集まってくれ。無事な姿を見せてくれ・・・
ローイは息を整えるため何度か吹くのを止めたが、カラーイは鐘を鳴らし続けた。この音が希望の音になると思うと、腕の痛みは気にならなかった。
音に誘われて、人影が森の奥から染み出るようにして現れ始めた。若い母親と幼い子供の顔がはっきりと見えた。母親は長老二人の顔を見て安心したのか、その場に座り込んでしまった。子供を守って恐怖と戦っていた緊張が一気に解けたせいだろう。
「カラーイ様、お迎えを心待ちにしていました。砦から煙が立ち上るのが見え、心配していました」
「無事で良かった。他の者はどうした?」
「わかりません。私とこの子は太い木に攀じ登り、幹に体を縛り付けて、その上にこの布をかけていました」
母親はそう言ってカラーイに布を見せた。布には敵の目を欺くために木の表面の模様が編みこまれていた。動かずにじっとしていれば、近くに敵が来ても実際の木と区別するのは難しい。森に隠れた村人はこの布を持たされ、木に登り敵が捜しに来ても自分達の気配を消しているようにライクレスに指示されていた。森の空気と一体となれば敵に見つからない。森と同化するとはこのことだったのだ。
「よく我慢した。敵は去った。もう安心していい」
カラーイは敢えてコルゲリオンの話をしなかった。森に逃げ込めれば生き残れると潜ませたが、コルゲリオンの出現でかえって命を落とした者もいるに違いなかった。
若い母親達に続いて森のあちこちから、角笛と鐘の音を待っていた生き残りの村人達が次々に集まってきた。カラーイとローイは砦から逃がす時に村人達に描かせた自分達を表す絵に、帰ってきた順に印を付けさせた。印の付かない絵の数で、犠牲者の人数を掴もうとしていたのだ。最初は印が並んだが、後が続かず二人を落胆させた。
森の一番奥に隠れていた者が到着してからもしばらくの間、二人は呼びかけの音を出し続けた。まだ印のついていない絵が多く残されていた。
「途中、何人かが矢を受けて倒れているのを見ました」
「子供を胸に抱いたり、背負ったりしたままで、かわいそうに・・・。親子が一本の矢で射し抜かれていたわ。何本の矢を受けている人もいたわ」
切れ切れに悲惨な森の様子を、嗚咽を交えながらそれぞれが告げた。コルゲリオンの破壊力のある矢を受ければ、かすり傷で済まないと思い知らされた。布の下で動くなと言われたものの、風きり音に驚いて木から下りて矢を受けた者もいたに違いない。運悪く矢が飛んで来る方向に身体を向けていた者は、動かなくても矢の容赦ない一撃を受けたに違いない。
夕暮れが森を茜色に染め、砦へ帰らなければならない時間が迫ってきた。
「これまでだな・・・埋葬のためにこの森にまた来ることになる」
「もっと多くの者が助かると思ったが・・・」
カラーイとローイは生き残った村人を率いて砦への道を戻り始めた。登り道を上がるのは二人にはきつかったが、それは老いからくるものではなく、これから先を思って足取りが自然と重くなっていた。たった二日間の戦いで失ったものはあまりにも大きかった。生き残った者は、砦で待つ者と合わせても数割にも届かなかった。




