一章 シュットキエル 1 夜明け
全ての世界を闇に閉じ込めていた夜の帳が静かに開き、山間の小さな村に夜明けが訪れた。曙光が山の稜線をうっすらと染め始めたと思う間もなく、肌寒い大気を暖めるまばゆい光となって降り注ぎ、木々の葉の夜露をも美しく輝かせた。最後まで残っていた夜霧が朝の涼風の見えない手でゆっくり押し出されて名残惜しげに流れ去ると、闇に溶け込んでいた家々の屋根が赤や青の色鮮やかな色を争って取り戻すかのように姿を現した。そこかしこから眠っていた鳥達が餌を求めて一斉に巣から飛び出していく。澄んだ鐘の音がまだ眠りをむさぼろうとする者に朝の到来を告げるが、その音色を恨みに思う者は誰もいない。安息の夜が終わり、素晴らしい日が始まるのだ。目覚めた女達がパンを焼く煙が煙突から白く流れ、家族そろって食前の祈りを捧げる姿が窓越しに見えるようだ。何年も、何十年も変わらないシュットキエルの平和な一日はこうして始まる。
シュットキエルはなだらかな丘陵地と豊かな大地の広がるショコラム王国、ドレルライン地方の一村である。『聖なる山』とされるミエコラル山を背後に擁し、この国では珍しい山仕事で村人達は暮らしを立てていた。森深く分け入ると人間を容易に寄せ付けない深い谷と切り立つ崖にぶつかるが、長老達は自分の庭を歩くようにどこにでも入って行けた。山間にもかかわらず村が豊かなのは、ミエコラル山の恩恵を受けていたからであった。ミエコラル山を『聖なる山』として信仰する人達が絶え間なくこの地を訪れる。特に二年に一度の大祭の賑やかさは、ショコラム王国内外でも広く知られていた。それに加えて国王領の広大な森の手入金も村人達を潤していた。峠を越えた丘陵地の方が住むのに適していたが、そこに住もうとする者はいなかった。一日中陽射しを浴びる暮らしよりも、日陰になろうとも『聖なる山』に近い場所に住みたい気持ちの方が強いのだ。それに周りが開けている所では、何となく落ち着かなかった。
丘陵地を好まない村人達であったが、乗馬を楽しむ時は別だった。誰でも狭い場所で馬を駆けさせるより、思う存分見晴らしの利く場所で風を切って競争させたくなる。競馬はミエコラル祭の神事のひとつにもなっていた。このためシュットキエルでは、男女を問わずほとんどの者が馬を乗りこなせた。
この地で生まれた子供は、生まれた時から森と深い繋がりを持って育っていく。両親が森の手入れをしている傍で蔦の籠に寝かされ、伝い歩きする年になると木に結ばれた紐に守られ、一人遊びができるまでに成長すると子供同士で森中を駆け回る。年を経る毎に遊びの場は広がり、ほとんどの者が夕方まで家に帰らなかった。昼食を家で食べなくても、空腹を満たしてくれる木の実や果物などが森では簡単に手に入るからだ。一人で森深く入るのは禁じられたが、その他は何をしても大目に見られた。子供達は自分達だけで遊んでいる気になっていたが、森で働く大人達の誰かの目には必ず入っていた。危ない時に突然現れて助けてくれる大人に対して、敬う気持ちと信頼する気持ちを自然に抱いた。森は教育の場でもあった。そして一人前と認められると親の仕事を引き継ぎ、ミエコラル祭で結婚相手を見つけ、子供を産み、育て、そして老いていく生涯だった。
大人達も仕事ばかりの日々を送っていなかった。特別な日には仕事を休んで森に入り、鳥や兎、鹿などを罠や弓矢で狩り、家族と共に豊かな森の収穫祭を祝った。ミエコラル祭、収穫祭、その他多くの楽しみがあり、森の中の小さな村であったが、人々は豊かに、静かに、そして幸せに暮らしていた。




