変わり者な伯爵令嬢の恋愛観
テティア・メルアーナは、メルアーナ伯爵家の三女で変わり者として有名な少女である。彼女の家にはすでに兄がおり、後継者として父から領地の経営を学び、順調に次期当主として育っている。一番上の姉はすでに結婚して家を出て、次女である姉も有望な婚約者と仲睦ましくしている。そのため、三女であるテティアに、伯爵家としても「まぁ、好きに生きていいんじゃない?」と姉や兄とは違い、貴族としての義務をそこまで押し付けることはしなかったのだ。
もちろん、伯爵家として恥ずかしくないように教養やマナーの教育をし、有力な子息との出会いも設けさせていた。それでも、兄や姉で必死に婚活や教育をした家族としては、三女である末娘にそこまで力が入らなかったのである。伯爵家は十分に発展していっているから、家に泥さえつけなければ将来の職も誰と結婚しても構わない。テティアは普通に家族から愛されたが、将来に関しては貴族社会としては珍しいぐらいの自由を与えられたのだ。
それに自意識が芽生えてきた少女は、難しそうに首をひねってしまう。姉たちはそんなテティアを羨ましそうな表情で見ていたが、それでもテティアと立場を交換したいかと言われれば、彼女たちは揃って首を横に振るだろう。彼女たちが有力な子息と繋がれたのは、親の尽力があったからこそだ。テティアは家から見放された訳ではないが、それでも姉たちほど手をかけてはくれないだろう。並み居る令嬢たちから、良い男をゲットするのに家や親の力はやはり大きいのだ。
「うーん、でも、なんとかなるよね。ねぇー、クリストファー!」
『ワフン!』
「ふふっ、ありがとう」
そんな現状を、テティアはなんとなく受け入れた。家族から愛されているのはわかるし、姉や兄の窮屈そうな暮らしも見てきている。何より、彼女としては大好きな動物たちに囲まれている現状に満足していた。もふもふな毛皮に精悍な目をした愛狼に、テティアは嬉しそうに顔をうずめる。それに、彼女の相棒もぶんぶんと尻尾を左右に振った。
テティアは昔から生き物が好きだった。自然に溢れたメルアーナ領には、牧場や養鶏場などの特産品が数多くある。小さな頃からそんな自然の中を当たり前のように暮らしていたテティアは、一緒に乳搾りをしたり、馬の世話をしたり、犬と一緒に羊たちを追いかけたりもした。社交界に出る姉たちからは「はしたない」と言われても、それでもテティアにとっては大好きな時間であった。
姉たちの言うとおり、貴族の令嬢として考えればとんでもないことだが、両親はそれを許した。領主の娘が進んで領民と関わる大切さを知っていたし、領民と近しい存在がいると彼らの進言を聞きやすい。領民たちもテティアを大変かわいがってくれていたので、テティアの為ならと彼らも手を貸してくれた。為政者としての視点から見ても、テティアの行動は悪手ばかりではなかったのだ。
ただデメリットとして、文字通り野原を駆けまわるじゃじゃ馬娘に、それを聞いた相手からの婚姻の手は遠ざかるだろうなぁ、と遠い目をしたらしい。もし嫁の貰い手がなくなっても領地で面倒ぐらいはみてあげよう、と家族は考えていた。一応伯爵家ではあるので、低い家柄の男なら「それでも嫁に」と言う声も上がるだろう。しかし、両親はテティアを見捨てている訳じゃない。彼女の幸せになりそうにない婚姻なら、結ばなくてもいいかと思えるぐらいには、テティアを愛していた。
「結婚かぁー。お姉ちゃんたちみたいに旦那様がほしい気もするけど、こんな風にのんびり動物たちと一緒にもいたいなぁ。どこかにいないかな? 動物好きな旦那さんとか?」
『ウォン、くぅーん』
「うーん、やっぱりクリスが言うように難しいよね。何で貴族のお仕事には生き物を愛でるってお仕事がないのかしら。こんなにかわいいのに」
テティアは愛狼の若葉色の毛を丁寧に梳かし、それに嬉しそうに降参のポーズでこたえるクリストファー。子狼の頃から一緒に大きくなってきた愛狼は、彼女にとって家族も同然な弟である。森の中で怪我をしているところを拾い、そこから彼女の手で大切に育ててきた家族。当然嫁ぐのなら、彼も一緒に暮らしてもいい人じゃなければならない。他にも猫や鳥などもいるが、彼女にとってはみんな家族なのだ。つまり彼らを彼女と同じように家族として見てくれるような男性でなければ、確実にやっていけないだろう。
ペットとして生き物を飼う人ならいるだろうが、日常の一部として家族のように扱ってくれるような男性。動物好きな男性って、どうやって探せばいいのだろうか? いくら自由なテティアとて、貴族の一員であり、メルアーナ伯爵家の娘だ。下手な婚姻はできない。彼女にだって、家のために何かしたい気持ちはあるのだ。家のためになるような男性と結婚することは、彼女の中で是だ。気の合う平民と結婚する道を選ぶことは楽だが、それではメルアーナの娘としてもらってきたものを返すのは難しい。
両親は気にしないだろうが、今も社交界で貴族の生活をしている姉やこれから領主として頑張る兄にとって、役立たずでじゃじゃ馬な妹はさすがに外聞きが悪い。テティアは家族が好きだ。故に、自分の存在の所為で、兄姉たちが揶揄されてしまうのは嫌だった。だから独り身でいることや、自分の思いだけで勝手に結婚することはしたくなかったのだ。独り身でいるとしても、せめて自分の力で歩けるぐらいの実力はいる。
家族の迷惑になるぐらいなら、貴族の身分から一人立ちして、立派に生きて行こう。そう考えられるぐらいには、テティアは自分の将来を見据える年齢になっていた。十五歳になったテティアは、貴族でも女の身でも生きていける方法を考え、そして魔法学校へ入ることを決意していた。
彼女がそう考えた理由として、貴族は魔力を持って生まれることが多く、彼女もそれにもれず魔力を持っていたこと。魔法使いは一つの職として認められ、女性でもなれること。なにより、彼女にはぜひ習得してみたい魔法があり、なりたい職業があった。憧れがあったのだ。
「あっ、そうだ。そろそろ準備しなきゃだよね。わんわんおー」
『ウォンウォン!』
「きゃん、きゃきゃん。うん、それじゃあお願いね。クリス」
傍から見たら、いきなり犬の真似をし出した主人に一切驚くこともなく、クリストファーは元気に返事を返す。そして手足や口を器用に使い、彼女が向かう学園の支度をし出した。動物以外の事には基本抜けている自分の主である。自分がしっかりしなくてはならない。準備が終わっても、まだのそのそと着替えているテティアに仕方がないなー、と彼は横から手伝った。
クリストファーの首元には、青い刺青のようなものがついている。見る人が見れば、それが『魔獣契約』の印であると気づくだろう。学園指定の制服に着替え終わったテティアは、その印が目に入り、嬉しそうにその部分を撫でる。撫でられたクリストファーも、誇らしげに鼻を鳴らした。
この世界には、『魔獣術士』という名の職がある。彼女の家族であるクリストファーは、ただの犬ではない。若葉色の毛に精悍な赤い目、テティアの身長の二倍はある巨狼。周囲からは魔獣と言われ、魔物に分類されるフォレストウルフなのだ。森から怪我をした幼獣を連れて来た娘に、当然最初は否定的だった父親。母親なんて悲鳴をあげ、兵士に命令して娘から魔物を取り上げようとした。それにテティアは大泣きして、小さく鼻を鳴らすことしかできない魔獣を抱きしめることしかできなかった。
今なら、父や母の心配がわかる。魔獣の危険性も知っている。それでも当時のテティアにとっては、「どうしてそんな酷いことができるの」と信じられない気持ちだった。大好きな両親が弱った犬を殺そうとしている。もしあの時に幼獣が殺されていたら、テティアの心は深く傷つき、家族を信じられなくなっていただろう。事情を理解できる年になっても、家族の仲に小さな罅のようなものが残っていたかもしれない。
そんな時、魔物の被害についてたまたま父と話をするために訪れていたとある男性が、助け船を出してくれたのだ。
「メルアーナ伯爵殿。もしよろしければ、そのフォレストウルフと彼女を『契約』させてみてはどうでしょうか? そのウルフは幼いですし、フォレストウルフは忠誠心が高く賢い魔獣です。命の恩人である彼女を害することもないでしょう」
「し、しかし……」
「契約の術式は私が行います。これでも、代々『魔獣術士』として名を残してきたコーザス家の人間です。失敗はしませんし、魔獣の扱いにも慣れています。それに、……この子も生きたいと言っていますし」
そう言って、優しげに笑ってみせた父親と同年代ぐらいの男性は、大きな手で小さなフォレストウルフの頭を撫でた。テティアはそれに目を大きく見開き、抱きしめていた幼い魔獣に目を移した。ぴすぴすと鼻を鳴らしながら、か細い鳴き声を出す幼獣。この男性には、彼の声が聞こえるのだろうか。何より、この魔獣に対して全く敵意を感じられなかった。
「お嬢様。そのフォレストウルフを私に預けてはくれませんか? 魔獣に良く効く薬を私は持っていますし、元気にならないと契約をしていいのかこの子に聞くこともできませんからね」
「……本当に助けてくれる?」
「はい、もちろん。怪我は必ず治します。ただ契約はお嬢様とこの子が本当に望むのならですが」
そう言って柔和な笑みを浮かべた男性に、テティアは幼獣を託した。あれだけ抵抗を示した娘の素直な行動に、両親も驚きに目を瞬かせる。しかし、彼女は彼なら信じられると思った。『コーザス』と名乗ったこの男性は、ずっとこの魔獣を一つの命として見てくれていたから。受け取った命へ優しげに毛並みを撫でるその姿に、テティアは泣き腫らした目を擦って、遅まきながらも淑女としての礼をとった。
それから数日後、約束通り元気になったフォレストウルフを連れて、彼はやってきた。それにテティアは大喜びで駆け寄り、幼獣も彼女を見て嬉しそうに尻尾を振った。テティアが自分を助けたことをちゃんとこの幼獣は覚えていたのだ。彼は一言二言幼獣と会話し、そして狼は強い意思を持って頷いた。不思議そうな顔をするテティアに彼は狼と同じ若葉色の髪を手で掻きながら、わかりやすく彼女へ説明をしてくれた。
「……魔獣契約をしなくちゃ、私はこの子と一緒にいられないの?」
「うん、この子は大人しくても、魔獣だからね。魔獣が全部悪い訳じゃないけど、それでも人間を襲う魔獣はいるんだ。魔獣と心を通わせるのは難しいからね。でも、お互いを思い合う君たちなら契約ができるだろう。契約をすれば、魔獣は契約獣となり、人と共に生きることが許されるんだ。……周りからね」
「変なの…。契約なんてしなくても、この子は良い子なのに」
「……ははっ、違いない。でも、契約も悪いことじゃない。お互いに助け合うことができるし、魔獣も術者から魔力などをもらえるからね。もし君がこの子と共に生きることを望むのなら、この子と契約できるように私が術を施そう。もちろん、そこまで君が責任を背負う必要もないから、無理なら元の場所へ帰すか、私の領へ連れて行こうと思う。どうする?」
「契約します!」
テティアは即答した。怪我をしている魔獣を見つけ、助けたいと願ったのは自分だ。救った責任は彼女にあり、それを無責任に放り投げることはしたくなかった。彼からは魔獣を連れた令嬢など、さらに婚姻相手が減るだろうと教えられた。護衛として契約魔獣を連れる貴族はいるが、それでも魔獣なのだ。怖がられたり、周りから好意的に見られることは少なくなる。彼女の両親との話し合いで、しっかりこれからのことを娘に話したうえで、判断させてほしいと願われていた。家族が大好きな娘が必死になって守ろうとしたもの故に、家族も彼女の選択に任せたのだ。
それでも、テティアは魔獣と一緒になることを望んだ。それと同時に、彼女に夢ができた。将来をどうしようかと漠然と考えていた彼女に、これほどまでに強い輝きを見せてくれたのはこれだけだったから。契約を交わした幼獣を抱きしめながら、彼女は最後に恩人である魔獣術士に質問を投げかけた。
「ねぇ、おじさん。おじさんはどうして魔獣術士になったの? おじさんがさっき言っていた通り、魔獣って危ないんでしょう? 周りからも怖がられるって言っていたもの」
「あぁ、そうだね。私の家は魔獣術士の家系だから、魔獣が傍にいるのが当たり前の環境で暮らしてきたのもある。術士として依頼を受けることはあるけど、怖がられることの方が多かったね」
「家がそうだから、魔獣術士になったってこと?」
「……いや、やっぱり一番は彼らが好きだったからかな。うん、そうだね。好きなんだ。魔獣が、彼らが。だから私は、この道を選んだのだろう」
「人に怖がられちゃっても?」
「あぁ、怖がられても。私が彼らを愛おしいと思う気持ちに、代わりはないんだから」
照れくさそうに、そして本当に――本当にキラキラとした目で告げた彼の表情は、テティアにとって大きな目標となるぐらい輝いていた。これが、真の動物好きなのだと。テティアは動物が好きだ。生き物が好きだ。めっちゃもふもふしたい。一日中、撫でまわしたい。節度は守るが。この気持ちは、これほど素晴らしいものだったのだ。
怖い魔獣もいるだろう。しかし、仲良くできる魔獣だっているのだ。テティアはたくさんの魔獣と心を通わせるようになりたい、と考えるようになった。彼のように、様々な魔獣と言葉を交わせるようにもなりたかった。クリストファーと名付けた魔獣と言葉を交わせるように、彼女は必死に勉強し、彼からの教授も願い出た。しかし、彼だって忙しい。仕事の依頼としても、他家の娘に関わり続けるのは難しいだろう。
「それなら、この魔法学園に行くといいですよ。質の良い魔獣術を教えてくれるところだ。私の息子もそこに通う予定ですし、お嬢様といいライバルになりそうですからね」
「息子さんがいらっしゃるのですか?」
「えぇ、まぁロロウェイ谷の魔獣に囲まれて暮らしていたので、異性とあまり関わったことがなく、色々世間知らずなところもありますが」
「生き物は好きな方ですか?」
「ものすごく」
友達候補ができた! なかよくできそう! テティアの基準は、生き物が好きか否かに比重が傾いている。それに「この娘も大丈夫だろうか…」と生温かい視線を向けて来る恩師の目だって、彼女は気にしなかった。
恩師からの推薦もあり、彼女は魔法学園へ行き、魔獣術士になるための勉強をすることに決めた。魔獣と言葉を交わしたい。魔獣のことをもっと知りたい。憧れである恩人のように、一流になりたいと願った。魔獣術士の女など、相当な物好きだろうが彼女は当然気にしない。周りから何を言われても、彼らが好きな気持ちに一切の揺らぎなんて起きないから。テティアの愛はそんなことじゃ歪まない。家族は「もう好きなように生きなさい、うん」と彼女の決意に快く折れてくれた。
そうしてテティアは、魔法学園の門を潜った。貴族だけでなく、平民にも広く開けた学園には、様々な者がいる。多くの女性は、ここで出会いを求めていくのだが、テティアにとっては正直二の次であった。一番は魔獣術士になって、たくさんの魔獣と友達になることなのだから。良い人探しも一応するが、恋愛に構っている暇はないだろう。そう考えていた。
メルアーナ伯爵家の三女は変わり者。それは学園でも、公然の噂として広がっていったのであった。
******
「告白されました」
「まぁ、それは勇者がいたものね。それで?」
「私と家庭を築くのなら、まず動物が好きで毎日のブラッシングや食事に関して理解があること。次に彼らと運動ができる体力があること。魔獣百匹できるかな? に協力すること。何より私以上に動物を愛していること。などを最低条件にしてみたら、ものすごい速さで逃げて行きました。クリアーできるのなら、私もその人の妻として頑張るのに。一考ぐらいしなさいよ、根性がないわ」
「根性の問題でもない気が…。その条件、クリアーできる男性なんているの?」
「わかりません。それでも何度考えても、これが私の最低条件なのです。これさえ大丈夫なら、私も相手の条件に合うように努力するのに……」
「う、うーん。テティアって美人で、伯爵家だし、普通にしていれば絶対にモテるだろうに……」
溜息を吐く私の友達に、「そう言われてもなー」と宙を仰ぐ。もう一度考えるが、これが私にとっての最低条件なのだ。確実に私は、旦那よりも動物に走るだろう。だからこの条件は、将来の夫の為でもあるのだ。それに、利害だけの冷えた結婚生活なんてするぐらいなら、独り身で頑張った方がいい。もふもふしながら。
別に今すぐ条件通りにできてほしい、なんて無理難題は言わない。ただ将来的にはそうなれるように努力はしてほしい。しかし大概の男性は、条件を聞いただけで逃げ出すのだ。前に伯爵家の繋がり欲しさに、とりあえず条件は置いといて恋人にしてしまえば…、という男もいたのだが、私の魔獣を愛でる姿を見て「これは無理だ」と真剣に逃げて行ってしまった。根性はありそうかな、と見逃していたのに…。
契約魔獣はいるけど、結婚相手随時募集中の伯爵令嬢の自分は、たぶん上玉の身だと思うのに、どうして『鉄壁の女』などと言われなくてはならないのだろう。魔獣術士の妻を持てば、領内の魔物の被害だってかなり減らせるだろうに。どうも納得できない。条件を緩くする気は一切ないが。
「何より、その私以上に動物を愛するって何よ? あなた以上の動物好きって早々いないでしょ」
「何を言っているの? 動物好きに上も下もないわ」
「えっ? じゃあ、どういう意味?」
「私を愛していながら、『私と動物どっちが好き?』と私に聞かれても、「動物」って答えるような男性がいいってことよ」
「待って、テティア! それおかしい、絶対にそれおかしいからっ!」
私の肩を掴んで、必死の表情で訴える友達の顔はかなり怖かった。もともと迫力のある美貌を持つ彼女なので、余計にテティアはそう思う。普段の彼女は毅然として優雅な女性なのだが、何故か自分が関わるとこんな風になる。やはり噂は噂だな。彼女が冷徹で血も涙もない人間だなんて、あり得ないことだろう。何より、動物大好きな人だし。
彼女――フローリア・ミュレーズと出会ったのは、学園の生き物に餌付けして回っていた時だった。木の根元に座り、二匹のリスへ餌をあげていた私の視界の端に、銀色の髪をした女性が見えたのだ。それを不思議に思い、そっと覗きこんだ私が見たのは、ニボシを片手に子猫へと近づく美貌の令嬢様でした。ただすごい気迫で鬼気迫るような表情だったので、そろりそろりと猫へ近づいていく彼女に子猫はブルブルと震えている。今にも恐慌状態になりそうな様子だった。
「ねっ、ねこちゃーん。大丈夫よぉー、私は怖くないわよー? 怖がらなくていいのよぉー」
「十分に恐怖体験をしているように思いますが」
「きゃぁぁああぁっーー!! だだだだっ、誰ッ!?」
「この子の友達です」
おいで、と子猫に腕を伸ばすと、「女神様ッー!」と泣き叫ぶように子猫は私の腕の中に飛び込んできました。それにショックを受けたような、羨ましそうな表情をする女性。よしよしと子猫の頭を撫でて落ち着かせ、子猫と私の顔を見てはうずうずしている彼女に目を向けた。
「……撫でたいのですか?」
「えっ、その、私は……」
「ごろごろごろごろごろ、うにゃにゃん、なぁー」
「えっ」
「にゃぁー、にゃおーん。うにゃにゃにゃにゃ」
「ちょっと、大丈夫ですの!? 何が起こったのですかっ!?」
お願い、正気に戻って! と急に肩を掴まれて驚きました。普通に子猫と話をするために、猫語をしゃべっていただけなのですが…。魔獣は魔力を通す言葉を用いることで、会話をすることができます。私の腕の中にいる猫は、ただの猫ではなく、『ケット・シー』と呼ばれる魔獣の一種である。学園に迷い込んでしまった彼女を私が見つけて、毎日餌をあげている関係だ。友達として、彼女も色々私を助けてくれる。
銀髪の彼女は怖い顔であったが、敵意は一切なかった。だから、ケット・シーも困っていたのだ。彼女から自分を傷つけようとする意志はなさそうだが、どう対処したらいいのかわからない。もう顔が怖い。そこに友達の私が来たから、助けを求めたのだろう。私は「彼女はあなたを撫でたいみたい、友好的だよ」と教えてあげただけなのだが、まさか私まで彼女に迫られるとは。本当に驚きである。
「いえ、いきなり猫語をしゃべりだしたら、普通は驚きますから。しかし、この子は魔獣だったのですか…」
「怖い? なら、返してもら……そんな恨めしそうな顔で見られても」
「こ、怖くなんてないわ! うぅ、うりうりうり」
とりあえず事情を話し、私が魔獣術士志望であることを伝えた。友達のことも伝えて、「撫でていいみたい」と言うと、戸惑いながらもお礼を言ってくれた。それから膝の上に乗せて、大変ご満悦な様子だ。顔を真っ赤にしながら、でも手つきはとても優しい。動物を撫でるのに慣れていないのはわかったので、少々レッスンをしたら、すぐに食いついてきた。動物好きなんだなー、とほっこりした。
「あなた、私が誰かわかっているの?」
「ん? 猫好きの顔に迫力がある同級生?」
「普通にグサッと来たわ」
ごめん、社交界とかほとんど行かないから。両親から「頼むから、学園にいる間に社交界の勉強はしてきてくれ!」と言われているので、頑張るつもりではいる。つもりではいるんだ、うん。勉強は頑張っているし。
「でも、そっか。やっぱり私、顔が怖いか……」
「ごめんなさい、気にしていましたか?」
「ううん、気にしていないとは言えないけど。ちゃんと私の目を見て言ってくれて、逆にすっきりしたわ。使用人や周りの令嬢にそれとなく聞いても、みんな「お美しい」としか言わないんだもの」
「私も綺麗だと思いますよ? ただ、夜闇からいきなり出てきたらびっくりするとは思いますけど」
「ねぇ、それ褒めているの? さすがに怒るわよ」
彼女が侯爵令嬢様だと聞いて、私もさすがにびっくりした。爵位上だったよ。でも、フローリア様から今更気にしなくてもいい、とため息混じりに言われてしまった。なんて懐が深い。そして彼女が学園の噂で聞く、「あの美しく完璧なミュレーズ侯爵令嬢」なのか。他にも「血も涙もない」とか「冷静沈着で笑わない」とかもちょっと聞いたけど。普通に良い人だと思うのになぁー。
彼女の方は、「あぁ、あなたがメルアーナ伯爵家の変わり者三女」と遠い目をされた。自分の噂とかは気にしない方だが、私は学園でどういう扱いをされているのだろうか。女性で、貴族で、魔獣術士を目指す者はほとんどいない。好奇の目を向けられるのは、正直今更である。そう言った意味でも、侯爵家の令嬢であるフローリア様も周りから視線を向けられる存在だったのだろう。
「他に誰もいないし、普通にしゃべっていいわよ。私もあなたの前でお高くしても、疲れそうだもの。それにしても、魔獣術士ね。確かに変わり者と呼ばれるだけあるわ」
「そんなに変? 魔獣術士は正式に認められている職だよ」
魔獣術士は周りから恐れられる部分もあるが、同時に必要とされる職だ。魔獣の持つ力は人を超えるものも多く、そんな彼らと心を通わせられる術士は希少である。敵対するより、味方としてある方が助かるものだろう。
「そうだとしても、魔獣よ。命の危険だってある。伯爵家の令嬢がやる職としては、危険すぎるわ。普通の魔法使いじゃ駄目だったの?」
「伯爵家の娘としては、確かにおかしいのかもしれない。でも、私は動物が好き。魔獣のように普通の動物とは違う姿や感情も好き。彼らはとても繊細なの。憎悪には憎悪で返し、そして愛には愛を返してくれる。すっごく素直で可愛らしいわ。私はそんな彼らと触れ合っていきたいの」
「……変わり者って周りから言われても?」
「うん。私自身にそこまで秀でた力なんてないから、それを補えるのはこの心しかない。魔獣への愛で、私は強くなる。貴族の娘として変わり者扱いされても、いつかは一流の魔獣術士になって認められてみせる。それが私を愛してくれた家族への、せめてもの恩返しにもなると思うから」
中途半端ではだめなのだ。変わり者の娘を持つ伯爵家、と貴族間で言われている。それをプラスにするには、誰もが認めるぐらいの実力をつけるしかない。優秀な魔獣術士を輩出した家、と言われるようになれば、我がままな夢を持った娘をそれでも慈しんでくれた家族のためになる。そう考えたから、私はこの魔法学園に入り、ずっと勉強してきたのだ。
「……すごいわね」
「そうかな?」
「うん、私には自分に誇れるものがないもの。だから羨ましくて、眩しい…」
侯爵家の令嬢として恥じないために、フローリア様は努力をしてきた。「さすがは侯爵家の令嬢だ」と。しかし、美貌を磨き、マナーや教養をいくら身に付けても、彼女自身の自信には繋げられなかったらしい。それに、侯爵家の令嬢としてはしたない行為もできなかった。今のように、猫を膝の上に乗せて撫でまわすなど、本来はしてはいけないことだと。
動物を愛でることをしちゃいけないなんて、なんて拷問だ。私なら耐えられない。伯爵家の三女で本当によかった。いや、普通にそれも駄目なのかもしれないけど。……フローリア様は、きっと動物が好きなのだろう。でも、家のためにそれを抑え込まなくてはならない。周りからのイメージを壊さない為にも。強がらなくちゃいけない。弱さを見せてはいけない。隙を見せてはいけない。
「ふふっ、不思議。今まで誰にも言えなかったことを、初対面の変わり者さんに話しているなんて。今の話、誰かに話されたら大変ね」
「言いませんよ。それにフローリア様は十分すごい。動物たちへの愛情表現を表に出せないなんて、私なら発狂しちゃうよ」
「その褒め方は何か違う気もしますが、……でもありがとう」
きつい目の双眸が和らぎ、彼女の見せた柔らかい微笑みに、私は目を瞬かせた。今の笑みは、本当に綺麗だった。思わず、見惚れてしまうほどに。魔獣は普通の獣よりも、感情や心に敏感な生き物だ。特に彼女の膝の上に乗っているケット・シーなんて、その筆頭だろう。彼らはかしこい。それこそ、心が清らかな者にしか懐かない。私が彼女の友達になれたのだって、甘く愛を囁き、告白しまくってようやくなれたのだ。子猫に呆れたような視線を向けられたのは、気にしない。だって、かわいいもの。
そんな魔獣が、フローリア様の膝に乗ることを許容した。撫でることを許可した。それだけで、目の前の侯爵令嬢がどれだけ魅力的かがわかるというものだ。彼女は自分に自信がない、と言っていたがとんでもない。少なくとも、私は彼女に魅せられた。彼女の心が表れたような笑顔一発で落とされた。
彼女を愛でたい。慈しみたい。そうして、花が開いたらどれだけ綺麗なんだろう。自分の感性がどこかズレているのはわかるけど、私は彼女を知りたくなった。彼女と友達になってみたいと強く思った。それに、フローリア様は動物が好きだ。それだけでも、好感度が高い。天元突破だ。
「……しかし、私が言わないと言っても、全く関わりがない人間の言葉だけではフローリア様も心配でしょう」
「えっ。いえ、言わないと言っていただけるだけで十分で」
「そこでっ! 私はあなたと友達になりたいと思っています。というより、友達になりたいです。友達になりましょう。むしろ友達になって下さい、お願いします! いっぱい愛でますので! もう愛していますっ!!」
「待って、色々待って! 全然思考が追いつかない! あと、最後はどういうこと!?」
フローリア様、良い子すぎる。頭をなでなでしたい。しかし、いきなり撫でたら駄目だ。彼女は気高き猫なのだ。まずはお友達から始めよう。そう思考して言葉にしたら、いつの間にか懇願していた。フローリア様、なんて恐ろしい子。戦慄をしていたら、どうしてそうなったの!? と頭を抱えられた。
私は「愛」に素直なのだ。私は家族に愛されて育ってきた。それは、本当に本当に嬉しいと感じるぐらいに。だから、私も「愛」をちゃんと返したい。私も大好きなんだって伝えたい。クリストファーも愛でて愛でて愛でまくって、恩師のおじさんから「素質がある」とサムズアップされるぐらい愛でまくっている。魔獣術士の素質として、愛情表現が最も大切だから。
それからなんだかんだありながら、私の縋るぐらいの懇願のおかげもあり、無事に彼女と友達になることができた。完璧な令嬢として頑張ってしまったことで気の緩ませ方がわからなくなり、高嶺の花として実は孤立していたフローリア様と、魔獣術士志望の変わり者令嬢である私との組み合わせは、最初は驚かれたがだんだん生温かくなっていったので大丈夫なのだろう。
「それは、あれだけ毎日『おはようございます、フローリア様。愛しています!』と言い続けるあなたを見ていたら、生温かくもなるでしょう…」
「それにフローリア様も『お、おはようございます。私もその、あああ、あの――やっぱり私には言えません!』って素直に毎日涙目になっている姿に、私も周りもズキュンと」
「もしかして、わざとですか!? あの挨拶は実はわざとでしたの!?」
挨拶に愛を込めるのは本心です。そこにちょっぴりとしたイタズラ心がエッセンス。本当にフローリア様がかわいすぎる。普段は凛としてカッコよく、上に立つ人オーラを纏っている。しかしそんな彼女にも弱点がある。そう……愛情表現に滅法弱いのだ。侯爵家の人々は忙しい人たちで、あまり彼女に構ってあげられなかったらしい。周りも、侯爵令嬢としての彼女だけを見て褒めていた。なんてことだ。勿体なさすぎる。これは愛でなければ。
「はぁ…、もういいわ。でもテティア、将来の夢も大切だけど、ちゃんとあなたが好きな人も見つけてね? 動物たちの幸せだけじゃなくて、あなたの幸せも見つけてほしい。私、テティアには素敵な恋をしてほしいわ」
「んー、現在の私のドキドキはフローリア様一筋なのですが」
「う、嬉しいけど、それは禁断の道だから。私には婚約者が、その……おりますし。それに、女性同士で結婚はできないわ」
「えっ、それは知っていますよ? 当たり前じゃないですか。このフローリア様への私の愛は、天元突破な友愛ですので」
「……ゆ、友愛で素直にホッとしていいのか、友愛でこのレベルなことに戦慄するべきなのか」
小首を傾げてうんうん悩むフローリア様に癒されながら、彼女の言う『恋』に私も頭を悩ませる。この魔法学園に通う子息たちは、貴族の方も多いですし、将来有望な平民の方もいます。おそらく私が婚活に勤しめるのも、この学園生活中じゃなければきっと難しいでしょう。出会い的に。
でも、クリスとも話をしたけど、やっぱり私に旦那様って難しいのかもしれない。伯爵家の令嬢としての教育は受けて来たけど、どう考えても私に貴族の奥方のような生活は厳しいだろう。社交界で言葉巧みに情報収集とか、家族にすら無理だろうと言われた娘だ。魔獣術士はありのままの自分を見せることで、魔獣に認められる。本質を見極める目を持つ魔獣相手に、虚偽の言葉や態度など無意味だから。
「あら、そういえば。その恩師の息子さんはどうなの? 噂では彼もすごい魔獣好きだって聞いているけど」
「あぁ、メオ・コーザスさんですね。はい、同じ学科で話も大変合う友達です。おじさんの言うとおり、いいライバルになっています」
「えっと、彼はその……駄目なの? たぶん、テティアの条件をクリアーできそうな唯一の男性だと思うけど」
「……駄目という訳ではないのですが。彼とはその、うん。動物好きなのは間違いないですし、一緒にいて楽しいですし、さすがは本場の魔獣術士の家系の方ですから、教えられることも多いですし」
「『あのコーザス家』と国でも有名な魔獣術士の家系なのでしょう? 昔は貴族だったそうだけど、貴族の生活よりも魔獣と一緒にいたいで爵位を返上して、代わりにロロウェイ谷と言う数多くの魔獣や最上位ドラゴンさえも住む危険地帯を治めることを決めた一族。そんな危険な場所で暮らす方を勧めるのも悩みますが、彼らは我が国やそれこそ他国からも一目おかれる方々です。問題があるとすれば、魔獣だらけの生活を送らなければならないことと、あと一つ……」
私自身は魔獣だらけの生活なんて、楽園じゃないかと思う。ロロウェイ谷はおじさんから話を聞いていたので、少しだけなら知っている。なんでも少し前に、ドラゴン族の長老の息子が二百歳も年下のメスドラゴン(人間の年齢的には少女ぐらい)に手を出したらしい。「節度を持て! このロリコンがァァーー!!」「合意だァ! ピッチピチの嫁でウハウハじゃァッーー!」で長老と息子が大喧嘩をして大変だったそうだ。愉快な谷だなー、という印象を持った。
しかし、フローリア様が渋ったもう一つの理由こそが『あのコーザス家』と言われる最大の理由となるだろう。私と彼はお互いにとって理解者である。生き物好きに上も下もない。私はどんな生き物だって愛してみせる。それは彼も同じだろう。それでもやはり、私と彼とでは愛する方向性が大きく違ったのであった。
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「あぁ、ミレーヌ。今日も君の鱗はすべすべで美しい…。さぁ、いつもの霧吹きの時間だよ。ぎゃおぎゃお、ぎゅぎゅっぎょぉー!」
「おはようございます、メオさん。ミレーヌも。ぎゅーぎゅー、ぎょぎょぎょッ!」
『ぎゃう! ぎゃぎゃぉぉ!』
「あっ、テティア嬢。おはようございます。もうリザード族の魔獣語を習得されたんですね」
「えぇ、ミレーヌともお話をしてみたかったから」
「そっか、嬉しいね。ミレーヌも喜んでいるよ。ぎゃぎゃぎゃぁーん! ぎょぎょぉーん!」
「むっ、やはり本場の方の発音はすごくナチュラルですね。私も頑張らなければ。ぎゃお、ぎゃぉぉーーん!!」
二メートルはあるだろうブラックリザード(メス)に恍惚とした顔で霧吹きをしながら、汚れを落とす若葉色の髪をした青年と、そんな異空間へ普通に入っていく金髪の美少女。リザード族の言語で会話をしている二人の顔は、当然真面目である。初めてこの光景を見た人は、確実に二度見ぐらいするだろう。
爽やかな好青年と美少女伯爵令嬢の魔獣術クラスでの日常は、だいたいこんな感じで始まる。他の魔獣術を習う生徒たちはそれを見ながら、「こいつら相変わらずレベルがちげぇ…」と遠い目になる。テティアの恩師の息子であるメオ・コーザス。さすがは『あのコーザス家』と呼ばれるだけあって、学園でも有名人だ。主にどう扱ったらいいのかわからない方向で。
普段の彼は、笑顔の似合う爽やかな青年だ。爵位を返上した元貴族であるが、それでも丁寧な物腰と気品が感じられる姿勢。どんな女性に対しても、紳士的な対応をする男性だ。テティアの契約魔獣であるフォレストウルフよりも少し濃い緑の髪を持ち、魔獣だらけの谷で過ごしてきたからか体格もしなやかで立派である。そこらの騎士志望より、よほど場数も踏んでいるだろう。
貴族でないとはいえ、コーザス家の影響力は強い。本来なら彼にアタックする女性は数多くいるだろう。魔獣だらけの家に住むことになるが、魔獣術士である彼らの傍にいればなんとかなるかもしれない。それにメオ・コーザス自身は、間違いなく有望な人物だ。そう考えて最初はお近づきになろうと努力した女性陣は、その後に見事なまでの玉砕をした。というより、「これは無理だ」と逃げて行った。彼が魔獣と触れ合う姿を見て。
テティアは彼と出会うまで、動物好きならみんな分かり合えると思っていた。しかし、実際に会ってみて彼の好みと言うか、まぁ性癖に驚いてしまった自分は、まだまだ世界を知らなかった青二才だったのだろう。確かにテティアは生き物に好き嫌いはない。虫や魚や軟体生物もいける。それでもやっぱり人間、好みというものはあるのだ。
「おはよう、お二人さん。今日も仲が良いねー」
「あっ、先生。おはようございます。スラちゃんもおはよう」
「おはようございます、先生。スラちゃん、今日も良いぷるぷる具合ですね」
「当然だ、俺の愛するスラちゃんだぞ。このひんやり感、そしてこのフォルム。抱きしめれば、全てを包み込むようにどこまでも受け止めてくれる安心感。天使だ。女神だ。愛の化身だ。さて、今日もスラちゃんのぷるぷるぬめぬめについて語ろうか」
「先生、待ってください。今日は愛しのミレーヌのつるつるでつやつやな鱗について語り合いましょう」
「それでしたら、私のクリスのもふもふでふわふわな至高の心地よさについて語り合うべきです」
もはやお馴染みとなった魔獣術クラスの光景、パート2である。そう、彼らは全員間違いなく動物好きで魔獣大好きなのだが、やはりというかなんというかそれぞれ好みがあった。テティアはメオに出会うまで自分の好みというものを知らなかった。動物はみんな好き、という気持ちに変わりはない。それでも、やはり自分が好きなのはクリストファーのようなもふもふとした生き物だったのだ。
最初は悩んだし、ショックを受けた。このような選別をする自分を恥じた。ミレーヌちゃんは可愛い。スラちゃんも可愛い。だけど、やはり自分はもふもふとしてきゅるんとした生き物が一番可愛いと思っていることに気づいてしまった。そんな汚い自分に涙していた彼女へ、近くにいた蛇が魔獣術士であり友人であるメオを呼んだのだ。
「テティア嬢。貴方の悩みは、至極当然の悩みでしょう。苦しんで当たり前のものだと思います」
「メオさん。それなら、あなたはどうしてつるつるに比重を置けるのですか!?」
「……愛に、嘘はつけないからです」
「――ッ!!」
メオの言葉は、テティアの心を貫いた。
「自分を偽ってどうなるのですか。魔獣はかしこく、敏感です。テティア嬢がどれだけ取り繕って、平等に愛そうとしても……きっといずれ破綻してしまうでしょう」
「それじゃあ、それじゃあどうすればッ……!」
「大丈夫、彼らはわかってくれます。どんな生き物にだって、好みというものがあるんです。俺がつやつやですべすべな生き物が好きなように。あなたはもふもふでふわふわな生き物が好き。ただそれだけのことなんですよ」
ほら、トカゲ顔の異性を見るとちょっとグラッときません? と優しげな青年の言葉に、いやさすがにそこまで自分は逝っていない。と、ちょっと冷静になったテティアは思った。いつの間に、そっちの話になったんだろう。でも、なんとなく彼が言いたいことは分かった。確かに、自分を偽るのは駄目だ。そんな偽りの愛をもらう相手にだって失礼である。
それから、彼女は吹っ切った。自分は動物が好き。でももふもふな生き物がもっと好きなんだと。それが自分という人間なのだと。そう思わせてくれたメオは、彼女の中で第二の恩人だ。感謝の気持ちだってあるし、好きか嫌いかで言えば好きの分類であろう。しかし、さすがに彼の好みであるトカゲ顔にまではなれない。そこまで色々拗らせて逝っちゃっている彼と、果たして自分が釣り合うのか。テティアは普通に美少女である。彼の好みでは決してないだろう。というより、トカゲ顔ってどうしろと。
基本一直線で思いのたけを伝えるテティアですら、彼に対してはぶっちゃけどう接すればいいのか戸惑ってしまい、アプローチしてもいいのかわからなかった。本当につるつるにしか興味がないように思える。とりあえず、今はライバルで友達のままでいいか。それが彼女の彼に対する気持ちだった。
魔獣について教え合い、魔獣語を共に勉強し、もふもふつるつるし、愛の探究について語り合う。テティアにとっては、初めて自分と似た感性を持った人だ。お互いにマニアックな話で盛り上がることもできるのだが、彼の方が深淵すぎてテティアが時々冷静になる。嬉しいし、楽しいし、これからも共にいたいとは思うが、これが恋愛的な好きなのかがわからない。そんな関係を彼らは過ごしてきた。
「――えっ、それ本当?」
「どうしたのですか、メオさん」
「今、友達の魔甲虫のショータ君に聞いた話なんだけどね」
さすがは、つるつるなら守備範囲のメオ・コーザス。甲虫類すら味方にする。
「ミュレーズ嬢と婚約者さんが話をしているみたいで……その、うまくいっていないみたいだね。それで庭の方で彼女が今、泣きそうになっているみたいで――」
「すぐに向かいます!」
カモン、クリスッ! の掛け声と同時に現れるテティアの相棒。颯爽と召喚陣から現れた巨狼は、事情など後回しで小柄なテティアを背中に乗せた。それを見たメオが無言で窓を開け、他の生徒がササッと避難したのを見て、少女と狼は窓から跳び出した。見事な連携プレーである。あとで説教だろう。
「フローリア様ァァーー! 私の愛しのフローリア様ッ! 一人で涙を流すなんて、そんなの駄目です! 涙を流すのならぜひ、存分に私の胸の中でお泣きになって下さァァーーい!!」
「恥ずかしいから、おやめなさいッ! 涙なんて、たった今吹き飛んだわよ!」
「えっ」
そして、あまりにも迅速な対応のおかげで、一人の少女の涙を止めた。友達のために文字通り跳んで来たテティア。たぶん感動的だろう。ここにまだその婚約者がいなければ。
「き、君は――」
「フローリア様、ご無事ですか!? あなたの友愛の化身である、テティア・メルアーナここに参上致しましたっ!」
「ウォン!」
「あ、あの、テティア。嬉しい気もするんだけど、正直どう反応したらいいのかわからないのだけど…」
「じゃあ、慰めさせてください。抱きしめさせてください。そして頭をなでなでさせてください! どうかお願いします! もう愛していますっ!!」
「このやり取り、以前にもありませんでしたかっ!?」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるフローリアに、普段から冷徹で完璧な令嬢としての彼女しか知らなかった公爵子息は目を白黒させる。こんなにも表情豊かに、大きな声を出す女性だったのか。怒った顔で、そして困った様子で、どこか嬉しそうに微笑んで。その笑顔に朱が走った彼に、ふふんとあからさまに胸を張る伯爵令嬢。ご主人、わざとか。とクリストファーは呆れた。
テティアはフローリアとその婚約者である公爵子息が、上手くいっていないことを知っていた。婚約者の話をすると、いつもフローリアは悲しそうな顔をしていたから。婚約者が彼女の嫌いな相手なら、テティアはフローリアの背中を押して吹っ切らせようと思った。でも、「素敵な恋をしてほしい」と自分は叶わない恋を友達は叶えてほしい、と切なげに言う友達の背中を押さずして、何が友達か。
「今、フローリア様に見惚れましたね」
「なっ! そ、そんな訳」
「私はただフローリア様が、めっちゃ可愛くなる方法を実行しただけですよ。眼福でしたわ」
「……なんだ、その方法は」
くいくい、と手で公爵子息を呼ぶ伯爵令嬢。場の空気に呑まれ戸惑いながらも、おずおずと耳を貸し出す婚約者。フローリアは「何この状況」とまた婚約者に嫌われてしまった、と悲しんでいた空気が見事に霧散。クリストファーだけが、そんな彼女にどんまいと鼻をこすった。
それから一言二言テティアが耳打ちすると、「そんな馬鹿な」と半信半疑な公爵子息の背中を押した。いきなり見つめ合うような形にされ、緊張に顔を強張らせてさらに迫力のある顔になるフローリア。凶悪な美貌に一歩下がりそうになった婚約者だが、「ここで逃げる男なら、フローリア様は私がもらう。傷心中のフローリア様を優しく受け止める私。ついに身も心もほだされ、私の愛に溺れていくフローリア様に――」とそれよりも恐ろしい何かの声が後ろから聞こえ、全力で前に進んだ。
そして、意を決して――彼はこの凶悪な美貌を持つ己の婚約者が可愛くなるらしい方法を実行した。完璧な令嬢であり、いつも冷静沈着で何を考えているのかわからなかった女性。触れ合う時間より、噂としての彼女ばかりを知っていく時間。それでも、嫌いという訳ではなかった。彼女が必死に努力をしている姿は、遠目からだが見ていたから。
「す、――好きだ」
彼女には、素直な愛情表現が一番。その言葉と同時に、フローリアの目から涙が零れ、大輪の花が咲き誇る様に笑った。その効果は、呆然と立ちすくむ婚約者の様子でわかる。テティアは、花を咲かせた彼女はやっぱり綺麗だ。愛い愛いと、もはや愛娘を送り出す心境だった。
******
「あっ、メオさん。おかげで助かりました、ありがとうございます」
「いいよ、彼らのタイミングを計るのなら魔甲虫と契約している俺が適任だっただろうしね」
「はい、おかげでフローリア様の幸せそうな顔が見られました」
大変嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねるテティアと、その様子に頬を緩ませるメオは放課後の教室に残って会話をしていた。いつもは一緒に寮へ帰るテティアとフローリアだが、今日は初初しいカップルに譲ったのだ。かなり強引だったが、テティアには勝算があった。ぶっちゃけ、フローリアの笑顔を見て落ちないやつなんていない! という友バカな理由であったが。
友達から、いつも調子を狂わされる。と言われていたので、そのノリで彼女は突っ切ってみた。もっと安全でいい方法もあったかもしれないが、ずっと辛そうな顔をする友達を放っておけなかったのだ。でもその甲斐あって、フローリアの一番の花が見られた。眼福だった。
「嬉しいけど、でも寂しそうです」
「……うん、寂しくもある」
「素直ですね」
「メオさんが言ったじゃないですか。自分を偽っても仕方がないって」
あれが恋をした女の子の姿か……、とテティアは静かに空を仰ぐ。フローリアがテティアを眩しいと言っていたが、テティアもフローリアが眩しかった。魔獣術士一筋でそれ以外なんて二の次に考えていた自分に、恋の良さや苦さを教えてくれたから。ちょっとぐらい、恋愛を頑張ってみようかなと思えるようになったのは、間違いなく友達のおかげだろう。
ずっと独り身でもいい、とテティアは考えていた。だから、結婚できそうな相手を探しながらも受け身の姿勢でいたのだ。自分から動いたことなんて、本当に動物のことや友達のことしかない。誰かに好きになってもらう努力をしたことがなかった。家族を持ってみたい、という気持ちはある。誰かと寄り添ってみたい、という気持ちもある。でも、ずっと気持ちだけだったのだ。
ちらり、と目の前の友達を見る。テティアにとってメオは、好意を持っている友達だ。ライバルであり、友愛としての。でも、本当にそれだけだろうか。少なくとも、彼の好みがトカゲ顔と聞いて「どうしろと!?」と困惑した自分がいたではないか。それはつまり、もし彼の好みに自分が当てはまっていたらどう思ったのだろうか。自分の気持ちが正直よくわからない。テティアは頭を悩ませた。
「……そういえば。メオさんは、どうしてこの学園に来たのですか。魔獣術士としては、正直完成されていますよね?」
「えっ。あぁー、うん。実家がもう魔獣たちの巣窟だからね。使用人も魔獣が多かったし。だから俺がここに入学した理由は、その……ものすごく不純かもしれないけど、嫁探しかな? ほら、うち特殊だから」
「家だけが特殊ではないと思いますが……。あと私の目から見ても、嫁探しをしているように見えませんでしたよ」
「……だって、学園にいる小型の魔獣たちが可愛すぎて。ロロウェイ谷の魔獣って、俺の身長をはるかに超える巨体ばっかりだから。いや、そこもまたいいんだけどね」
まぁ、納得できた。確かに、テティア自身が自分みたいな女を嫁にしてくれる人を探していたように、メオも自分のような男の嫁になってくれる人を探していたのだ。そして、お互いに見事に玉砕しまくっていた。主に我が強すぎた所為で。
「学園に入れば、見つかると思っていたという訳ですか……」
「えっと、実は父さんにもしかしたらお嫁さんになってくれるかもしれない娘がいるから、とりあえず頑張れとも言われて」
「メオさんのお父さんって、えっ、おじさん?」
「うん、父さんも母さんを見つけるのに苦労したみたいだから。気に入ったら、話をしたり、助けたり、アプローチぐらいはしてみろと」
照れくさそうに頬を掻くメオに、テティアはきょとんと目を瞬かせた。そして少しの間考え、おじさんが言う娘って、もしかして私の事かと思い至った。しかし、アプローチなんて彼にされただろうか。それってつまり、彼に私は気に入られなかったということか。小さな痛みが、ズキッと胸をよぎった。
「……メオさんの方が素直すぎです」
「ごめん、そうかも。アプローチしようにも、どうやってすればいいのかわからないし。魔獣のことについてテティア嬢と語り合えることが本当に嬉しくて、楽しくて、……でもそこからどうすればいいのかもわからなくて。えっと、だから、今のも俺なりのアプローチなんだけど、やっぱり駄目かな?」
「ん?」
えっ、どこがアプローチ? どうもかみ合っていないような気がしたが、そういえばとおじさんの言葉をテティアは思い出す。メオは好青年で、物腰もやわらかで、女性にも丁寧だ。それで女性への扱いも手慣れていそうだと思っていたが、彼の父親は果たしてそんな風に彼を評価していただろうか。
『ロロウェイ谷の魔獣に囲まれて暮らしていたので、異性とあまり関わったことがなく、色々世間知らずなところもありますが――』。うん、そんなことを言っていたなー、と今更ながら思い出した。単純に、彼もテティアと同様に――どうやって恋愛したらいいのかわからない人種だった。魔獣相手に無償の愛は捧げられても、恋はやり方がわからない。
テティアは気づいた。そりゃあ、お互いに良い人と思って、好意を持っていても進展しない。だって、発展のさせ方がお互いに全くわかっていないのだ。自分の好意という気持ちが、恋愛という意味で本当に進めていいのか判断がつかなかった。だから、ライバルで友達という距離でいっかと納得していたのだ。
テティアは現状をなんとなく理解し、そして気づく。つまりこれって、お互いに一歩踏み出せばいいだけではないのかと。
「メオさんは、その、私のことをどう思っていますか? 私はあなたの好みのトカゲ顔ではありません。でも私は、メオさんに好意は持っています。髪もクリスと似た色でふわふわそうですし、ゴリラのように引き締まった身体はカッコいいですし」
「あ、ありがとう。トカゲ顔は確かに好みですけど、テティア嬢の髪は艶があってつるつるして綺麗ですし、さっきみたいにぴょこぴょこ元気に跳ねる姿はカエルみたいで可愛く感じます。友達のために一生懸命に頑張る姿は、まるで猪のように真っ直ぐで。俺もそんなテティア嬢の姿を好ましく思っています」
「まぁ……」
普通の感性の人物なら確実に引くような賛辞だが、大好きな生き物に例えられた二人としては最高の賛辞だった。お互いにどうしよう、どうしたらいいのか、とあわあわしながら数刻。これが恋かはわからない。魔獣たちを愛する気持ちとはどこか違う温かさ。一緒にいると楽しいし、マニアックな話に興奮するし、好ましくは思うというふわふわした気持ち。
でも、まずはそれでいいのかもしれない。偽っても仕方がない。今思う気持ちを素直に表現しよう。
「その……まだ恋愛はよくわからないのが本音ですけど、こんな私でよければこれからも一緒にいていいですか?」
「……うん。こんな俺でよければ、こちらこそよろしくお願いします。どうか一緒にいてください」
普通の告白とはどこか違う、どこかズレた告白。ただお互いに素直に気持ちを表現してみよう、と決めた。夫婦になるかはわからないけど、少しずつ自分から歩み寄ってみよう。そうして放課後の教室を、二人は一緒に並んで後にした。
******
「いい、テオ。ふわふわはすっごくいいものだからね。きゅるんとしてもふもふだよ! コーザス家のつやつや大好き遺伝子に全部負けちゃダメよっ!」
「あぁー、うぅー!」
「テティア、テオはまだ生まれたばかりだから言葉はわからないよ」
「だったら、もふもふだらけの部屋にしてやるんだから。大事なのは環境よ!」
コーザス家に嫁いだテティアは最初、ものすごく項垂れた。なんだ、このつるつる大好き一家はっ……! と。彼女はメオだけが特殊なのだと思っていたら、実は恩師である彼の父親も、祖父も、そのまた祖父も全員つるつるつやつやに鼻息が荒くなる一家だった。もっとたどれば、彼のご先祖様から続く業らしい。
それをまざまざと見せつけられたのは、三年前に産んだ長男のオルカだ。可愛い我が子の部屋に訪れた母が見た光景が――
「つやつやぁー」
「…………」
恍惚とした顔で、トカゲ顔の使用人にくっ付く我が子だった。
「テオだけは! テオだけは、もふもふっ子に育ててみせるんだから! つるつるつやつやもいいけど、私だってもふもふでふわふわできゅるんとした魔獣の良さについて、我が子と語り合いたいのっ!」
「そ、そうか。わかった」
「さぁ、クリス! テオをその毛皮のふわふわさで包み込むのよ。あと、魔熊のベルルや魔鳥のチュンタも呼んで……、そういえばあの子たち子どもができたって言っていたっけ。うん、オルカとテオの友達になってくれるか聞いてみよう」
みんな大好きで、大切な家族だが、それはそれ。これはこれ。好みだけは仕方がない。家族愛に優劣は一切ないが、それでももふもふの良さについて語りたい欲求は消せないのだ。夫もそのあたりの理解はちゃんとあり、むしろやっぱり元気な妻は可愛いなー、とほっこりしていた。彼女の親友である公爵夫人にべったりしている時は、ちょっと困った顔をしてしまうが。
ちなみにその夫から、「お前の妻をなんとかしろ!」と迫られるのはメオである。テティアのおかげで両想いになれたので、彼女に強く言えないのだ。それでいて、フローリアに遠慮なく愛の告白をしまくるテティアに気が気じゃない。おかげでそれに対抗意識を出して、毎日がフローリアへの愛の告白祭り。公爵夫人が一番羞恥心の幸せダメージを受けていることだろう。
「……あっ、そうだわ。ちょっとメオに聞いてみたいことがあるんだけど……いいかな?」
「どうした?」
可愛く小首をかしげるテティアに、メオは微笑んだ。それに妻はいたずらっ子のような笑みを浮かべ――
「私と動物どっちが好き?」
「………………」
メオは固まった。
「おかあさーん。おとうさん、ずっとうんうんうなっているけど、どうしたの?」
「そうねー、ふふふっ」
「えへへ、おかあさん、うれしそう」
「きゃきゃっ!」
三歳の長男と生まれたばかりの次男をあやしながら、テティアは花が綻ぶように笑った。本当に本当に、なんだか嬉しくて。やっぱり自分は変わり者だなぁー、と小さく噴き出した。




