モガとモボを気取った交差点の事情。
レストランに行きたいのです。
彼女がそういうから、私は行けばいいのじゃないですかと答えました。
私は交差点で信号待ちをしているところで、ポケットから小さく折り畳んだ新聞をとりだして、めざとく紙面を眺めていた時、隣の御婦人がそういったのです。つまり、見知らぬ他人でありました。私がぞんざいながらもきちんと彼女に応答を返したのは、第一に彼女がはっきりと私を見ていて、これが私に投げかけられた台詞であるということが明確であったことと、第二に彼女の身なりがきちんとしていたこと、そして第三には、彼女が見目麗しく、いかにも私の好みであったからでした。
行きたいのですけれども。
何かまずいことがおありなのですか。
靴が……。
靴?
靴が結べなくて困っているのです。
そこで私は合点がいったのです。彼女は洋装でした。近頃流行りのように、銀座をぶらついて、はじめて入るレストランを夢想して、うきうきとスカートに足を通したのでしょう。靴も、きっとお抱えの店であつらえたに違いません。しかし、この靴というもの、下駄や草履とはいささか勝手が違います。一度紐がほどけてしまえば、慣れない婦人にとっては難儀するしろものでしょう。人前でしゃがみこむのを恥じらっているのかもしれません。
おそまきながら、彼女の意図に気付きました。
私も洋装です。だからでしょう。彼女が私に声をかけたのは。おそらく私は、今、この交差点に佇んでいる人間の中で最もうまく靴紐を結べる男でした。
よろしい。結んで差し上げます。
ああ、本当ですか。
レストランの場所はご存じで。
友人に地図を書いていただきました。
四丁目であれば、私にとっては勝手知ったる街並みです。よろしければ案内を?
まあ、本当に。よろしいので。
そのかわり、もし、ご同伴される相手がいらっしゃらないのであれば、どうか私もレストランの席に連れ立っていただきたいのです。
それは……。その、エスコートしていただけるのですね。
メニューを読んで差し上げますよ。
彼女を連れだってくぐるレストランの扉は軽やかでした。
私は鼻が高かったのです。
彼女が鋭利なフォークでうっかりと指を痛めた時は、はらはらとしましたが、彼女はくすりと笑って、もう血も止まりましたわと私の差し出したハンカチを押し返しました。
私、最後にこれを頼んでみたいのです。
どれですか。
なんと読むのでしょう。じー、おー……。
英語がお出来になるので?
学校で少しだけ。
はにかむ彼女はかわいらしかったのです。そうでしたか、学生さんでしたか。
これは、ゴルゴンゾーラと読むのでしょうね。おそらくですが。
ゴルゴンゾーラ。どんなお料理なんでしょう。
さあ、そればかりは私も。食べたことがないのです。
あら。
ここで彼女はくすぐったそうに笑ってみせます。
私の台詞を、謙遜と受け取ったのかもしれません。
何でも知っているのかと思いましたわ。
何も知りませんよ。私は、何も。
私は、コップの水をさりげなく飲むふりをして、赤くなった顔を隠さねばなりませんでした。
そして、小さな声で、知るにはまだ会った時間が短すぎます、と付け加えたのです。