不条理の大きな蕪
ねずみが朝起きて、久しぶりに畑に向かうと、そこには見たこともないくらいおおきなおおきな葉っぱが空へと向かって真っすぐに生えていました。
鷲の羽みたいなおおきな葉っぱは、端の方こそくしゅくしゅに萎れてしまっていましたが、真ん中にある、ねずみの胴体よりも太い葉の主脈は、頬ずりしたくなるくらいみずみずしくて、滑らかでした。
がぶりと、かぶりついたらきっと野菜のあまいあまい味がするに違いない、そう思うとねずみの口の中には、たっぷりとつばが出てきてしまうのです。
それにしても、とねずみは首をひねります。
――こんなにおおきなおおきな葉っぱは見たことが無いぞ。
いつも畑に落ちた葉っぱとか、おじいさんが収穫した後こぼして行った小さい野菜とかを、こっそり拝借しているねずみは、きっと地球で三番目にこの畑に詳しいはずです。
一番目はおじいさん、二番目はおばあさん、三番目はねずみ。野菜大嫌いなやんちゃ坊主も、甘いおやつが好きなお嬢ちゃんも、酒蔵を寝床にしている猫も、柱に鎖でしばられてぐるぐるしてる犬も、だあれもこんな素敵な畑に目をくれようとしないのです。これだから、教養がない奴らはいやになっちゃう!
急に風が吹いて、おおきなおおきな葉が、ゆらゆらと揺れました。
その様子はまるで、青空を履き掃除して、白い雲をあっちへあっちへと寄せているようです。
ははあ、なるほど、青空をお掃除するためのほうきだから、こんなにあおあおしていて、みずみずしくって、大きいに違いない。枯れ枝を束ねた様なちっちゃな箒じゃ、いつまでたってもお空のはき掃除は終わらないもんな。
ねずみはこんな風に、ちょっと詩人の気分を楽しみました。けれども、ずっと葉っぱを眺めているだけじゃ、これが一体何の葉っぱなのかは分かりません。葉っぱの背の高さは、ねずみとは比べ物にならないくらいで、きっとあの葉っぱのてっぺんに登ればおじいさんのはげ頭も良く見えるにちがいありません。
葉っぱのてっぺんをずっと眺め続けて、首が痛くなってきたな、と思っていると、不意に生温かい息の臭いがしました。思わずねずみが振り返ろうとすると――
「にゃぁお」
――と、急にねずみの耳元で、しわがれた声が聞こえました。
全身の毛がそわそわそわと逆立って、ねずみ自慢の尻尾はぴぃんとまっすぐ立ってしましました。ねずみが、蚤のように小さい心臓をぴょんぴょんさせながら、恐る恐る振り返ると、そこには猫がにやにやしながらのぞきこんでいました。
「……はぁ、驚いた。なんだ、ねこか」
「なんだとは、なんだぁい。ところで、こんなところで一体全体何をしているのさぁ」
ねずみは、自分の後ろにあるおおきな葉っぱをさして言いました。
「これを見ていたんだ。……こんなもの前からあったかなぁ?」
「なんだい、これは?」
「わからない。何の葉っぱだろう?」
猫は、あまり興味がないようです。ねずみはその事に少し失望しながらも、またおおきな葉っぱを観察することにしました。
「こんな、おっきくて背の高い葉っぱは見たことないや……。おいらの何倍くらいあるんだろう、でっかいな……」
「そんなもの眺めて、何が楽しいのさぁ。葉っぱなんて水っぽいだけだし、ねこじゃらしにならないならただ邪魔なだけだよ」
猫は、ねこじゃらしのことを頭の中で思い描いたのでしょう。顔をだらしなくゆるめてなうなう言いながら、手を宙でかいています。
「……野菜の美味しさが分からないなんて、子どもだなぁ」
本当は猫の方が年長なのですが、ねずみたちは野菜の甘さが分かって初めて一人前です。チーズみたいに分かりやすく美味しいものばかり好む猫は、例え年上であっても、半人前。野菜を食べないなんて、紳士淑女の態度じゃありません。
「どうせ食べるなら、あたしゃ、もっと美味しい物がいいねぇ。……例えば、ねずみとか! にゃぁあ!!」
「うわぁ!」
猫が、口の中の赤色を精いっぱいに見せつけてねずみを脅かしてきます。ねずみは、猫が本当に自分を食べるつもりが無いことも、彼女がただの寂しがりやで甘ったれの悪戯好きであることも、これまでの付き合いで知っていました。でも、猫に驚かされて身体がすくんでしまわないねずみはいません。ねずみだから仕方ありませんね。
ねずみが驚いて、思わず二三歩後ずさると、何かに足を引っ掛けてしまいました。
「っ、おっと……、あれ?」
ねずみが足を引っ掛けた所の土がめくれて、中から白くてすべすべしたものが出てきました。良く見ると、どうやらこの大きな葉っぱは、丸くて白くてすべすべしたものから生えているようです。
「うわぁ、まっしろだ。そして丸くて……、なんだろう、これ?」
こんなに白くて丸い物は、世界で三番目にこの畑に詳しいねずみでも見たことありません。
「まっしろで、まあるい……、もしかしボールかなぁ?! あたしはボールが大好きなんだよ。まんまるの……、いいなぁ、ころがしたいなぁ……」
猫が目を嬉しそうに細めてねうねう言いながら、地面の辺りをひっかくようなしぐさをしました。
「ちょ、ちょっと。ちょっと、まってよ。ポールから葉っぱが生えていたらおかしいよ」
「じゃぁ……、もしかして毛糸玉! 毛糸玉もねぇ、ふわふわしていて、こう、ころころぉ、っと」
猫はとうとう、背中を地面にすりつけながら、身体をくねらせました。きっと空想の毛糸玉と遊んでいるんでしょう。
「だから! そんなものに葉っぱが生えているはずないじゃないか!」
ねずみが、精一杯に叫びます。猫は、「毛糸玉遊びごっこ」が邪魔されてつまらないのか、たいそう不機嫌そうに言いました。
「じゃぁあ、これは何だっていうのさ!」
「……えーっと」
世界で三番目に畑に詳しいねずみでも、こんなに大きな葉っぱが、それもまあるくて白いものから生えているのは見たことがありません。
白い雲が流れてきて、太陽を隠しました。不意に辺りが暗くなって、なんだか寒くなったような感じさえしてしまいます。青空なのに、辺りは薄暗い。ねずみは急に心細い気分になってしまいました。
――もしかして、これはとても不吉なものなんじゃないだろうか。
「……もしかしたら、これは、お化けかも、しれない」
「葉っぱが生えているお化けなんて、あるはずないさ!」
猫が、鼻で笑います。
「前におじいさんが、言ってた。土の中に埋まっていて、無理に引っこ抜くと大きな声で叫んで脅かす化けものがいるんだって」
そして、おじいさんが語っていたことは、たしか、その叫び声を聞くと、恐ろしさのあまり心臓が止まってしまうんだとか。ねずみの心臓は特別小さいですから、止まるどころじゃ済まないかもしれません。
そう考えると、なんだか大きな葉っぱが急に恐ろしい物に感じられてしまいます。ねずみは、土に埋まっているかもしれないお化けを起こさないように、ゆっくりと葉っぱから離れます。猫も同じように、少しずつ葉っぱから逃げようとしているようです。普段は面白そうな者にまっすぐ向けられるエメラルドグリーンの目も、葉っぱの方を出来るだけ見ないように、でも少しだけ視界に入る様にきょろきょろと左右に揺れています。
ねずみたちと葉っぱまでの距離は、ねずみの身体20個分ほど。これだけ離れていれば、万が一お化けが襲ってきても逃げられるでしょう。
不意に、風が吹きます。
葉っぱが、さっきまでと同じようにさわさわと揺れます。その葉脈は、不思議なくらいに力強くって――もしかして、あの葉っぱの根元には死体が埋まっているのかも知れない、きっとお化けは誰かを食べて、あっという間に大きくなったに違いない。
ねずみ恐くて仕方がありませんでしたが、背中を向けたらお化けに襲われてしまいそうで、葉っぱから目を離すことが出来ませんでした。
「……ねぇ、ちょっと。あんた、ちょっと確かめてきてよ」
と、猫。
「いやだよ。もし、もし本当にお化けだったら……どうしよう」
「……こんな畑の真ん中にお化けなんているはずないじゃない」
「じゃあ、自分で確かめてくればいいじゃないか」
「いやよ! 怖ッ……くないけど、もし万が一本当にお化けだったら……、その、困る、じゃない」
「……怖いんだ、ねこのくせに」
「怖くなんてないよ!」
「じゃ、じゃあ、おいらが確かめに行くから、後ろからついてきてよ。怖くないんでしょ……?」
「……怖くないよ! 怖くなんて、ないんだから、後ろからついていってあげる」
ねずみを先頭に、三匹は少しずつ葉っぱに近づいて行きます。
ねずみは自分の呼吸が浅くなっていることに気付いていましたが、どうしようもありませんでした。後ろの二つの呼吸音もなんだかとても荒くて、きっと怖いんだなと、なんだか妙に冷静に考えてしまいます。
葉っぱまであと一鼠身。恐る恐る葉っぱの根元のまあるい部分の白い肌に触った瞬間――
「まおぉーーん!!」
鋭い叫び声がしました。
「うわぁぁ! で、でたぁー!?」
低い様で高い様で、腹の底から震えるような、鼓膜が鋭い刃物で裂かれるような。
その声の大きさと言ったら、向こうの山まで届いて、跳ね返って戻ってくるほどです。
そんな叫び声が、後ろからしました。
ねずみが恐る恐る振り返ると、そこには、桃色の舌をだして、目をきらきらと輝かせた、尻尾を左右に激しく振っている犬がいました。
「……なんだ、犬か」
「わんっ」
「え、なに、なに? え? 犬、犬?」
「ふたりともっ、こんなところでなにしてるんだいっ!」
犬は興味津々です。この犬と言ったら、何でも知りたがって、嬉しいことがあったらくうんくううん言いながら走り回って。でも悪気はない犬を、ねずみは嫌いではありません。
「おいらたち、これを見ていたんだ。これなんだか分かる?」
「これは、葉っぱだよっ!」
犬は自信満々です。
「それくらい、わかってるよ。あたしたちが聞きたいのは、これが一体どんな葉っぱかってことさ」
「ぼく、こんなおおーきな葉っぱ、見たことないよっ」
「……この葉っぱ、白くて丸い物から生えているんだ」
ねずみは葉っぱの根元を指差します。
「白くて、丸い……! もしかしてボールっ!?」
「やっぱり!」
犬もボールが大好きなのです。
「違うよ! そうか、知らないのか……」
犬は、ボールじゃないと聞くと、耳をペタンと伏せましたが、しばらくすると耳を三角形にピンと立てながら言いました。
「そう言えばっ! おじいさんがこの葉っぱを見ながら『大きくなあれ、まぁるくなあれ』って言ってたっ。その時と比べて、この白くまあるいところ、確かに大きくなってるよ」
「白くて、丸くて、大きくなる、もの……」
「なんだか、風船みたいだねっ! まあるくて、どんどん膨らんで行くのっ!」
「ねえ」と、ねずみ。
「なあにっ?」と犬。
「……」猫は何も喋りません。
「もしあれが、風船みたいにどんどん膨らんで、そして……風船みたいにわれちゃったらどうしよう……!」
「なんだか、あたしたちが最初に見た時より、少しだけ大きくなっている、気がする、かも」
「……どうしよう! 風船より何倍も大きいのに、あれが割れたら……もう爆弾だよ!」
「ぼく、爪で風船割っちゃったことがあるんだけど、びっくりしたなぁ。耳がきーんってなって、何日も治らなかったよっ!」
「おいら小さいから、吹き飛ばされて帰ってこれなくなっちゃうかも……」
「ええっ? どうしよう! 早く逃げないと」
犬がその場でぐるぐると回り始めました。
「……でも、あのまま放っておくわけにいかないよ!」
世界で三番目にこの畑に詳しいねずみは、世界で三番目にこの畑が大好きなねずみでもあります。
「じゃあ、どうするっていうのさ!」
「ぼ、ぼくは無理だよっ! 爪も牙も尖っているし、きっとちょっと触っただけで爆発しちゃうよっ!」
「あたしも駄目よ! 爪も歯もあるもの! ねずみにはないでしょ、あんた行ってきなさいよ!」
「嫌だよ、鼠にも歯ぐらいあるよ! それにおいら知ってるんだからね。君が今朝、裏口にある古びた木材で気持ち良く爪とぎしたのを! 今ならちょっとぐらい触っても爆発しないよ、だから……」
「あっ!」
突然、犬が間抜けな声をあげました。犬の鼻の向いている先、おおきな葉っぱがある方向から、一人の女の子が歩いてきます。この畑の持ち主のおじいさんの孫娘である、ターニャです。
「……ターニャちゃんだ!」
犬は、おおきな葉っぱのことも忘れて、尻尾をぶんぶんと左右に振ります。
ターニャは、まるで天気のいい日にお散歩でもみたいに気軽に、葉っぱの方へと歩いてきます。
「あ、危ない!」
「ターニャ、それ以上近づいちゃダメだ……! 爆発するぞ……!」
「ターニャちゃん! 危ないよっ! 爆発しちゃうよ!」
と、三匹は叫びますが、ターニャはそんな切羽詰まった様子に気が付ついていないようです。
「え、なになにー? みんななにしているのー?」
それどころか、ターニャは三匹の方に、葉っぱの方に、それは楽しそうに近づいてこようとするではありませんか!
――それ以上近づくと、爆発してしまうかもしれない!
ねずみはそう思い、ターニャを止めるため走り出そうとしました、が
「駄目だ、あんたまで巻き込まれるよ!」
猫がそれを許してくれませんでした。
「……こういうときは、あたしみたいに、冷静に対処、しなきゃ」
猫が、意を決した表情で、奥歯をかみしめたままつぶやきました。そして、ターニャの方へ、つまり大きな葉っぱの方へ一歩踏み出すと叫びます。
「ターニャ!! その危険物から、ゆっくり、そうゆっくりだよ! 離れて!」
そんな猫の決死の思いが伝わらないのか、ターニャは至ってのんきそうに聞き返してきます。
「え、きけんぶつ? どこにあるの?」
「その白くて、丸いのだよっ! ば、爆発しちゃうかも!」
犬の尻尾はくるんと丸まって、お尻の方から後ろ足の間にしまわれています。
「ばくはつ……?」と言いながら、ターニャは足元の白くてまあるい部分を見つめると「爆発するはずないじゃない、植物だもの」
と、さも当たり前のように笑ったのでした。
「……爆発、しないの?」
三匹を代表して、ねずみが、慎重にききます。
「しないわよ」
爽やかな風が吹きました。
それまで暑苦しい空気を、どこか知らない場所へ持って行ってしまったみたいでした。
「なあんだ、心配して損した」と猫。
「びっくりしたぁ」と犬。
「なんで爆発するのかと思ったの?」
とターニャが聞いてくるので、ねずみは自分たちの名推理――それは間違っていたのですが――を教えてやることにしました。
「まあるっくて、だんだん大きくなっているから、風船みたいに爆発しちゃうかもっておもったんだ。ねえ、あれなんだか分かる?」
「おじいちゃんが育ててるのは知ってたけど、何だかは知らないわ」
「そうよね、そもそも葉っぱが生えてるものが爆発するはずないって、あたしは思ってたわ」
「一番びびってたけどねっ!」
「そんなことないよ!」
これまでのぴいんと張りつめた空気なんてまるでなかったみたいに、猫と犬はじゃれ合っています。
「……そういえば、おじいちゃんがこの葉っぱに水をやりながら『甘く、甘あくなあれ』って言っていたわ。だから、あれは甘いものなのよ」
ターニャが自信満々に言います。
「白くて、丸くて、大きくて、甘い……?」とねずみ。
「……ケーキ?」と猫。
「ケーキっ!」犬はもう大はしゃぎです。「ケーキだよ、きっとっ!」
「そうかしら……」ターニャはちょっと細い眉を顰めています「でもこれ、つやつやすべすべしていて、ケーキには見えないけど……」
そもそもケーキが地面に埋まっているはずない。でもそんな事、犬には関係ありません・
「きっとその中に、甘くてとろけるようなクリームが詰まっているんだよ!」
その白くてまあるい実を割ると、その中にとろとろで、ぷるぷるで、とっても甘いクリームが出てくる。それをスプーンですくって一口食べたら、それはそれは美味しくて、ほっぺたが落ちてしまう――と思う、と犬は興奮した様子で、きゃんきゃんと言っています。
「……おいら、甘い野菜のほうがいいな」
ねずみは、紳士ですから、そんな子どもっぽい物は食べませんったら。
「あたしは、いきのいいねずみなんかを食べたいなぁ」
「おいら、甘くないよ、おいしくないよ」
「そんな植物だったら素敵ね。もしかして、果物なのかしら。どんな味がするのかな?」
最初は疑い深い目で野菜を見つめていたターニャも、何だかはしゃいでいる様子。きっと甘いフルーツを思い浮かべているのでしょう。
「果物もいいけど、ぼくはけーきがいいなっ。ふわふわのケーキに、とろとろのクリームっ!」
犬はまだその場でくるくると回っています。
「……それで、結局の所、これは一体何なんだろう?」
二匹と一人は、首をかしげます。犬だけは、未だこの白くてすべすべしていて、まあるい実がケーキだと信じているみたいです。
「……お兄ちゃんは知っているかな? 聞いてみましょう!」
おにーちゃーん、と大きな声を挙げながらターニャはお家の方へ走って行きました。
しばらくして、ターニャはお兄ちゃんのアリョーシャの手を引いてまた、三匹の方へ走って戻ってきました。
「なんだよ、急に」
アリョーシャはなんだか不機嫌そうです。でも、ねずみは知っています。アリョーシャが不機嫌なのは本当に機嫌が悪いんじゃなくって、口をへの字に曲げて、眉毛を片方挙げて、ちょっとだらしない格好で斜めに立っている方が、悪っぽくてカッコいいと思いこんでいるということを。ねずみは、それがカッコ悪いのを知っていますが、黙っています。だってちょっと悪ぶってみたいのは、若い時にみんながかかる麻疹みたいなものですからね! ねずみは紳士だから温かく見守ることに決めています。
「ねえねえ、お兄ちゃん! これなんだか分かる?」
ターニャが無邪気に聞きます。
アリョーシャは、一瞬眉をピクリと動かしてから、少し落ち着かない感じに視線をさまよわせてから、左手で耳元の髪の毛をいじりながら答えました。
「……。おう、おれ、知っているぜ! 知ってるってば! えーっと、たしか、なんだっけ。……そうだ、『かぶ』だ! これ『かぶ』っていうんだぜ、おじいちゃんが言ってた!」
「へー、かぶ……」と、猫。
「かぶ、ねえ……」と首をかしげるのはターニャ。
「かぶ……」ぽつりとねずみがつぶやきます。
「かぶ、ってなに!」
犬が興味津々と言った感じに聞いてきます。好奇心が旺盛な犬は、自分が知らないことを知るのが大好きなのです。
「あたし、しらない」
「おいらもわかんない」
「わたしもしらないわ。ねえ、お兄ちゃん、『かぶ』ってなあに?」
ターニャがそう訪ねると、アリョーシャは胸を張って鼻息を荒くしながら、
「かぶって言うのはなぁ、バイクのことなんだぜ! おじいちゃんが、前に行ってた!」
と自信満々に答えました。
「ばいく?」犬はどうやらバイクのことも分からないようです。
「バイクな訳ないじゃない!」ターニャが心底軽蔑した目でアリョーシャを見つめます。
「でもじいちゃんが……」
「バイクには葉っぱが生えてるの? 土に埋まっているの?」
「……埋まってない、けど」
「もう! いっつも嘘ばっかり!」
「はぁ? おれがいつうそつきましたー?!」
「いつもは、いつもよ!!」
ターニャとアリョーシャが、口喧嘩をする時は、いつもターニャが勝ちます。だから今日もターニャが勝つでしょう。アリョーシャも背筋をまっすぐにして立って、見栄っ張りを直せば口喧嘩で負けることなんてないだろうに、とねずみはいつも思うのですが、口には出しません。だってそう言うのは自分で気がついてこそ意味があるんですからね。
犬と猫が『ばいく』について話し合っているのを、ターニャとアリョーシャが言い合っているのを耳だけで聞きながら、ねずみは大きな葉っぱを見上げました。葉っぱは一番最初に見た時と変わらず、力強くゆらゆらと、青空を履き掃除しているみたいでした。
ぽつり、と青空にいくら履いても綺麗にならない、小さな黒い点が現れました。よくよく見るとそれは、カラスでした。カラスはねずみが自分の方を見つめているのに気が付くとゆっくりと降りてきました。
「よぉ、ねずめ。そろいもそろってなにしてんだい?」
「やあ、カラス君。実はね、このでっかくてしろくて丸くてつやつやしているものがなんなのかを話し合っているんだけど、いつまでたっても答えが出ないんだ。もしかして、いろんな畑を飛び回っておこぼれを頂戴している君のことだ、これがなんだか知っているんじゃないかい?」
カラスは、ふむと一瞬考えてから、答えた。
「俺はいちいち食べ物の名前なんて覚えないからな。悪いけど、『これが何なのか』には答えられないぜ」
「そっか、君でも分からないのか」
これだけ集まっても答えが出ないのです。カラスが知らなくても無理もないことでしょう。ねずみがそう思った時、カラスが続けました。
「でもよ、多分食べたことがあるぜ。甘くて旨かった」
そう言うと、カラスは大きな葉っぱの根元、白くて真ん丸で真っ白な所に近づくと、黒いくちばしでかぶりと実を食べました。
「いやぁ、これも旨いな。でかいから大味かと思ったが、きちんとした味がしやがる。ここのじいさんは、畑仕事が本当に上手いなあ」
カラスは独りで満足そうに、しゃくりしゃくりと『かぶ』を食べています。
「へえ、そうなんだ。じゃあおいらも……」
ねずみは『かぶ』に近づくと、小さな歯でかぷりとくらいつきました。初めて食べる『かぶ』は甘くてさくさくとしていて、これまで食べたことが無いほど、御馳走でした。
「カラス君、この野菜は『かぶ』っていうんだってさ」
「へー、そうなのか。でも悪いな、教えてもらっても、俺はたぶん忘れちまうぜ」
「なんでだい? 正しい名前を覚えておけば、なにか役に立つかも知れないじゃないか」
「そんなこと言ってお前たちは、こんな美味しい御馳走を前にしてあーでもない、こーでもない、って悩んでたんだろ? そんなことするんなら、それが本当は何かとか、名前がどうだとか考えずに、食っちまえばいいのさ。どうせ俺たちに大切なのは旨いか旨くないかそれくらいんなんだから」
カラスはそう言うと、西の方に沈み始めようとしている太陽の方をちらりと見てからいいました。
「おっと、悪い。今日は三丁目の畑の案山子の所に遊びに行く約束なんだ、じゃあな、また来るぜ」
と、言うや否や、さっと飛び去って行きました。
あっという間に見えなくなったカラスを、しばし見送ってから、ねずみはもう一口だけと『かぶ』をほおばりました。
初めて食べる『かぶ』はあまくてあまくて、なんだか良く分からないけど、ボールの味と、お化けの味と、風船の味と、ケーキの味と、バイクの味がしたような気がします。
カラス君は甘くて旨いとしかいってなかったけど、彼もボールの味とお化けの味と風船の味とケーキの味とバイクの味をかみしめたのでしょうか。
ねずみは、少しのあいだ考えましたが、しばらくしてから考えるのをやめました。なんてったってねずみの脳みそは、とっても小さくて人間の小指の先ほどの大きさしかないのですから、小難しいことを考えることは出来ません。
ねずみは今日一日散々考えたりびっくりしたりしたことなんで忘れて、もう一口だけ、もう一口だけかぶにかぶりつきます。
今まで肌を撫でる程度に吹いていた風が凪いだ様です。見上げると、空のお掃除も終わって、雲ひとつない空は少しずつ赤く染まって行くところでした。
かぶの葉っぱは、何事もなかったかのように、まっすぐと、身じろぎもせず天を衝いていました。
fin
人形劇用に書き下ろした戯曲でしたが、「子どもには受けないんじゃないか」という意見を受け、全会一致で没になり、お蔵入りしたものを、小説化しました。
演じてみたいという酔狂な方がいればどうぞご自由に。