俺とじいさんと土産話
即興小説から。お題:平和とセリフ 必須要素:チューペット 制限時間:30分の条件付きでした。
離島というのは、ほとんど異世界のようなものだ。
大学進学で都会に住むようになって以来、俺はそう思うようになった。この島と都会じゃ、何もかもが違う。風景や、食べ物の美味しさはもちろん、価値観や常識まで違う。
都会の人間は田舎の離島をのほほんとした楽園のように思っているが、実際にはそんなことはない。不便なのはもちろんだが、田舎特有の変なしがらみは多い。凝り固まった狭い人間関係の中で、昭和から止まっているような生活をしている。
坂道の上の方にある我が家から、歩道もない狭い道路を下りていくと、知った顔に出会った。もっとも、この島ではお互いが顔見知りでないという方が珍しいが。
「よう、坊主。帰ってたのかい」
「ええ、夏休みです」
実家の近所に住んでいる、九十も近いじいさんだ。島で唯一の雑貨屋を夫婦で営んでいたが、俺が大学にいく少し前に奥さんに先立たれていた。子供はじいさん夫婦が若い頃に亡くなったらしく、跡取りもいない様子のあの店は、恐らくそう遠くないうちに閉店することになるのだろう。歳の割にしゃんとしていると言っても、九十もすぎてずっと店をやっていけるわけもないだろう。帰省するたびに「なくなっちまったかな?」と思って覗いて、まだやっていることに驚く。ちなみに、この夏も驚かされた。
「店によってけや」
「いいですけど、賞味期限は気にしてくださいよ」
じいさんの店は雑貨屋ではあるが、駄菓子なども売っている。子供の頃はよくお世話になったが、あまり品質管理はよくなくて、気づけば賞味期限切れが混ざっていることもしばしばだ。
「こまかいこと気にすんな」
「いや、しますし。……あ。チューペット、懐かしいなぁ。都会じゃあんまり見かけない」
子供の頃によく冷凍庫で冷やしてアイスにした、棒状のチューブに入ったジュースだ。チューペットという商品だった。今はチューペットは販売していないらしく、こうした類似商品をたまに見かける程度だ。類似商品なのだが、棒ジュースを見ると「チューペット」と呼んでしまう。
「それなら冷凍庫にあんぞ。くってけや」
「いいんですか? じゃあ、いただきます。あ、これはこれで買ってくんで」
店の奥の、住居になっている部分に引っ込んだじいさんが、凍った棒ジュースを持ってきた。
決して上等なお菓子ではないはずだけど、暑い島の夏ではこれが至高のおやつだった。
「こうやって坊主と一緒にアイス食ってると、昔を思い出すねぇ」
「あー、そういえばこうやって、一緒に凍らせたチューペット食べていたことありましたね」
いつだったか……確か小学校で戦争に関する作文を書かされた時だ。祖父母をすでに亡くしていた俺は、年齢的に確実に戦争経験者であるこのじいさんに話を聞きに行った。
戦争はどうだったのかを聞いた時、じいさんはこう答えた。
「あー、満州に行ったんだがな。行った途端に戦争が終わっちまったんで、お土産買って帰ってきたなぁ」
俺は馬鹿正直にそれを作文に書き、教室にいた全員から爆笑されたのだった。
何で嘘をついたんだって、泣きながら怒って、だけどじいさんは「すまんなぁ」と言って俺にまた凍らせたチューペットをくれた。それで何となく、なし崩しに流されてしまった。
都会に行って時間は停滞してなんかいないことを知り、田舎に帰る度に自分がこの島の常識から遠ざかっていることを知り、自分はいやがおうにも大人になっていくことを知った今なら、わかる。
あのバカバカしい冗談の裏に、じいさんの様々な思いが隠されていたのであろうことを。
きっとじいさんは、満州で戦争などせずに、お土産を買ってのほほんと帰ってきたかったに違いない。
「この島は平和だな」
「都会は平和じゃねぇのか」
「いや、平和だよ」
田舎のしがらみも、都会のせわしなさも、何もかも。
命を危険にさらすことも、悲しみと背中合わせになることもない。
「何かお土産買ってくればよかったな」
そう言ってみると、じいさんはあの日のことを覚えているのかいないのか、白い総入れ歯を見せてニッと俺に笑って見せた。
ちなみに「戦争に行ったけどすぐに土産買って帰ってきた」は私の亡き祖父(89歳大往生)が実際に小学生当時の私に言ってのけた伝説の迷セリフです。祖父の出身が広島ということで色々お察ししたのはだいぶ後でした。