母と犬と私の静謐な女子会
引き篭るばかりが楽しい訳ではない。燦々とした太陽を浴びて街を歩いたり、学校で友達と話すのは好きだ。けれど「私だけの世界」はどうしても必要なのだ。
世俗から一線引いて、一人の世界に没頭出来る部屋がある。一家の隅に設けられた、自室だ。そこのドアを閉めたら、当然ながら私一人の空間になる。外と「私」を遮断し、パソコンを開いて夜が更けるまでキーボードを叩く。もはや習慣だった。部屋の中にいるときだけ、私を邪魔出来る他人なんて誰もいないんだわ、という気分になる。
けれど邪魔はいとも簡単に入るし、そもそも鍵のない部屋には、誰だっていとも簡単に入れるのだ。
母がドアをノックし、勝手に仕事の愚痴を吐き散らし勝手に去っていくのもまた、母の習慣だった。私にとっては日常茶飯事でも、習慣ではない。邪険にしすぎるのは悪いと思って、いつも何となく聞き流す。母はそれでいいらしいから、懲りずに私の部屋にやって来て、楽しい話題とネチネチした話題を交互に織り交ぜて私にぶつけてくる。
いや、ぶつけると言うと乱暴な言い方になる、投げかけてくる? 適切な言い方が見つからない。そもそも母は、私に言葉を受け入れてもらいたくて仕事の愚痴を喋りに来るのではない。言葉のキャッチボールなど我々はハナから期待しておらず、母がボールを勢いよくバウンドさせるのを、私が見ている、という感じだろうか。
それは、私が一方的に話をする逆のパターンでも、同様だった。我が家の構成員は、皆、感情を赤裸々に吐露して真剣に相談し合うほど、自分の内面をひけらかさない。自分のことは自分で解決したい、少なくとも私はそう思っているからだ。
そんな私より、余程愛想よく母の話を聞き流してくれる奴がいる。
部屋に篭っていると、乱暴なノックが叩かれる。来たな、と私は顔を顰めた。地べたに這いずっているのかと思うほど、床に近い位置から音がする。無機質な爪の音だ。
まごうことなき、我が家の犬である。あまりにうるさいので開けてやると、つぶらな瞳を向けて彼女は、にやあ、と笑う。毛ダルマの口裂け女め、と内心で悪態をついてやると、母が嬉しそうな顔で部屋を覗いてくる。タッグを組んできた訳だ。こうなると私は、さすがに引き篭るのを諦めざるを得ない。
幼い頃は、父がよく部屋に襲撃してきた。あまり思い出したくないので詳細は記述しないが、とにかく、私の部屋はいつでも騒がしかった。けれど私が、独自の一人遊びを覚え、それがいつしか遊びから趣味へと変わり、趣味と呼ぶかどうか迷うほど真剣に向き合うようになってから、途端に私の部屋は静かになった。
休憩がてら、イヤホンで耳を塞いだりして、静寂を打ち消しているから気づかなかったのだが、外部からすれば、今の私は実に寂しい人間であろう。生活臭だけが充満する狭い室内に、毎日、一人で閉じこもるのだから。
それでも母と犬は私の部屋を訪ねる。たとえ愚痴を吐きに来るだけでも、純粋に遊んでほしいからちょっかいをかけてくるのでも、確かに私が家に存在している事実を、きちんと認識していなければしないことだ。当たり前に見えて、これはとても幸福なことではないだろうか。
母と私が、ベッドに隣同士で座って会話していると、犬が、我々のぶら下がった足の間に入って、座る。そうして母と私を見上げ、仲間に入れた気になる。私は彼女の頭を撫でる。
この家は幸せなんかじゃない、と心の奥底で嫌悪感を押し込めていた時期が、前にあった。母は私をどう思っているのかは知らない。けれど、私との会話の時間が幸せじゃない、なんてことはない。多分。