期待の男(5)
そんな私を見たトーマは少しだけ眉を寄せた。改めて自分の姿に目をやると、引きずられたことで制服はあちこち汚れ、詰襟の留め具も外れている。後れ毛すら許せないのに、今は頬にかかる髪の毛がくすぐったい。
何と情けない姿だろう。目の前で女魔術師を取り押さえているレスターと雲泥の差だ。本当はその役を私が涼しい顔でやって、トーマに引き渡したかった。
トーマは恥ずかしいと思っているのかもしれない。だからあんな顔をしたのだ。隊員だけは優秀な第1部隊と行動して、その後自分のところの隊長がこんなザマなのだ。
ああ、アークギドル史上最年少かつ初の女性で隊長になったという自信が、もろもろと綻んでいく。どうして隊長に任命されたんだろう。2世隊長のようにコネがあるわけでもない私が。
「怪我は?」
悶々と考えていると、トーマがそう聞いてきた。
「無いわ」
「なら、いいです」
彼はそれだけ確認してひそめた眉を戻し、未だ苦しそうに呻く女魔術師の前にしゃがみこんだ。
「彼女は元に戻るの?」
「……体が消滅すりゃ、一緒に奴も消える」
「戻らないってこと?」
「一から人生やり直せってことです」
「何言ってんの? それって死ななきゃ治らないんじゃない。戻らないのと同じでしょ?」
「あ……」
するとトーマは何かを言いかけたのを飲み込んだ。
「……ええ、まぁそうですね」
微妙に会話が噛み合っていない。私の考えていることとトーマの考えていることが僅かにずれているような感覚を覚えた。薄ら何かが引っかかる。
「あがぁああぁぁあ!?」
私が深く考えるより前に、また女魔術師が暴れだした。レスターが更に押さえる力を強める。
「あだ、あだまがぁぁ!」
「ちょっと待ってレスター、何か言おうとしてる」
さっきまでの攻撃しようとしたり、逃げようとしていたのとは様子が違うことに気づき、トーマを押し退けて女魔術師の顔を覗き込んだ。
「まだ自我があるのね? お願い教えて、あなたの体に何が起こっているの?」
「あだまが割れるぅ!」
「頭? 頭が痛いの? 私達は何をしたらいい? どうして欲しい?」
「ベゼがからまっでるの……出じて、ここから出じでぇ!!」
苦しいのか、女魔術師は涙を流し、顔をぐしゃぐしゃにしながら訴えている。
また"ベゼ"か。黒い物体の名前なのだろうか。しかし、ここから出せと言われても、一体どこから何を出すというのだ?
「ああああっ!!」
「え? うわぁ!」
私は思わず飛び退きかけた。レスターとマックも驚いて手を離す。
女魔術師の全身に格子状の切れ目が入った。そして手のひらほどの大きさだった正方形の切れ目は、物凄い勢いで線を増やして細かくなり、格子の数を増していく。
「無理矢理引き剥がせ!」
トーマが怒鳴った。彼は錯乱して泣きじゃくる女魔術師の顔を両手で掴み、自分の方へ向けると、更に続けた。
「いいか、よく聞け。外部から俺達は何もしてやれない。自分で剥がして出るしかないんだ」
「苦じい……出じてぇ、死んじゃう!」
「だから死ぬ気で剥がせ! そして早く出るんだ!」
「うぁあああ!!」
女魔術師が一際大きく叫んだ時、彼女の頬の一部が落ちた。そう、文字どおり頬の部分の切れ目が、音もなくポロリと崩れ落ち、それは地面に届く前に黒い霧となって消えた。
それを機にポロリ、ポロリと体も格子状の切れ目に沿ってどんどん落ちては消えていく。
「あ゛あ゛、あ゛あ゛!」
「早く出ろ!!」
「あ゛ぁあああ……!」
女魔術師の叫び声が途切れると、積み木が崩れるかのごとく、彼女の全身が一気に落ち、とうとうそこには魔術師の服と、ハンターから詐取したしわくちゃのお札と、手錠だけが残った。
「ねぇ、彼女は"出られた"の?」
魔術師の服を睨み付けたまま動かないトーマに聞くと、彼はギクリと肩を震わせた。
「……そこまでは分かりません」
話したくないのか話せないのか知らないが、彼は黒い物体の詳細をひた隠しにしている。前に言ったような、信用されていないから話さないとか、そんなことではない気がするのだ。
トーマが唇を噛んで黙るものだから、気まずい雰囲気が下りる。それをレスターが立ち上がることで破った。
「とりあえずは全員がこの場であったことを報告せねばなるまい。トーマだったか? 例の物体については、そこで説明してもらおう」
トーマは無言で頷く。表情に迷いがありありと浮かんでいるが、この状況で無理に話さなくて良いとは言ってあげられない。
一体、彼は何を抱え込んでいるの?




