謝れない男(4)
声を出して笑うトーマを初めて見た私は、不覚にもその顔に見とれてしまった。常に目付きの悪い彼を笑わせたということが、何となく嬉しく感じられたのだ。
これが俗に言うギャップ効果なのか?
「いつまで笑ってんの」
恥ずかしくなってそう言ったら、トーマはようやく笑いを引っ込めた。
「ストーカー的なセリフも、カシェリーさんが言うと怖くないですね」
「どーいう意味よ」
軽く睨んだら、トーマの手が伸びてきた。それは私の右頬に添えられ、親指が小鼻の横を掠める。
少しかさついた感触に驚いて固まってしまった。だって、男に頬を触られるなんて、未知の領域なんだから。
部下には甘いと言われる私も、伊達に男性隊員から鉄女と揶揄されてきたわけではない。不届きなセクハラ野郎の肝臓辺りを狙ってパンチしたり、落ち込んだドットやマックの肩を叩いて励ましたり、任務から逃げようとする2世隊長を引っ張ったり、そんな自分から軽く触れることはあっても、こんなに堂々と触られることは無かったのだ。頬は昨日掴まれた手首とは違う。フェミニストのマルセイでさえ、私にそんなことはしない。
トーマは私の混乱を余所に、手を離して親指を顔の前まで持ってきた。
「弁当付けて言われてもね……」
よく見ると、指先には白いクリームが付いていた。
「へ? なな何で今更!? もっと早く教えなさいよ!」
これは2世隊長に貰ったクレープだ。ユハもドット達も何も言ってなかったぞ。恥ずかしい! 穴があったら入りたい。私は鼻の脇にクリームを付けたまま、大真面目な顔で語っていたのか。間抜けにも程がある。
「今更ってねぇ……さっき俺が教えようと思ったら、カシェリーさんが超がつく程先読みして"謝らなくていい"とか言うから、何となく」
「何てことなの……」
顔が熱くなるのが分かった。どうあっても私はトーマの一枚上手を行くことができないのか。
「そんなショック受けないでください。カシェリーさんが言ったことは的外れじゃありません。俺の考えていることを一つ飛ばして当てたんですから」
「だとしても間抜け過ぎる絵面だわ」
トーマはまた可笑しそうに笑うと、クリームの付いた親指に舌を付けようとした。
「待って! 舐めるの? それ」
「はあ? じゃなきゃどうすんですか?」
「いや、ティッシュで拭くとかさ……」
「いちいち持ってませんよ、そんなの。お返ししましょうか?」
そう言ってトーマは私の上着の裾にクリームを塗り付けようとした。
「や、止めてよ! 馬鹿!」
「年頃の女は気難しいっスね」
結局彼は親指を舐めた。
もうわざと私をからかっているとしか思えない。恥ずかしいのとムカつくので、頭がクラクラしだした。
すると今度は、急にトーマの顔が引き締まった。
「何よ……」
彼は私の問いには答えず、再度頬に左手を伸ばした。
まだクリームが付いていたのか、また慌てるのも癪だから悠然と構えてやれ、と思っていると、トーマは真剣な顔で私の顔を見つめ出しだ。それがどんどん近付いて来て……
「ちょ、ちょっと待って!」
「静かにして」
静かにできるか!
悠然なんて一瞬で保てなくなり、引こうとするとトーマは手を頬から首の後ろに回し、力を入れた。
「近いってば!」
顔が動かせない代わりに彼の肩を思い切り押す。しかしそれも空いている右手で腕を掴まれて、ほとんど抵抗にならなかった。
その間にもトーマの顔は近付いて来る。これは、アレなのか? 鉄女の私もとうとう甘酸っぱいというアレを経験してしまうのか!?
居たたまれなくて目をぎゅっと瞑ると、トーマの顔が被さる気配を感じた、
コツン……
触れ合ったのは、額と額だった。
「上がってるじゃないですか!」
トーマはガバッと顔を離すと、いきなり怒鳴った。
「は?」
「熱ですよ! 顔が赤くなったから怪しいと思ったんです」
熱を計っていただと? おでこコッツンなんて子供か!
「赤いのはあなたのせ……いえ、計るなら他の方法にしてよ」
「部屋に帰します」
「ええ? ってか引っ張らないで……うわぁ!」
体が浮いて、私はトーマに担がれていた。ええそれはもう荷物のように。
「馬鹿! 本当にトーマの馬鹿!」
腹立ち紛れに彼の背中を叩くも、興奮し過ぎて更に頭がクラクラし、力が入らない。
「俺と心中したくなけりゃ、暴れないでください」
「なら下ろせ馬鹿ぁ!」
「んなフラフラで屋根から降りられるわけないでしょ」
結局私はトーマに担がれたまま、たくさんの視線を浴びながら部屋に戻された。
王道展開、好きです。




