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無機物と彼女①

初めて真面目に書いた気がする。

そしてもう一言、


動きが少ない話って、すごぉーく書きやすい!

 良く晴れた夏の日の、酷く暑い昼下がりの事だった。

 私はその日、紙切れ一枚と交換に、売られた。


‡連作短篇『無機物と彼女』‡

 第一章……扇風機


 私を買ったのは、とても優しそうな目元をした綺麗な女の人だった。

『本当、今年は暑いなあ』

 カンカンと靴音を響かせて階段を登ったあと、彼女は楽しそうに笑いながら、おそらくは彼女の家なのだろう小さな一室に私を入れた。

 彼女がカーテンを開くと、古めかしい音がして日の光が柔らかく部屋を照らしだした。うっすらと舞う埃がその光をキラキラと反射する。

 隅に置かれた幾つかの段ボール箱は、彼女がまだこの地に馴れていない事を暗に示していた。

『……うん。良し』

 何が良しなのかは分からなかったが、彼女は窓から空を眺めるその優しそうな目元を緩ませて、言った。

 彼女の周りを舞う埃は相も変わらず煌めいていて、私にはそれが、まるで彼女を祝福しているように見えた。

 そして、開け放たれた窓から、それらは美しくきらめきながら飛んでいった。



 それはある晴れた夏の昼下がりの事。私が彼女と初めて会った日で、彼女の微笑みが見たくて精一杯回った、生まれて初めての、ただの、昼下がりの事。

 彼女はきっと、もう覚えてはいないだろうけれど。


 ‡‡‡


 彼女は朝の六時頃に起きて、三十分ほど何もせずまどろんでいるのが好きだった。

 その後、彼女は今日も暑いねと独り言を言いながら私を回した。部屋にはエアコンが付いていなかったから、窓を開けて私を回して、そうやって空気を動かすくらいしか暑さを紛らわす方法がなかった。

 それでも暑い時、彼女は冷蔵庫からアイスキャンディを取ってきて私の前に陣取り、そこかしこで鳴いている蝉の声に耳を傾けたりした。

 時折アイスが溶けて床が汚れると、彼女は慌てて雑巾でそれを拭いとるのだった。


 部屋の中には、彼女のほかに友人が一人いた。白い身体に茶色のぶちを持ったその小さな友人は、たいそう彼女に好かれているようだった。

 本当はペットは禁止だから、静かにね、彼女は小さな友人を撫でながら、良く言ったものだった。

 朝の七時頃になると、彼女は朝食を作って食べた。納豆とご飯と味噌汁にサラダの四品が普段のレパートリーで、いつもより時間がある時には魚の塩焼きが加えられた。

 そんな時は小さな友人が彼女の横にちょこんと座っておこぼれに与ろうと待つのが常で、彼女は当たり前のように頭と骨を残しては彼にやるのだった。


 朝食を食べ終えた後の彼女の行動は、大きく二つに分けられた。外出するか、部屋の掃除をするか。

 彼女は綺麗好きなようで、一旦掃除を始めると結構な時間それを続けた。長い時は朝食を終えてから昼食の時間まで、ずっと部屋の中をパタパタと動き回っていた。

 そんな掃除の後、彼女は小さな友人と一緒にまどろんだりアイスを食べたりして時間を潰した。

 そして時折思い出したように『暑いね』と呟くのだ。

 私はそんな彼女が好きだった。彼女が暑いとこぼす度、そうだねと返しては羽を回した。


 外出するときの彼女はもっと忙しそうだった。食事を終えたかと思うと、食器を洗う事もしないで部屋の中を駆け回り、スーツを着たり化粧をしたりした。

 何分、朝の貴重な時間を三十分もボウッとして過ごしてしまうものだから、彼女は必要以上にドタバタと動かなければならなかったのだ。

 準備が一通り終わると、彼女は小さな友人に餌をやって、撫でながらこう言った。

『行ってくるね』

 小さな友人は気持ち良さそうに目を細めて喉をならし、数回に一度は鳴き声を返した。そうすると彼女はとても喜んで、もう一度『行ってきます』と告げた。

 その時の彼女の笑顔は本当に綺麗で、撫でられている小さな彼が、私は密かに羨ましかった。

 私がいくら『行ってらっしゃい』と言った所で、彼女は一度も微笑んではくれなかったから。


 そうして彼女が出かけた後も、私はずっと回っていた。私と良く似た形の換気扇も同様で、それは多分、部屋の中にずっと居る友人を気遣って彼女がした事なのだった。

 彼女が居なくなった部屋の中では、小さな彼が王様だった。どこで寝ても何をしても叱られる心配が無かったからだ。

 だが、そうだというのに小さな彼は大した事をしようとはしなかった。

 彼は大抵、小さな一人掛けのソファーで身体を広げて眠っていた。そこが彼のお気に入りの場所だったというのも有るだろうが、一番の理由は彼が年老いていた事だった。

 彼女が残していった餌を食べては、のっそりとした動きで再びソファーによじ登り、身を沈めた。

 眠っている彼の呼吸は、時折止まったように浅くなる事があった。私がそれに気付いて慌てると、彼は見計らったか、または思い出したかのように再び呼吸を始めた。

 ただその呼吸も苦しそうで、私は少しでも楽になれば良いと思いながら空気を動かし続けるのだった。


 そんな風に最初の一月を過ごし、世間の学生が夏休みという楽しくも苦しい長期休暇に突入してから少し経った頃、彼女が急に旅行用の背嚢はいのうを引っ張り出してきた。

 どうやら、盆休みで実家に帰るらしい。背嚢の中に、服を始め、歯ブラシからシャンプー・リンス、櫛やバスタオルを突っ込み、準備という準備をしたあとで、しかし彼女は気付いたようにこう呟いた。

『……ほとんど家にあるじゃない』

 それから彼女はもう一度荷造りをやり直すはめになった。少し可笑しくて笑ってしまったが、彼女がそれに気づくことは決してなかった。理由は言うまでもなく、笑った私自身が、回るしか能のないただの機械だったからである。


 《とりあえず、続く予定》

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