ある老人の物語
ーーテトマト暦72年
ノルム地方 ゴートランドーー
「そろそろ、ご覚悟を。」
侍女は、深刻な面持ちでそう告げた。 ネフィリムからの求婚談が自慢話だった彼女の整った顔も、疲れには勝てない。寝ずの介護が目の下に隈を作っている。
「わかった。君も少し休んではどうだろうか。遠慮はいらない。」
そんな彼女を気遣ってか、家長が言う。
「ジークフリート様、それでは誰が……」
侍女は、誰がシグムンド様の看病をするのかと問うつもりだったが、ジークフリートがそれを遮って言った。
「訂正しよう。休みなさい。」
疲れている自覚はあったし、休めるのならそうした方が良い気もするが、ここで、はいわかりましたと直ぐ返答するのも、それはそれで如何なものか。
そんな彼女の逡巡を見透かしたのか、ジークフリートは続けた。
「実の父なのだ。私にも看病させてくれまいか。」
主人にそう言われては断れない。
「承知いたしました。では……暫し……」
侍女は、主人であるジークフリートの指示に従い、引き下がった。
秋の陽光が、窓から差し込んでいる。夏のそれと比べると弱々しく穏やかだが、室内を照らすには十分だ。こちらの明るい部屋とは違い、奥の部屋は薄暗い。ジークフリートの父であるシグムンドが病臥し、ほぼ寝たきりになったのも、ちょうど去年の落葉の季節辺りで、同じぐらいの光の弱さがこの部屋にも届いていた。
「ふう……」
ジークフリートは、窓の外へやっていた視線を室内へと戻し、軽く息を吐いた。一年前のあれこれを回想し、少し感傷的になりながらも、それでも心を強く持とうと思い直し、奥の部屋へと歩を進める。
「父さん……」
今は眠っているシグムンドに、ジークフリートがそっと語りかける。
いつも気丈に振る舞っていたかつての英雄が、自ら何かを悟ったかのように寂しげな笑顔を見せ、口数も少なくなったのは、ここ数日のことだ。
シグムンドからは返事がない。代わりに、その傍らにある名剣が淡く光った。実際には、あちら側の部屋の光がジークフリートの腕輪を経由して反射しただけなのだが。
この名剣に、名前は未だない。それどころか、この剣は先の戦で折れている。
神外種族が何かを強く願う時、神々の力が付与された物品や、特別な加護の宿る武器が贈与される。シグムンドの持つこの剣も、何度があったそうした出来事の結果の一つだ。この地に神々から与えられし他の武器には、名前を持つものもある。
「話す時が来た。」
いつの間にか目を覚ましていたシグムンドが、ジークフリートにそう言った。
「え……」
ここ数日の頼りない声とは違い、その力強い語りかけに、ジークフリートは思わず狼狽えた。
「あの日は……曇っていたな。」
シグムンドがゆっくりと、瞼は閉じたまま、一つ一つ思い出すように語り始める。
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ーーテトマト暦18年
ノルム地方 エリミーー
「静まりたまえ!」
喧騒の中、一際通る声が注目を浴びた。その日、腕に覚えのある者たちが各地から呼び集められていた。石造りの建造物の中庭に、一様にギラギラとした目付きの連中が犇めき合って息巻いているこの景色は、少し異様だ。ここが本来は長閑な農業地だという唯一の証は、庭の真ん中に立つ1本の林檎の木ぐらいだ。
同じ集団の中に、若きシグムンドもいた。大勢いるその他の猛者とは違い、名を上げようとか、褒美を貰おうだとか、そういった理由ではなかった。
「皆も知っての通り、エリミの森の狼は、この地に住む者たちの悩みの種である。」
エリミの森には、『アフマダの戦い』後に封印されたらしい巨大な狼がいる。魔に堕ちた神々は総じてダーナ大陸に追放された筈だが、彼の狼がなぜ魔の力を持つのか、詳しい経緯は知らない。神々が倒せなかったのか、倒さなかったのか、ともかく封印するという選択が取られた。その事実だけがそこに存った。
案内役の男の説明は続く。
「ここにいる者たちの多くが、その討伐に尽力してくれていることもわかっている。」
声を張り上げようと力んでいるため、青筋が浮かんでいる。声の良さでこの役に選出されたのだろうか。戦士とみなすにはその肌はあまりにも白い。
「徐々に巨狼牙王の影響が色濃くなっており、狼の群れの各個体が強くなっている事態を危惧し、この度……」
ようは、ここが今回の召集の肝なのだろう。色白の男は、息継ぎに際して深く息を吸い込んだ。
「神々は、我らに新たな魔剣をお授けになる!」
役目を果たしたという気の緩みか、例の男の肌から青筋が消えた。
「おおぉ……」
どよめきが起きた。
神々が武器を授けるケースは、未だ数える程しかない。聖なる槍と目される武器や、東方の山岳地帯を束ねる盟主の斧について、シグムンドも耳にしたことはある。ある。あるのだが、そうした機会がいざ目の前に訪れるとなると、興奮とも緊張ともとれる形容し難い感情に駆られる。
先ほどまでは富や名声が目当てだった者たちにとっても、神々の武器という褒美は十二分に魅力的であった。
「おれに任せろ!」
「神が選ぶのは私だ!」
「魔剣を扱える者など他におらんぞ!」
皆、口々にアピールを始める。我こそは神々が授ける魔剣に相応しい器だと。
斯くいうシグムンドも、叶うならばその剣の持ち主になりたいと静かに燃えた。日に日に強くなる狼の群れを討伐するためという目的ももちろんあるが、根本原因であるフェンリルを倒すには、神々の力が必要不可欠だと思っていたからだ。
コツ…… コツ…… コツ……
立ち込める熱気とは場違いの音が響き、そのうえ近づいてくる。
始めのうちは気付いていなかった猛者たちも、一人また一人と、その音に気付き、何処の誰かと目線をうろうろさせて探し始める。
コツ…… コツ……
やがて杖をコツコツと鳴らして現れた老人は、珍妙なものでも眺めるような視線も意に介さず、中庭の中心へと歩いて行く。
コツ……
やがて歩みを止めた老人は、林檎の木の側で、徐に杖を空へと掲げた。雷鳴が轟くことはなかったが、見えたのはまさしく稲光だ。音の無き雷が老人の杖へと落ち、ややあって白い煙がのぼる。
誰しもが唖然としていた。
全ての視線の先は、老人の手中にある剣だ。もはや老人は杖を持っていない。あの杖が雷を浴びて剣に変容したのだろう。それ以外に立てられる仮説がない。
目深に被っていた帽子を剣を持つのとは逆の手で抑え、老人はこう言った。
「これなるは新たな剣、神々の力なり。」
妙に重々しく説得力のある声がそう告げる。
一瞬の静寂があったが、すぐにそれまで互いの顔を見合わせていた猛者たちが、我先にと走り始めた。剣を手に入れようという一心で。
スフッ……
老人が林檎の木に剣を刺したが、あまりの切れ味の良さに、幹の裂ける類の音は一切しなかった。聞こえたのは、微かな音のみで、まるで何か軟らかい物でも一息に切ったみたいだ。
剣を刺した瞬間、時間でも止められたかのように、走り出していた猛者たちが動きを止めた。
その様子を確かめた後、老人はぐるりと視線を一周させ、意図的に自らが注目を浴びる状況を作り出し、剣の刺さった箇所を指差した。
「ここから引き抜いた者に、この剣を授ける。」
提示されたのは、なんとも奇妙な条件だ。
老人の言葉の真意を図ろうとする者もいる一方で、血の気の多いせっかちな大男が文字通りズシンズシンと足音を立てて進み出た。数が減りつつあるネフィリムかもしれない。
「一番にやらせろ。すぐ終わる。」
自信に満ちた大男が、野太い声で宣言した。
決して過信でも慢心でもないだろう。鍛え上げられたその腕は、剣の刺さった林檎の木よりも太く見える。事も無げに引き抜くだろう。そうなれば不公平だ。早い者勝ちということになる。
「それは不公平だろ!」
考えることは大体皆が同じだったようで、誰かが直後に声を上げ、その他大勢もそれに追随する。
「そうだ!」
「早い者勝ちじゃないか!」
「選考法を変えろ!」
「そいつより先にオレがやる!」
「そうだそうだ!」
口々に不平を述べる面々を見据え、老人は一切表情を崩さず、こう言い放った。
「この中に、これを引き抜ける者がいるとは思えん。」
今の台詞は何人かの誇りを刺激したようだが、気にも留めていないようだ。老人は語りを止めない。
「一人一人、順番に試せ。全力でな。」
先ほどの大男がニヤリと笑った。
「悪りいな、お前ら。」
一足飛びで木の側へと近づくと、剣の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。
引き抜いた……かに見えたが、大男の手に剣はなく、自分の右の掌を握ったり開いたり繰り返し、信じられないといった表情を浮かべる。
剣は木に刺さったままで、一寸も動いた形跡はない。それでもその柄はややズレており、大男が力を込めて抜こうとしたことは事実のようだ。
「ほれ、次じゃ。」
茫然自失で立ち尽くす大男を尻目に、老人は淡々と選考を進行しようとする。指で何か文字を描くような動作をした後、林檎の木の方へ軽く右手を払って見せ、その結果、大男の怪力でズレていた剣の柄が元通りになる。
シグムンドは、剣が抜けないこともそうだが、この得体の知れない老人が何者かという点にも疑問を持った。
「あなたは一体……」
シグムンド以外にも老人の正体を知りたがっていた者たちがいたようで、何人かがシグムンドと老人に目線を配る。
「ふむ……」
ほんの一瞬、何か思案するような眉の動きがあり、その後すぐに老人は返答した。
「神託者とでも言っておこうかの……今は。」
神々からこの剣の持ち主を探すように依頼されたのだろうか。神々は神外種族と共にこの地で暮らしているため、直接現れることもある。しかし、特別な物を贈ったりする際は、使いの者を遣わす場合があるらしい。
「はい、次。」
「次。」
「次じゃ。」
「ほれ、次はお前さんじゃ。」
「やってみろ、次。」
力自慢の者や、ある程度名のある者が挑んでは失敗し、選考から脱落して行く。結局可能性を感じたのは、剣の柄を動かした最初の大男と、僅かに木を震わせた隻眼の剣士だけだ。剣士は、神々と共にアラマダの戦いに参戦したという人物らしく、その話をシグムンドに自慢気に語ってくれた若者が、ガックリと肩を落とした。自らの師匠が剣の持ち主になることを期待していたのだろう。
数分後、シグムンドの番が来た。
「お主の番じゃ。」
正直、自分がこの剣を引き抜けるようには思えなかった。自分より腕力が上回る者も、遥か遠方の地より名声が届いている者も成し得なかったのだ。
ただ、この剣が自分には必要だ。エリミの森の狼たちから村を守りたい。この願いは、神々も無視できない筈だ。
スチャッ……
魔剣の柄に手をかける。今一度、強く念じる。この力を、自分に授けて欲しいと。
スッ
あまりにも呆気なく、剣は林檎の木の幹から引き抜かれた。想定よりも簡単に抜けたため、込め過ぎた力が行く先を失い、反動のままシグムンドの後方へと剣を誘う。
シャザーッ
魔剣は、シグムンドが体勢を立て直すまでの間ずっと、石の床をいとも容易く裁断した。
「持ち主が決まったようじゃな。」
老人が両目を瞑り、帽子を脱ぐ。やや嬉しそうにほんの少し口角を上げた後、シグムンドへ敬々しく一礼をし、消えた。
「おお……」
感嘆にも似た声が上がる。ある者は、剣を引き抜いたシグムンドに。またある者は、自らを神託者と称した老人の所作に。別の者は、魔剣の恐ろしい切れ味に。
曇り空が、一瞬晴れた。雲の隙間から陽光が差し込み、天使の梯子が林檎の木を照らした。
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ーーテトマト暦59年
ノルム地方 フューネラ
曇り空が、一瞬晴れた。雲の隙間から陽光が差し込み、天使の梯子が白馬に跨がる一人の老人を照らした。
魔剣戦士シグムンドは、長年の宿願であるフェンリル討伐を果たさんとしていた。決戦の地となったフューネラには、狼たちの亡骸が死屍累々と積み上がっている。シグムンドと精鋭の剣士たちが、いかに奮戦していたかが窺えよう。
戦局は決したかに見えた。
狼たちを率いるフェンリルに、シグムンドの刃が遂に届こうとしていた。その時、晴れ間が覗いた。照らされたのは馬上の老人だ。
「久しいのう、シグムンド。」
フェンリルの近くに現れた老人は、そう声を掛けた。白馬が、シグムンドとフェンリルの間に割って入る。
「あなたは……」
シグムンドは、この老人に見覚えがあった。一度自らが握る魔剣を見つめ、再び視線を老人へと戻す。
間違いない。若きシグムンドにこの剣を授けた神託者だ。林檎の木の側に立っていたあの老人だ。合点がいかないのは、あの頃の老人と今目の前に居る老人の見た目が、全く変わっていないという点である。謎は、老人自身によりすぐさま解き明かされた。
「我が名はオーディン。」
オーディンと名乗った老人は、右手の杖を空に掲げる。あの日と同じように。
「この地を守りし神々の一人。」
天空から降る稲妻が杖へと落ち、その際の衝撃波でオーディンの帽子が吹き飛んだ。あの日と違い、杖は剣ではなく槍へと形を変えている。
「盟約と予言に従い、今、この力を振るわん!」
トネリコ製の柄に、黄金が配われた付け根とそれに続く淡く光る切っ先。特別な槍であることは明白だ。
「なぜ……」
この剣はオーディンに与えられた。この地を守るため、この剣を振るって来た。期待通り、剣の力はシグムンドの願いを叶えて行った。
だが今、この剣を与えたオーディン自身が、今度はこの剣を持つシグムンドへ槍を向けている。
「許せ、シグムンド。」
オーディンの槍が、シグムンドの脇腹を引き裂こうと迫り、シグムンドは反射的にそれを防ごうと魔剣を切り返す。
ガキイィィィン……
残響と共に魔剣は折れ、折れた刃がクルクルと宙を舞い、少し離れた地表に深く刺さった。
ザサッ……
「フェンリルは、今ここでは死なない……」
オーディンは、言葉少なに説明した。馬上から見下ろすその瞳が悲しげなのは、シグムンドへの申し訳なさか、はたまた全てを説明するわけにはいかない歯痒さか。
「……そう運命られているのだ。」
馬を降り際に、オーディンが槍を軽く振るい、発光を伴ってそれは杖に戻った。どうやら、シグムンドに敵対する意思も、命を取るつもりもなかったようだ。
「狼たちからこの地を守ること……」
オーディンが右手を差し出し、片膝をついたシグムンドが立ち上がる助けになろうとする。
「それは、シグムンド……そなたの運命。」
差し出された手を取り、シグムンドが立ち上がる。
あの日の老人が神だったという衝撃もある。他方、自分の宿命だと信じて疑わなかったフェンリル討伐が、神々の意思とは合致していないということにも落胆する。
「名もなきその魔剣を鍛え直し、そなたの息子に託せ。」
疑問を差し挟む余地すら与えない威厳がオーディンにはあった。言及しているのは、シグムンドが目にすることのない未来について。言いながら、先ほど折れた魔剣の欠片が刺さった方角へと歩いて行く。
「鍛え直されたこの剣には名が与えられ、ある竜を屠る……」
地表から、剣の欠片を引き抜き、シグムンドのもとへと引き返す。
「……それがこの魔剣の運命だ。」
オーディンが、今し方引き抜いて来た欠片を手渡す。シグムンドは、自身の感情に折り合いをつけようと努めつつ、静かに欠片を受け取った。
欠片を手にした瞬間、得も言われぬ充足感がシグムンドを包んだ。フェンリルの唸り声を恨めしく思う気持ちは、不思議と霧散していた。
魔剣がいかにして名を持つのか、それはまた別の話。




