ある守人の物語
ーーレタリア暦 395年 春
レクサンド地方 ファロス島ーー
昼には陽光を。夜には炎を。その灯台の光は、いつの時代も希望の象徴だった。魔族による海路からの侵攻を、ことごとく退けてきたからだ。
豪炎あるいは太陽を光源とし、光の反射を利用して放たれる音速の光線は、宛らインドラの矢の如し。ダーナ大陸から迫り来る魔族たちを絶え間なく貫き、葬り去ってきた。光線射出に至る理論はわかっている一方で、それを叶えるためにどんな技術が用いられているかについては未だに解明されていない。それもその筈。ファロス灯台は、いわゆる神贈遺産の一つなのだ。
神贈遺産と対を成す物として魔棄呪物が挙げられる。前者が、神々がこの地で暮らす者たちのために遺した物で、後者は、魔族がこの地を呪うために棄て置いた物だ。どちらも今を生きる種族の理解を越えた力が宿っており、筆舌に尽くしがたい事象を引き起こすため、神贈遺産に見える魔棄呪物もあれば、魔棄呪物に見える神贈遺産も存在し、使ってみるまでどちらがどちらかわからない場合もある。もし尺度があるとすれば、この地の住民達にとって有益か有害かの一点であり、魔族専用殺戮機と呼称しても差し支えないファロス灯台は、間違いなく神贈遺産である。ーー閑話休題。
今日も灯りが見える。遠くからでもハッキリと。漁師たちの帰路も、冒険者たちの船出も、海賊王の凱旋も、その光が照らしていた。
灯台へと続く一本道を、ロバの隊列がゆっくりと進む。この時期の朝はまだ寒く、存外に薄暗い。しかし件の光のおかげで、この地方に限っては明るい。あまり眠そうには見えないロバの群れとその先導者が、どこか冬の残り香に似つかわしくないように思えるのは、その所為なのかもしれない。カパカパと鳴る複数の足音が、灯台の中で待つ人達に荷物の到着を知らせる。
「お疲れさま~」
軽く伸びをしながら、壮年の男性が出迎える。灯台の入り口の扉がやや低く、自身を屈める必要がある。毎度のこととはいえ、少し面倒だと思っているのか、彼は外に出た後に扉の上部に無駄に触れた。
「サウロさん、お疲れッス。補充の薪ッス。」
ロバを連れて来た青年が報告する。運ばれているのは、大量の薪だ。曇りや雨の日、そして夜間も、太陽が出ていない間の光源確保は、いかに大きな炎を絶やさないかにかかっている。
ブルルルルル……
背中の荷物から解放されたロバが、躯を震わせる。
「よしよし、お前もお疲れさん。」
先ほどサウロと呼ばれた男性が、慈愛の眼差しを向け、数頭いる内の一頭のロバを撫でた。それを受けて嬉しそうに目を細めていたロバだったが、数秒後、今度はその目が大きく見開かれた。
キイィィィィン……
刹那、甲高い金属音のような音が鳴ったかと思うと、まだその音の余韻が消えない内に、灯台の最上部の台座が稼働する。
サウロも、ロバを連れて来た青年も、それぞれが矢庭に灯台の頂上を見上げる。
「朝から魔族も元気ッスね~」
腕を背中にやり、なんとも暢気な語調で青年が溢した。彼がこんなに暢気でいられるのも、この神贈遺産への信頼が揺るがないものだからだ。
灯台の光が、瞬く間にその頂上へと収束し、その後すぐ強い発光が起きる。間髪を空けず、細い一本の光線が生成され、大海原のとある一点を目掛けて射出された。
ズガアァァァン……
落雷のような轟音が辺りに響きわたる。やや遅れて、海上の遠くの方で火柱が上がった。耳をすませば、魔族たちの断末魔が聞こえるのだろうが、海風によりそれは叶わない。
「一艘……か?」
サウロが怪訝そうな表情を見せる。
「あれ? 一回だけッスね……」
怖がるロバを宥めながら、青年も首を傾げる。
サウロが不思議に思ったのも無理はない。この灯台の守人として培った長年の勘が、何かがおかしいと告げている。
魔族たちは大抵、群れて攻めて来る。ダーナ大陸とエデン大陸の境目に位置する此処では、エデン大陸へ上陸せんとする魔族たちの襲撃は日常茶飯事だ。船団を引き連れているか、有翼魔人の軍団がやって来るか、いずれにせよ灯台の光線の餌食になるのが関の山だ。したがって、一度灯台が光線を射出すれば、それから暫くは雨霰のように光線が降り注ぐのが常だった。そう、基本的には魔族による単騎襲撃は有り得ない。あるとすればそれは……
「ステファン! 陽動だ!」
サウロがほとんど怒鳴っているに近しい声で、後ろに立つ青年に向かって叫んだ。
ほぼ反射的に、ステファンが一振の輝剣を構える。同じくクラリスを抜いたサウロと、どちらかが声掛けをするでもなく示し合わせたかのように背中合わせになる。
ドオーン!
地底から突き上げるような揺れが起こり、此処彼処で地面が隆起する。
「……来るぞ!」
「……はい!」
バシャアァァァン……
まるで街道や草原が海面だったかのように波打ち、爆ぜ、土塊や石片を撒き散らした。魔族たちの出囃子が終わり、静けさを取り戻したこの地に、醜悪な怪物たちの群れが現れた。
「海も空も無理なら、土の中ってか。」
サウロが、光線を避けてここへ辿り着くための魔族の策略を言い当てた。自嘲気味にも見えたその微笑みは、すぐさま真剣な顔つきに取って変わる。
「無い頭を使ってんじゃ……」
ブォン!
「……ねえよ。」
ゴロゴロ……
吃驚した表情のゴブリンの生首が、五つ転がる。あまりに一瞬のことで何が起きたのかわかりにくいが、ステファンには見えていた。サウロの卓越した高速の剣技が、一度に五体のゴブリンの首を切断する様子を。
……
自分たちの先頭の五体がやられたものの、目の前の事象への理解が追い付いていないゴブリンたちは、お互いを見遺った。
しかし、サウロが持つクラリスの切っ先から、同胞の血が滴っている様を認め、ようやく事態を飲み込んだようだ。
グギャアァァァァ!
怒りに任せて、ゴブリンたちがサウロを目掛けて突進する。だがそれよりも早く動きだしていたステファンにより、更に二体が絶命する。サウロに続けとばかりに素早く立ち回り、確実に一頭一頭を斬りつけて行く。
数百はいるであろうゴブリンたちの群れを、たった二人の人類が圧倒して行く。神々の加護の証ーークラリスの輝きは、二人の剣捌きに呼応して縦横無尽に舞い、その都度ゴブリンの死体が積み重なって行く。
ドンッ!
先ほどの地面の突き上げに比べてやや小さめの音と振動が、二人とゴブリンの群れの戦闘箇所から離れた箇所で響いた。それは灯台の方向で……
「マズい!」
焦燥に駆られたサウロが、引き返して灯台に向かおうとしたその一瞬を、後方のゴブリンが見逃さなかった。番えていた弓矢を放ち、矢はサウロの左足に命中した。
「グッ……」
サウロの顔が歪む。
「サウロさん!」
ステファンが、襲いくるゴブリンを去なしつつ、サウロを助けようとして勢いを弱めた。
「オレのことはいい! それよりあっちだ!」
痛みを堪えた低い声色で、サウロは灯台の方向を示した。
「ハッ、もう遅いわ!」
灯台の入り口に、どう見ても怪物ではない老人がいた。手負いのサウロ、自分に気づいたステファンを視界に捉え、嘲笑した。蓄えた長い顎髭と同じ灰色の太い眉毛により、どんな目付きなのか全てを見ることはできないが、それでも確実に、二人を嘲笑したことはわかった。宙に浮いているところからして、魔族側の魔導士もしくは司祭だろうか。
地面に空いた穴から出てきたのだろう。刺繍入りのマントは、茶色く汚れていた。およそその年齢に不相応な爛々(らんらん)とした目付きで、先端が淡く光る杖を振るっている。辺りに散乱している土塊に杖を翳し、一所に集めている。灯台の目の前にだ。
「ラビか!?」
老人の正体に思い当たる節があったのか、サウロが呟いた。
「……ラビ?」
ステファンはピンと来ていないようだ。
ラビと言われた老人が片目を瞑った。一瞬のことだったが、サウロはそれを肯定の仕草だと捉えた。
「行け! あれを使え!」
「行け! 仕留めるのじゃ!」
サウロがステファンに指示するのと、ラビがゴブリンたちに指示するのは、同時だった。ステファンは得体の知れない"ラビ"と呼ばれた老人を討ち取るために、ゴブリンたちはサウロを討ち取るために、それぞれが動き出す。
「せいぜい足掻け。間に合わんわ。」
土塊が徐々に形を成し、新たな怪物がこの場で誕生しようとしている。少々時間がかかるのがこの術の欠点だが、ラビ=レーブは、そこも計算していた。土傀儡が誕生してしまえばこちらのもの。あとは、剣も魔法も通さないその強靭な怪物が、灯台を破壊するのをただゆっくり見守っていれば良いのだ。
ゴブリンたちがある程度やられるのも織り込み済み。むしろそこを利用する。
ゴブリンたちを排除しようと追撃すればするほど、守人と灯台の物理的距離は離れて行く。守人が灯台へ急いで戻ったとしても間に合わない十分な距離を確保し、そこで初めて自らが地中から出る。慌てた守人が引き返してここへ戻る頃には、もう既にゴーレムは完成している。
その算段だった。上手く行く筈だった。
ヒュオンッッッ……
「……速い!」
ラビの下へ急行するステファンの動きが、想定していたより速い。否、速いなんてものではない。この速さは異常だ。このままではゴーレムが完成するまでにここへステファンが到達する。
ゴブリンが、手練れのサウロの方に傷を負わせたのは僥倖だった。残されたステファンの名をラビ=レーブは知りもしなかった。確かに動きは悪くない。剣の修練も相当積んだのだろう。あと何年かすれば、サウロのように立派な守人になっただろう。だが、その程度だ。経験も浅い。
「そんな馬鹿なことが……」
ラビが、逸る感情をどうにか制御しつつ思考を整理する。確かに、サウロよりも少々素早いところはあった。それでも間に合わない距離を稼いでいたつもりだった。
ゴゴゴゴゴ……
土塊と土塊が融合を始める。ゴーレムの完成は近い。
「ならば……」
ここへのステファンの到達を前提とした策へと切り替える。あと少しでゴーレムは完成する。ならば、時間稼ぎに徹すればいい。
「……これでどうじゃ」
ゴーレム生成には使わなかった小ぶりの土片を手早く成形し、先端の尖った土の刃を作る。大量のそれらをステファンに断続的に浴びせる。致命的な一撃を狙う必要はない。もちろん、手傷を負ってくれれば御の字だが、単純にステファンが物量に押され、少し歩みが遅くなれば十分なのだ。
ところが、ラビの目論見はまた外れた。ステファンの異常性は、速さだけではなかった。その剣捌きさえも、先刻までのそれの比ではないほど凄まじく、土の刃の需要に供給が追い付かない。全ての攻撃を弾き返し、且つ自らにクラリスを振り下ろすステファンが、もう目の前に居た。
「な……」
"なぜ"という言葉が発せられることはなく、ラビが右肩から左足の付け根にかけて切り裂かれる。
ゴフッ……
死の間際、ラビ=レーブは、振り下ろされる青年の右手に答えを見出だした。
エルドールの指輪ーー白銀に光るその指輪は、人類が手にする輝剣クラリスと同様、神々の加護が込められており、広くこの地の種族に流布されている品だ。
輝剣には魔族を封じる力があり、かなりの量が流通している。一方、指輪は持ち主の身体能力や魔力を増幅させる。一時的にではあるものの。クラリスの流通量に対し、あまり出回ってはいない。
ガゴーン……
術者の死と同時に、ゴーレムに成りきれなかった土塊が瓦解した。
「てか、このジジイ、誰ッスか?」
振り向き様に、ステファンがもうそろそろゴブリンたちの退治を完了しているであろうサウロに向かって訊いた。答えは返って来ない。
「……!?」
ゴブリン退治は完了していなかった。それどころか、サウロはどんどん追い込まれている。
「サウロさん! なんで……」
慌てて今来たばかりの道を戻る。幾ら矢傷を受けたとはいえ、サウロがやられる筈はない。サウロが持っているのは、エルドールの指輪のオリジナルだからだ。複製品とは違い、オリジナルは使用制限回数がない。身体能力強化が施された状態で戦えば、サウロの力量ならば、あの程度のゴブリンの群れは今ごろ片付いていて然るべきだ。
「……ん?」
走りながら、ステファンは自身の違和感に気づいた。"未だ"速いのだ。自分が使った指輪は複製品。一度使えば、一定時間の後に壊れ、付与されていた能力強化も解除される。しかしながら、自分の嵌めた指輪が壊れる気配は一向に無い。
「まさか……」
必然的な事実は一つのみ。今自分が持っているのがオリジナルで、サウロが持っている指輪は複製品ということだ。
「ウオォォォ!」
サウロが雄叫びを上げ、最後の力を振り絞って戦っている姿が見える。
クラリスを振るう彼の指に、白銀の光はもはや無い。矢を受けた左足に加え、胴や両腕にも剣や小斧による裂傷が覗いている。誰がどう見てもまともに戦える状態ではない。それでもなお、一匹、また一匹と、ゴブリンたちが倒れて行く。彼の戦闘能力が低ければ、とうにやられていただろう。
「間に合え!間に合え!間に合え!」
言い聞かせるように、ステファンが自らを鼓舞して走る。
あってはならない。このファロス灯台は、エデン大陸の守りの要だ。守人を失うわけにはいかない。まだまだ教えてもらいたいことが沢山ある。人類にとっても、自分にとっても、サウロはこれからも灯台の守人として居て貰わなくてはならない存在だ。
自分の指をチラッと見る。いつもは頼もしく思える白銀の光が、今は恨めしくさえ思えた。この指輪をサウロさんが持ったままでいてくれたなら……
あのラビという爺さんを倒すだけなら、時間はかからない。複製品の効果継続時間でも大丈夫だったのではないか。一人でゴブリンの大群を相手にする自分の方が、時間がかかることぐらい、サウロ自身も理解していたのではないか。
「あっ……」
数百匹いたゴブリンは、今や残り三匹までに減っていたが、その三匹の内の一匹が、遂に剣をサウロに突き立てた。
「クソがあぁぁぁぁ」
直後、その場に駆けつけたステファンが一閃。一度に三匹を屠ったが、一足遅かった。
「サウロさん! サウロさん! ザブボ……」
最後はもう、叫びではなく、慟哭と言えよう。
「ステファン、これからは、お前が守人だ。」
息も絶え絶えの弱々しい声で、サウロがステファンに語りかける。
「守人は……もう……でも……」
今までもこれからも、ここファロス灯台の守人はサウロさんが良い。まだまだ自分は未熟だ。そんな酷い状態でもう話さなくて良い。私はあなたを本当の父と思って慕ってきた。まだまだ生きて欲しい。
言いたいことが多すぎて、そこに感情も乗っかって、色々な思いが綯交ぜになって、上手に言葉にできない。
「なんで……オリジナルを……オレに……」
ようやく絞り出した言葉がこれで、自分で自分に失望する。確かに気にはなるが、今ここで最も発するべき言葉ではないように思えるからだ。
「灯台は……絶対……に……守る……未来……の……守人……も……守る……両方……を……」
サウロの声がどんどん掠れて行く。ステファンは、無言で頷き、静かに耳を傾けるほかない。
「欲張っ……た……な……私は……守人……失格……か……もな……」
そこでサウロの声は途絶えた。呼吸も荒い。瞼がゆっくりと閉じて行く。
「あなたは……最高の守人です!」
この声は届くだろうか。それでもこれを言わないわけにはいかない。ステファンは、この言葉だけは譲れないと思った。直感的に。反射的に。サウロが失格である筈がない。
「お前……も……そう……なれよ……」
開かなくなった瞼のまま、もはや聞き取れない程の声量だったが、サウロは最期の言葉をステファンに確かに残した。そして、微笑みを湛えたまま絶命した。後は任せたと言わんばかりに。使命感からの解放か、灯台を守りきったという安堵感か、義理の息子を育て上げたという達成感か、またはその全てか、穏やかな笑顔のまま、ファロス灯台の守人サウロは、その生涯を終えた。
守人としての自覚は、サウロからステファンへと受け継がれた。エルドールの指輪と共に。
灯台の守人がいかにして誕生したか、エルドールの指輪はどうなるのか、それはまた別の話。




