表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第9話 記録される兆し

 報告書は、一枚だった。


 紙質は粗く、端は少し黄ばんでいる。王都で使われている上質な羊皮紙とは違う。それでも、そこに書かれる内容の重さは変わらない。


 ガルディオは、机に向かい、ペンを走らせていた。


 簡潔に。

 感情を交えず。

 評価を避け、事実のみを。


 それが、この領地が長年生き延びてきたやり方だった。


「……川の水質、改善傾向あり」

「井戸水、沈殿物の減少を確認」

「住民の体調、軽度ながら回復例あり」


 一文ごとに、ペンが止まる。


 彼は、書いている内容が「良い知らせ」であることを理解していた。同時に、それがどれほど危ういかも。


 ――辺境で、改善。


 王都が最も好む言葉だ。


「……原因、不明」


 そこだけ、わずかに字が歪んだ。


 扉の外で、ミロが腕を組んで立っている。


「本当に、送るんですか」


 ガルディオは顔を上げない。


「送らねばならん」


「黙っていれば、気づかれないかもしれません」


「気づく」


 即答だった。


「数字は嘘をつかない。変化は、必ず比較される」


 ミロは、舌打ちをこらえる。


「……あの子の名前は」


「書かない」


 ガルディオは、きっぱりと言った。


「個人名は出さない。環境変化として報告する」


「それで、通りますか」


「最初はな」


 その言葉に、ミロは何も言えなくなった。


 最初は。


 つまり、次がある。


「王都は、聖女を探している」


 ガルディオは静かに続ける。


「そして、失敗を嫌う。見逃しもしない」


 報告書は、乾かされ、封をされた。


 それだけで、何かが動き出した気がした。


 ***


 その頃、エリシアは家で横になっていた。


 身体は、まだ重い。けれど、昨日ほどではない。立ち上がろうと思えば、立てるだろう。


 ――立たない。


 そう決めていた。


 ミロの言葉が、頭の中で何度も反響する。


「何もするな」


 それは命令であり、懇願でもあった。


 窓の外を見ると、川が見える。水面は穏やかで、反射する光が柔らかい。


 ――私が、いなければ。


 その続きを、考えないようにする。


 昼過ぎ、軽いノックがあった。


「……誰ですか」


「役所の者だ」


 知らない声。


 扉の向こうに立っていたのは、若い職員だった。緊張した面持ちで、書類を抱えている。


「体調は……どうですか」


「……少し、ましです」


 彼は、ほっとしたように息を吐いた。


「良かった。あの……無理はしないでください」


 言葉を選びながら、続ける。


「最近、町の様子が良くなっていて。皆、喜んでいます」


 胸が、きゅっと締めつけられる。


「……それは、良かったですね」


「ええ。でも」


 職員は、少し声を落とした。


「理由を聞かれることが、増えました」


 来た。


 エリシアは、目を伏せる。


「答えられないことは、答えなくていい」


 それは、ミロでもガルディオでもない、ただの職員の言葉だった。


「でも……報告は、上がります」


 職員は、それだけ言って頭を下げ、去っていった。


 部屋に残された静けさが、やけに重い。


 ***


 三日後。


 王都の管理局で、ひとつの報告書が回覧された。


「……辺境ルーヴェン領?」


 白い法衣の男が、眉をひそめる。


「数値が、改善しているな」


「はい。水質、健康指標ともに」


「原因は?」


「不明とあります」


 男は、ゆっくりと椅子にもたれた。


「“不明”が続くことは、ない」


 指が、机を叩く。


「聖女候補の処遇記録を確認しろ。最近、誰を送った」


「……一名、保留扱いで派遣されています」


「名前は」


 書類が、めくられる。


「エリシア・タカハシ」


 男は、目を細めた。


「……切り捨てたつもりの札が、まだ生きていたか」


 それは、感情のこもらない声だった。


 だが、その瞬間。


 辺境で起きていた静かな変化は、

 確実に「管理される現象」へと変わった。


 ***


 その夜。


 エリシアは、理由の分からない悪寒に震えていた。


 熱はない。

 身体も、昨日よりは動く。


 それでも、胸の奥が冷える。


 ――見られている。


 根拠のない直感。

 けれど、それはこれまで何度も当たってきた。


 布団の中で、膝を抱える。


 私は、ただ暮らしたかっただけだ。

 期待されず、測られず、名も残さず。


 それなのに。


 外の世界が、私を「兆し」として記録し始めている。


 その事実が、何よりも恐ろしかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、

ブックマーク や 評価 をお願いします。


応援が励みになります!


これからもどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ