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第7話 名付けられない違和感(ミロ視点)

 最初は、偶然だと思った。


 川の濁りが薄くなった。

 スープの匂いがましになった。

 井戸水が、少し澄んだ。


 どれも単体なら、天候や流れの変化で説明がつく。辺境ではよくあることだ。俺はそういう「よくある」で片づけてきた。


 ――昨日までは。


 朝、役所に顔を出すと、報告が立て続けに入った。


「東区画の井戸、もう一つ調べた方がいいです」

「皮膚病、悪化してた子が今朝は落ち着いてるって」

「川下の畑、土が柔らかくなってませんか?」


 一つひとつは小さい。

 だが、数が多すぎる。


「……いつからだ」


 俺がそう聞くと、若い職員が首を傾げた。


「えっと……三日くらい前から、ですかね」


 三日。


 脳裏に、ひとりの顔が浮かぶ。


 王都から来た女。

 期待されていない聖女候補。

 雑用係を自分から引き受けた、変なやつ。


 エリシア。


 俺は舌打ちしそうになるのを、必死で堪えた。


 ――考えるな。


 人が増えれば、噂は増える。

 噂が増えれば、因果を結びたがる。


 そんなのは、どこの町でも同じだ。


 昼過ぎ、洗濯場を見に行く。


 川は、確かに変わっていた。

 完全に澄んでいるわけじゃない。だが、前とは違う。


「……なあ」


 近くにいた年配の女に声をかける。


「川、何かしたか?」


「何も」


 即答だった。


「強いて言うなら……」


 彼女は少し考えてから言う。


「あの子が来てから、かねぇ」


 胸の奥が、嫌な音を立てた。


「どの子だ」


「王都から来た子。洗濯、よく手伝ってるだろ」


 やめろ。


 そう言いたくなったが、口には出なかった。


 俺はエリシアを探した。


 炊き出しの裏で、彼女は鍋を洗っていた。動きは鈍い。顔色も良くない。


「……おい」


 声をかけると、彼女は少し驚いたように振り返る。


「ミロさん」


「休め」


「大丈夫です」


 即答。

 そして、ほんの少しだけ揺れる視線。


 ――ああ、気づいてるな。


 自分で、自分の状態に。


「大丈夫じゃない顔だ」


「……そうですか?」


 誤魔化すように笑う。


 その笑顔が、妙に腹立たしかった。


 期待されない立場に甘えて、無理をするやつの顔だ。


「お前な」


 言いかけて、やめた。


 何を言う。

 お前が原因だ、か?

 町が変わってるのは、お前のせいだ、か?


 そんなこと、言えるわけがない。


 夕方、領主の執務室に呼ばれた。


 ガルディオ様は、書類を机に並べながら言う。


「報告は聞いている」


「……どう見ますか」


 俺がそう聞くと、彼は一拍置いた。


「良い兆しだ」


 それだけだった。


「理由は?」


「不要だ」


 きっぱりとした言葉。


「理由を探し始めたら、いずれ“管理”の話になる」


 俺は、息を呑んだ。


 この人も、分かっている。


 分かっていて、言葉にしない。


「……あの子は」


 口を開きかけて、止めた。


 ガルディオ様は、書類から目を上げる。


「エリシアか」


 名前を呼ばれただけで、胸が詰まる。


「あの子は、期待されるのが嫌いだ」


「……そうですね」


「そして」


 彼は、静かに続けた。


「期待されないことで、生き延びてきた」


 俺は、何も言えなかった。


 夜、町を巡回する。


 井戸の水は澄み、川の流れは軽い。人々の顔も、わずかに明るい。


 ――この状態が続けばいい。


 そう思う反面、背筋が冷えた。


 もし、これが一人の人間に依存しているとしたら。


 もし、その人間が壊れたら。


 もし、奪われたら。


 俺は、エリシアの家の前で足を止めた。


 灯りは、ついていない。


 中で、彼女はきっと一人で震えている。


 名付けられない力に。

 名付けた瞬間に、縛られる役割に。


「……畜生」


 小さく呟く。


 俺は現場の人間だ。

 奇跡なんて、信じちゃいけない。


 でも。


 この町が、彼女を中心に回り始めているのなら。


 俺は、どうすればいい。


 守るべきは町か。

 それとも、あの女か。


 答えは、まだ出なかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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