第13話 観測者たち
王都管理局の奥には、窓のない部屋がある。
外界の光を必要としない場所。
記録と数字だけが、すべてを語る部屋だ。
「……また更新されています」
若い官吏が、淡々と告げた。
机の向こうに座る男は、白い法衣の袖口を整えながら、差し出された書類に目を落とす。年齢は五十を越えているが、姿勢は正しく、視線は鋭い。
「ルーヴェン領。水質、農地、健康指標……」
指が、数値をなぞる。
増減は緩やかだ。劇的な跳ね上がりはない。だが、下がらない。それが異常だった。
「安定しているな」
「はい。不自然なほどに」
官吏は、言葉を選んで続ける。
「季節変動を考慮しても、説明がつきません」
男は、ふっと息を吐いた。
「説明がつかない現象に、人は二つの態度を取る」
指を二本立てる。
「一つは、見なかったことにする。もう一つは――管理する」
官吏は、黙って頷いた。
「辺境の報告は、いつも遅れる。だが、今回は遅れない」
男は、別の書類を引き寄せる。
「聖女候補、エリシア・タカハシ」
その名前が、静かに読まれた。
「……処遇は?」
「不適格と判断され、辺境へ派遣。以降、特記なし」
「特記がない、か」
男は、わずかに口角を上げた。
「最も危険な記録だな」
官吏は、戸惑いを隠せずに言う。
「ですが、正式な聖女判定は――」
「不要だ」
即答だった。
「我々は、称号を管理しているのではない。現象を管理している」
男は、机を軽く叩く。
「聖女と呼ばれる前に、聖女として機能している可能性がある」
その言葉は、断定ではない。
だが、疑念としては十分だった。
「……派遣記録の再確認を」
「はい」
「ただし」
男は、声を落とす。
「まだ、動くな」
官吏が目を見開く。
「確認だけだ。観測を続ける。接触はしない」
「理由は?」
「早すぎる介入は、現象を歪める」
彼は、冷静に続ける。
「辺境は、まだ“自律”している。壊す必要はない」
――今は。
その言葉は、言外にあった。
***
数日後。
ルーヴェン領から、追加の報告が届いた。
「……個人名なし。改善傾向、継続」
官吏が読み上げる。
「相変わらず、上手にぼかしています」
「優秀な領主だ」
男は、書類を閉じた。
「だからこそ、厄介でもある」
彼は、別の机に置かれた地図に視線を移す。王都から遠く離れた、小さな点。
「彼らは、分かっている」
「……何を、ですか」
「名を出した瞬間、取り返しがつかなくなることを」
沈黙が、部屋を満たす。
「観測班を一つ、準備しろ」
男は、静かに命じた。
「調査ではない。あくまで視察だ」
「名目は?」
「医療支援」
官吏は、息を呑む。
「善意は、最も疑われにくい」
男は、立ち上がった。
「彼女が“自覚していない”うちに、輪郭を掴む」
それが、王都のやり方だった。
***
同じ頃。
ルーヴェン領では、エリシアが川辺に座っていた。
今日は、洗濯をしない。ただ、風に当たるだけだ。
水面は静かで、鳥の声が遠くに聞こえる。
それでも、胸の奥がざわつく。
――誰かに、見られている。
根拠はない。
ただ、そう感じる。
「……気のせい、だよね」
自分に言い聞かせるように呟く。
彼女は知らない。
この静かな日常が、
すでに「観測対象」になっていることを。
名も告げられず、姿も見せないまま。
王都の視線は、確実にこちらへ向いていた。
嵐は、まだ形を持たない。
だが、空気はすでに変わり始めていた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




