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第10話 熱が戻る

 胸騒ぎは、朝からしていた。


 理由はない。

 身体の調子は、昨日よりもましだった。立ち上がることもできるし、歩けないほどではない。


 それでも、胸の奥がざわつく。


 ――嫌な予感。


 それを無視して、家を出た。


 ミロに止められていたが、今日はどうしても確認したいことがあった。確認しなければならない気がした。


 町を歩く。


 川は澄んでいる。

 井戸の周りには人が集まり、笑顔も見える。


 ――良い兆しばかりだ。


 なのに、胸が重い。


 あの家の前に立ったとき、足が止まった。


 ルゥの家。


 扉の向こうから、聞き慣れたはずの音がする。


 ――苦しそうな、呼吸音。


 息を呑み、扉を叩く。


「……はい」


 母親の声は、前よりも掠れていた。


 中に入ると、空気が違った。


 重い。

 熱を含んだ、嫌な空気。


 寝台の上で、ルゥが横になっている。顔は赤く、額には汗。数日前に見た穏やかな寝顔は、どこにもなかった。


「……戻ったんです」


 母親が、静かに言った。


「昨日の夜から。熱が……」


 私は、言葉を失った。


 ――そんなはずはない。


 下がったはずだ。

 落ち着いたはずだ。


 でも、目の前の現実は否定しようがない。


 ルゥは、苦しそうに息をしていた。


「医師は……?」


「来てくれました。でも……」


 母親は、言葉を濁す。


 その先を、聞かなくても分かった。


 私は、寝台のそばに近づいた。


 ルゥの手に、そっと触れる。


 熱い。


 前と同じ。

 いや、前よりも。


 ――どうして。


 頭の中が、白くなる。


「……ごめんね」


 思わず、そう口にしていた。


 何に対する謝罪か、自分でも分からない。


 ルゥは、薄く目を開けた。


「……ねえ」


 かすれた声。


「おねえちゃん……」


 胸が、きゅっと締めつけられる。


「……ここに、いるよ」


 震えを抑えながら、答える。


「……また、だめ?」


 その一言が、心臓を貫いた。


 助かると、思わせてしまった。

 大丈夫だと、信じさせてしまった。


 ――私が。


「……だめじゃない」


 嘘だと分かっている言葉が、口をつく。


「……ちゃんと、良くなる」


 その瞬間。


 胸の奥で、何かがざわりと動いた。


 嫌な感覚。

 身体の内側が、引き裂かれるような。


 視界が、わずかに揺れる。


 ――やめて。


 心の中で叫ぶ。


 ここで、何かが起きたら。

 もし、また熱が下がったら。


 それは、希望になる。


 そして次は、もっと深く傷つく。


 私は、ルゥの手を離した。


「……ごめん」


 絞り出すように言って、立ち上がる。


 母親が、驚いた顔でこちらを見る。


「どうして……」


「……私は、医者じゃない」


 声が、震える。


「……そばにいるだけで、良くなるわけじゃない」


 それは、母親に向けた言葉であり、

 自分自身に突きつける言葉でもあった。


 家を出た瞬間、足がもつれた。


 膝をつき、息を整える。胸が苦しい。呼吸が浅くなる。


 ――違う。


 これは、さっきのとは違う。


 今度は、明確に分かる。


 私は、何かを「止めた」。


 そして、それが正しいのか、間違っているのか、分からない。


 背後から、足音がした。


「……エリシア」


 ミロだった。


 事情は、すぐに察したらしい。何も聞かず、隣に立つ。


「戻ったか」


 私は、頷くことしかできなかった。


「……下がらなかった」


「……ああ」


 短い返事。


 沈黙が、重く落ちる。


「お前が悪いわけじゃない」


 ミロが、低く言う。


「……でも」


「奇跡は、治療じゃない」


 その言葉は、現実だった。


「続かない。保証もない。だから――」


 だから、期待してはいけない。


 その先を、彼は言わなかった。


 私は、空を見上げた。


 澄んだ空。

 静かな町。


 それらすべてが、ひどく遠く感じる。


 ――私は、ここにいるだけじゃ、だめだ。


 救えると思わせるだけでは、足りない。

 救えない現実を、突きつけてしまう。


 それでも。


 それでも、私は、ここから逃げられない。


 ルゥの苦しそうな呼吸が、耳に残っている。


 助けたいと願う気持ちと、

 助けられない現実。


 その両方を抱えたまま、生きていくしかない。


 それが、この場所で選んだ道なのだと。


 私は、初めてはっきりと理解した。

ここまでご覧いただきありがとうございます。


次の投稿からは、1日1回の更新になります。


ブックマークをして、楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

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