闘争の騎士
生きるための旅路だったはずが、
再びレオンの前に“剣を抜く理由”が現れようとしていた。
護衛依頼――それは雑務のはずだった。
だが、峠道は静かすぎた。
そして静寂は、いつだって血の匂いの前触れだった。
野営の片付けをし、峠道へ入ったのは昼を少し過ぎた頃だった。
陽は高いが、山の影が濃く、空気はひどく冷えている。
馬車の軋む音だけが響き、鳥の気配すらなかった。
「……静かだな」
ダグが呟く。
いつもの軽口ではない。肩に背負った大剣に触れ、周囲を見回している。
「ここ、魔物が出るんじゃなかったのか?」
レオンが問うと、ダグはかすかに鼻で笑った。
「出る“時は”やたら出るが……こうも静かだと逆に怖い」
商人たちも口数が減っていた。
荷馬車の御者が落ち着きなく手綱を握り直す。
「レオン、少し前に出ろ。耳を澄ませてみろ」
言われるままに歩いてみる。
風が木々を揺らす音はする。
だが――違う。
どこか、意識を向ければ向けるほど、森全体が“潜んでいる”。
胸の奥がざわついた。
あの日、帝国軍に囲まれた村で感じた、あの嫌な気配と同じだった。
「ダグ……これ、まずい気がする」
「言われなくても分かってらぁ」
次の瞬間だった。
岩陰から、黒く影のような何かが飛び出した。
「伏せろ!!」
ダグの怒号。
商人たちが悲鳴を上げ、馬が嘶き、馬車が揺れる。
影は獣だった。
狼より大きく、毛が逆立ち、目は血のように赤い。
普通の魔物ではない。
「“瘴狼”だ……!」
御者が青ざめた。
山の瘴気を吸って変異した獣――危険度は高い。
「レオン!」
「分かってる!」
腰の剣を抜く。
だが、手が震えた。
心臓が速く脈を打ち、足がすくむ。
目の前で、倒れた老女の姿がフラッシュバックする。
――また守れない。
そんな声が胸の奥からせり上がる。
瘴狼が唸り、レオンへ飛びかかった。
「レオン!!」
ダグの叫び。
だが、体は動かない。
刃が迫る――その直前。
レオンの前に、別の剣が割り込んだ。
甲高い金属音が響き、瘴狼が弾き飛ぶ。
「何突っ立ってんだバカ!! 死ぬ気か!!」
ダグの怒鳴り声。
剣を押し返す腕は太く、揺るぎなかった。
まるで岩が動いているようだった。
「お、俺は……」
「震えてる暇があったら、足だけでも動かせッ!」
再び瘴狼が襲い来る。
ダグが受け止めるが、一匹ではなかった。
茂みから二匹、三匹と影が現れる。
「数、多すぎ――っ!」
「商人たちを守れ!! 前に出るな!!」
ダグの声に、レオンは思わず後退した。
それは本能だった。
怖かった。
足が、胸が、恐怖で固まっている。
瘴狼の爪がダグの肩を掠め、血が飛ぶ。
「ダグ!!」
「こんくらい問題ねぇ! お前は後ろ守っとけ!!」
だが、商人たちの後ろにも一匹まわり込んでいた。
牙を剥き、御者に飛びかかる。
(……守らなきゃ)
身体が勝手に動いた。
剣を横に振る。
瘴狼の体が地面に転がり、レオンの腕が痺れる。
呼吸が荒い。
心臓が焼けるほど痛い。
だが――動けた。
「レオン、その調子だッ!」
ダグの声。
胸の震えが、ほんの少しだけ収まった。
全員で必死に瘴狼の群れを押し返し、
最後の一匹が逃げ去ったとき。
あたりは血の匂いで満ちていた。
「……ふぅ……生きてるな、全員」
ダグが大剣を地面に突き、息を吐いた。
「レオン、お前……最後、よく動いたじゃねぇか」
「……俺……怖かった」
「怖いに決まってんだろ。
でも、動いた。それだけで十分だ」
肩に手を置かれ、レオンはかすかにうつむく。
震える手を見つめる。
まだ怖い。
でも――逃げなかった。
その事実が、胸の奥で小さく火を灯した。
レオンが初めて“逃げずに剣を振った”回でした。
まだ弱く、まだ震えている。
それでも一歩を踏み出したことで、彼の物語は大きく動き始めます。




