こんな気持ちになるなんて聞いてません。
基本は木製やレンガ造りでありながら、あちらこちらに精緻な銀細工が拵えられており、それでいて下品にはなっておらず、そこには〝美〟が存在していた。人の往来も活発でその顔には笑顔が浮かんでいる。若い絵描きが露店で絵画を売っていたり、子供たちが紙芝居に集まっている様子をみるに、治安も良さそうだ。
「ここが我々が居を置く異世界アリオンはベルセン方伯領にございます。」
わたしは今、異世界にいる。これほどの感動があるだろうか?いや、無い!(反語)
「どうやら人間が多く目につきますが、ドラゴンやドワーフやエルフはいないのですか?」
「おりませんね。そして人間……とは少し異なります。この地は聖地より離散を余儀なくされたかつての同胞が人間種の男性と契りを結び発展いたしました。神族の血が色濃く出ている者も多くおります。」
「はぁ……見た目では判断が尽きませんね。」
「ご説明したように我々は魔女ケリドウェンの呪いを集めております。もし瘴気が漏れだしたなどのトラブルがあった場合、この世界の住人であれば我々のように異変が起こります。作戦と実験を進捗させる上である程度は適当な場所であるかと。」
鉱山のカナリア扱いか……。神様というのは勝手なものだね。
「それにしても人間と神族のハーフですか……。」
女神の身体になったわたしだが、性欲というものがまず湧かない。どんな愛の物語があったか知らないが、その女神さまは随分と変わり者のようだ。
「既にその同胞は人間種と共に命終しております。その子孫がこのベルセン方伯領を統治し続け現在に至ります。」
「方伯領……伯爵様ということは別に王がいるのですか?」
「辺境伯の名は名残ですね。同胞が降り立つ前は栄えた王国が別にあったようですが、今は衰退し実質の王都となっております。」
さてさて、アムちゃんと話している間に王城に到着してしまった。なんだか異世界にきたというより海外旅行に来たみたいだな。ドラゴンもドワーフもエルフもいないし。
「どうされました?モリー様。」
「恥ずかしながら謁見の作法なんてわかりませんが……一体どうしたものでしょう。」
「何を仰っているのですか!主様が半人風情に遜る必要などございません!堂々となさっていればよろしいのです!」
「そ、そうですか……。」
実際アムちゃんの言う通りで、王城には顔パスで通ることができたし、城内の騎士たちは膝を折ってわたしたちに礼をしている。絢爛豪華な扉の先には髭を蓄えた如何にも王様・伯爵様といった壮年の男性が臣下の礼をとっている。
「拝顔の栄に浴することができ幸甚に存じます、ウィリアム様。本日はどのようなご用件で。」
「息災であったか、ベルセンよ。こちらに居られる御方は我ら神族を束ね聖地へと導いてくださるモリー様だ。」
「モリーと申します。以後お見知りおきを。」
微笑を湛え一礼すると、一拍の間があった。いきなり電波な話をされキョトンとしているのか?とも思ったがそうでもないらしい。
「ベルセンよ……モリー様の美貌に見惚れてしまうのは仕方がないとして、態度に出すのはいただけないな。」
「は!申し訳ございません!」
ああ、こんな眼差しなど浴びたことがないからわからなかったがそういえばわたしは絶世の美女に転生していたのだった。何だか鳥肌が立つな……。とはいえ態度に出すわけにもいかない。
「本日はこの地を統べるベルゼン辺境伯の統治を拝見させていただきにまいりました。民は笑顔であり、その能力は疑いようもありません。この平和と安寧が続くよう、期待しております。」
「ありがたきお言葉に御座います。」
「それでは本日はこれにて。」
あまり堅苦しい場面は好きじゃない。偉い人ぶるのも化けの皮が剝がれそうで恐ろしい。わたしは早々に切り上げることにした。見送りのためついてきたベルゼンさんに一礼をして領主の館を後にした。
「やはりハルファの送り込んだ財務官とやらについて釘を刺しておくべきでした。不穏分子は早々に……」
「そう急ぐものではありません。動きがあればこちらも合わせれば良いだけです。」
「さようでございますか。」
本当は面倒ごとに巻き込まれたくないだけ……いや、問題を先延ばしにしているだけなのだけれどね。
「……そういえばわたしたちの団体も財団法人や慈善施設の運営をしていると言っておりましたね。どのようなものなのですか?」
「我々は医療や製薬を担っており、また慈善団体では、看護・介護事業を行っております。」
女神が直々に行う医療制度か、随分と手厚いな。製薬ってポーションとかそういうもの?これで錠剤とかだと夢が壊れるなぁ。……ん?
「神族の力を以てしても治せぬ病などあるのですか?死人だって蘇りそうなものですが。」
「はい、お察しの通り魔女の瘴気にあてられ、意識を混迷させてしまった者、身体が不自由となった者です。アリオンの民だけでなく、救出の叶わなかった同志もおります。」
「……もしよろしければ、その慈善施設に顔を出してもよろしいでしょうか?」
「お助けを……もう20年もこの身体なのです……。」
「殺してくれ……殺してくれ……。」
おお、思った以上に死屍累々だねえ……。全員がベットに寝たきりで手足が腐敗しているか、切断されており、骨髄から有り得ない方向へ捻じ曲がり変形している。精神に異常を来している者も多いようであちらことらから奇声が飛び交っている。
だがわたしの心の中にあったのは憐憫の情でも悲壮感でもなく、高揚心であった。何しろ【魔法が使える】。感覚でしかわからない、だが回復魔法を使うことができる。これぞわたしの望んだファンタジーじゃないか!
「大丈夫です、あなたたちの絶望は今日を以て終わりとなります。」
わたしはそう言って手を合わせた。その瞬間だった
「おお!光が……身体が……動く!」
「わたしの手足が!元の形に!ありがとうございます!ありがとうございます!」
「……ここは一体、わたしは今まで何を。」
待って、早い。まだ何もしてないちょっと念じただけ。せめて、せめて魔法的な何かを使ったという達成感を味合わせて。
「よいのです。失った時は戻せませんが、これからの生涯を良きものとしてください。」
「ああ、なんという。これが奇跡なのですね。」
奇跡じゃない、これはマッチポンプという。救世主を見る瞳を向けられても心が痛む。善人ぶるわけではないが、この施設で看護されていたみんなの手足が腐敗していたり、有り得ない方向に捻じ曲げられていたのはこちらのミス。……だがアムちゃんたちは言うだろう〝必要な犠牲〟であると。
正直言うと聖地奪還に燃えるアムちゃん筆頭の女神たち(アムちゃんは女神じゃないが)と主様なんて大層な名で崇めるられているわたしではあまりにも熱量に差がありすぎる。そもそも聖地オリハルオンとやらがどんな場所かも知らないし、神族にとってどれほど大切な場所なのかも本当の意味で理解はできない。
わたしに有り余る力があるというのならばどこかの異世界に飛ばしてくれ、ハーレムを作らせてくれ、楽々無双をさせてくれ。この齟齬はやがて悲劇を生むのではないか……。そんなことを考えてしまう。
「あの……、ウィリアム様から聞いたのですが貴方様が悪しき魔女に弑され復活をなされた主様なのですね!?」
いいえ違います。と、言いたいところだが、わたしが治癒を施し回復した女神の一人が紫紺の瞳を輝かせわたしを見つめる。わたしが手にした思わぬ異世界要素。その期待を裏切るのは心が痛む。
……心が痛む?なぜ心を痛める必要がある。勝手に向こうが勘違いをして勝手に祀り上げられて、そんなもの知るかと憤りを覚えて然るべきではないか。ああ、曖昧模糊とした感情の原因がわかった。
かわいい女の子や美人にチヤホヤされると嬉しいんだ。異能の力を得て楽しいんだ。なんでこんなところだけ森井孝臣の残滓がある?
「はい、そのように言われております。」
その羨望の眼差しをやめてくれ。神族とやらの聖地を奪還するための道具にするならば道具らしく扱ってくれ。わたしは異世界を楽しむ、そっちは聖地を奪還する。素晴らしいギブアンドテイクじゃないか。
なぁ、異世界転生ってこんなに窮屈なものだったのか。