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「星新一賞」ボツネタ

原動力

作者: 梅津高重

「百年眠らせて欲しい」

 冷凍睡眠技術が実用に達して早、十年。

 将来開発されるであろう難病の治療方法に期待して冷凍睡眠で時間を稼ぐ行為は、それなりに妥当な延命策だと考えられるようになりつつある。ただ、解凍まで含んだ膨大な維持管理費用が必要になるため、利用できるのはごく一部の大金持ちに限られている。

「百年ですか……」

 対応に当たった営業担当は絶句した。

 目の前の初老の男は、確かに、それが軽く可能な財力を持っているのだが。

「ここじゃあ無理なのか?それなら他を当たるが……」

「いえいえ、とんでもございません」

 営業担当は慌てて否定した。かなりの大口案件になりそうな目の前の男をみすみす逃してしまう手はない。

「技術的にはもちろん可能です。冷凍睡眠の長さは問題ではありませんので。ただ、百ヵ年計画の具体化というのは、当社には、いえ、どのような会社にとっても未知の領域でして……」

 顧客が寝ている間に会社が潰れたのでは話にならない。将来にわたる安定経営の保証は、冷凍睡眠業者に求められる最大の要件の一つではあった。

「できないと?」

「いえ、長期になりますといろいろと不安も御座いますので、とりあえず十年ぐらいずつに区切ってはいかがでしょうか……?」

 しどろもどろになりながら営業担当。百年と言わず、通常の最長プラン、十年の契約であればこの場で契約を完了させたいぐらいに魅力的な案件なのだが。

「一括で百年だ。無理なら他を当たる」

 代案は即座に却下された。男には譲る気配は無い。

 男は、名の売れた小説家だった。かつて、いくつかのヒット作が映画にもなっている。ここのところ目立った新作の発表はなかったが、旧作の映画化に伴うインタビュー、短編小説の発表や連載エッセイなどでの活躍は細々と続いていた。

 そういえば、最近、彼が最愛の妻に先立たれたということをニュースで見かけた。

「このような事を申し上げるのは大変失礼かとは存じますが、お客様は自暴自棄になっていらっしゃるのではないかと……」

「そうだとして、それに問題が?」

 あっさりと肯定されるとは思っていなかった。営業担当はまたも絶句した。

 技術的には問題は無い。費用の問題も無さそうだ。妻に先立たれて自暴自棄になった男が、問題の無いことをしようとしている。止める理由が無かった。

「ふむ……」

 問題があるとすれば、向こう百年間も続く契約を、きちんとした形で纏められるかどうか。引き受けるとしても、社内での自分の裁量範囲を超えている。

「分かりました。特殊な契約となりますので、専門のチームを作って検討させていただくことになります。あらゆる社会情勢の変化にも対応し、百年の契約を完遂出来るスキームをご提案できると思います」

 何にせよ引き留めて、しかるべき上へと引き渡すべき案件だと判断し、営業担当は力強く、適当なことを言った。


 それから百年と少し後、男は目覚めた。

 思っていたよりもスムーズな目覚め。

 普段よりも記憶の混濁が酷かったような気もするが、人生で一番混乱した目覚めという程ではない。目覚ましに夢から叩き出され、今が()で自分が()()なのか判然としないごちゃっとしたところから、掴んだわずかな取っかかりを頼りに記憶のチェーンをたぐり寄せて自分を取り戻す、よくある朝の儀式。

「おはよう、父さん」

 声を掛けてきたのは、恰幅の良い初老の男だった。

 可能性として考えてはいたことだった。自分の遺した、というのも変だが、財産には十分な余裕があった。息子が冷凍睡眠で自分を追いかけてくるというのはあり得る話だった。

「いや、実は冷凍睡眠じゃないんだよ」

 父がそう考えることも予想済みだったのだろう、父と同年代になったように見える息子は言った。

「加齢を抑える技術が順調に発展してね。五十年ほど前には、老化を完全に止められるようになったんだよ」

 男は、目を覚まそうと、まだふらつく頭を振った。落ち着いて見直せば、ベッドの周りには大勢の人。

「紹介するよ。この子らが、僕の娘と息子。父さんが眠ってから五年後と七年後に生まれた、父さんの孫だね。今年で……九十六歳と九十四歳」

 そう言って指し示したのは、どう見ても三十台程度な二人。

「次がその息子、父さんの曾孫で……」

 と順に紹介していき、

「最後が、半年前に生まれたばかりのこの子。父さんからすると、曾孫の孫。来孫(らいそん)っていうらしいね」

 母親に抱かれて笑顔を見せる来孫……とやら。ずいぶんと聞き慣れない単語だが、この紹介のためにあらかじめ調べてあったのだろう。

 曾孫よりも下は、皆、二十歳前半程度に見えた。その辺りで加齢を止めるのが主流なのかなと、男は観察した。

「まあ、積もる話もいっぱいあるけど、これから時間はいくらでもあるんだから、のんびりしようよ」


「ふう……」

 男は、百年前に仕事場にしていた書斎へと戻り、座り慣れた椅子に身を沈めた。

 子孫達に囲まれての百年後の世界への歓迎パーティーがいたたまれず、一人で妻の墓参りへ行きたいと言って早々に抜け出してきたのだった。

 墓参りを終えて自宅に戻った男は驚いた。

 書斎は、百年前に頼んであったとおり、そのままの形で保存されていた。それどころか、新たに建てられた豪邸の中に、当時の自宅がそのままの形で保存されていたのだ。

 こうして、百年が経ったことが信じられない空間に居ると、いよいよその思いが強くなってくる。……男は、自分にとってはつい先日の妻の死が「百年も前の思い出話」として語られる空気に耐えられなかったのだった。

 息子は、妻の、彼にとっては母の死を素直に受け止め、既に心の整理を終えていた。百年の歳月にわたる多くの子たち、孫たちに囲まれた生活は、どんな悲しみであれ、過去の思い出に変えるに十分なのだろう。

 一方で、これほど極端な逃避を必要とした自分は、別れの悲しみを消化するための時間をすっとばしてしまっている。

 それ以上、孫たちとは会わないことにして、男は書斎に引きこもった。食事もそこへ運ばせる。息子にとって、作家である父の缶詰は日常茶飯事だったので、すんなりと受け入れられた。食事には薬が添えられていたが、それはそのまま突き返している。老化を止める薬らしい。今のところそれについて息子は何も言ってこなかった。

 当時、妻が調子を崩してから雇っていた家政婦が存命で、せっかくだからと身の回りの世話を買って出てくれたのだが、それは断った。やはり、当時の人間には会いたくない。その意図を汲んだ息子は、言われた作業をこなすだけのロボメイドを手配してくれた。

 技術の発展というのは便利なもので、服の上からひと吹きするだけで、風呂に入らずとも清潔が保てるバイオスプレーが開発されていた。おかげで当時よりも快適な缶詰生活を送ることができる。似たような発想の携帯トイレも紹介されたが、こちらは丁重にお断りした。

 彼の財産は減るどころか増えていた。

 彼自身では特に意識していなかったのだが、百年の眠りというのは前人未踏の先駆的なチャレンジであり、大いに世間の注目を集めた。彼は一時的に「過去の有名作家」から「今話題の作家」へと返り咲いていたらしい。そのブームが去った後も、存命であるから著作権が切れることもなく、作品の再版や、再映画化の度、細々とそれなりの印税収入が続いている。百年後に金が無くなっていて解凍出来ない、などという間抜けな結果にならないよう、儲け話については好きにさせていたのも効いていた。この数年は、復活祭と銘打ったキャンペーンで、かなりの追加収入も得られたらしい。

 百年契約を確実にするため、冷凍睡眠業者のただの契約者ではなく、大口株主になるという方法を選んだのも大きかった。彼の知名度から来る宣伝効果もあり、社は最大手として業界に君臨するまでに成長していた。

 元々、冷凍睡眠に目を付けたのは、病魔に冒された妻のためであった。しかし妻は、そこまですることをやんわりとだが固辞した。

「あなたのそれに付き合うと切りがなさそうですから。私はこの時代に骨を埋めさせてくだいな」

 微笑みつつ言った言葉が妻の遺言になった。 

 そもそも、何がしたくてこうしたという確固たる理由も無い。妻の供養を済ませ、どうせ残る余生を過ごすだけなら、見たことのない時代で過ごしても良いだろうという程度の「自暴自棄」な思いつき。

 書斎に引きこもって、何をするともなく百年分の科学や社会の進歩から面白いトピックを物色しているだけで日は過ぎて行った。

 そんなある日、原稿を督促するメッセージが届いた。

 メッセージの送り主は、いつも世話になっている編集者。いや、世話になっていた頃から百年が経ったのだったか。

 眠りに就く前、月刊誌に連載しているエッセイをどうするのかと聞かれ、百年間休載する、と適当に答えたのだった。どうやらそれを律儀に守らせるつもりらしい。見れば、遠い昔に廃刊になっていた雑誌をわざわざこのために「復刊」させた上で、手ぐすねを引いて待っていたらしい。

 やらなければならないあらゆる仕事をロボットに任せきれるようになったこの時代、人がわざわざやる活動というのは、つまり、やらなくてもいいことに限られる。

 馴染みの編集者のそれも、面白がってのことだろう、全く約束通りの締め切り日を知らせてきていた。多分、彼にとっての大昔の旧友に送るメッセージに添える、ちょっとした冗談のつもりで準備していたのだろう。

 どこまで本気かは知れなかったが、ここまでお膳立てされて乗ってやらないのも粋ではない。どうせ暇だからと快諾した。

 そして、程なく、気軽に返事したことを深く後悔した。

 それにしても筆が進まないのだ。

 何しろ、百年ぶりの特別号だ。この百年の人類史の重みを受け止め、消化し、自分なりの切り口で表現したエッセイでなくてはならない。

 原稿の締め切りまであと数日。自分が眠りに落ちて以降の体感経過時間もほんの数日。それはつまり、百年分の思いを、一週間でまとめて綴れという無茶な要求なのだった。

 書いては消しての繰り返しで、あっという間に閉めきりの日はやってきた。

 男は、妻の死の前後ですら筆を止めたことはなかった。正直な所、できあがった文章が到底、満足の行くような出来ではなかった時もあった。それでも、駄文を公開して恥をさらす覚悟をして、とにかく締め切りまでに原稿として完成させてきた。

 実は、「何があっても締め切りは守る」というのが、専業作家になる際に妻と交わした約束であったのだ。

 まさに今も、何とか誤魔化して締め切りをしのぐだけのアイデアなら頭の中にあるのだが、いくらなんでもそれだけはやるまいと踏み止まっていたのだ。

 だが、いよいよ締め切りが近づき、男はとうとう諦めた。

 キーを叩いて、一気に原稿を書き上げる。

 それは、百年前、男にとっては一週間と少し前に頭の中で推敲していた内容だった。

 百年前に書かれるはずだった、前回のエッセイの単なる続き。妻を亡くした後の心境の変化を自分で観察し、記録しただけの、果てしなく時機を逸した回顧録。

 締め切りぎりぎりの時間まで推敲し、「校閲は任せる」と添えて、気心の知れた編集者へと送信した。

 一人の文化人として完全に終わりを迎えるか、妻との約束を違えるかの瀬戸際で前者を選んだ心持ちで、男はロボメイドに告げた。

「息子を呼び出して伝えろ、『百年眠る』と」


 次の百年が過ぎた。

「おはよう、父さん」

 そう声を掛けてきたのは、三十歳ぐらいの息子だった。見間違えるはずもない、彼にとってはつい数ヶ月前に一緒に過ごした姿。

「びっくりしただろ?七十年前ぐらいに、若返りの技術が開発されたんだよ」

 部屋には、彼と息子の二人しか居なかった。前回の大歓迎と比べるとずいぶん寂しい。

「ああ、僕以外はみんな寝ているんだ。さすがに人口が増えすぎてね。寝ている方が環境負荷が小さいから、特に用が無ければ冷凍睡眠していることが推奨されているんだ。うちは裕福だし、父さんが望むならみんなを起こせるけど……」

「いや、これでいい」

 百年前も関わり合いをほぼ拒絶して、結局、面識があるのはこの息子一人といっていい状態だ。特にそれ以外の子孫たちと会いたいという気は起きない。

 百年ぶりの墓参りを済ませ、保存させてあった書斎に閉じこもる。

 資源不足のこの時代、家を丸ごと保存してあるというのはかなりの贅沢に相当するようだった。ただ、冷凍睡眠の爆発的な利用増加で、大口出資者である男の財産は増える一方だったようだ。

 彼の一族は、世界規模の財閥にまで成長を遂げていた。その繁栄も既に二百年に及び、歴史と呼んでも差し支えがない。自分から始まる歴史を鑑賞するというのはなかなかに面白い体験だった。

 そうして無為な時間を過ごしていると、いつもの編集者からメッセージが届いた。

「次の締め切りはどうされますか?多くの読者が待っていますよ」

 ぎくっと一瞬こわばったが、百年前(こないだ)の原稿が好意的に受け入れられたかのような言われように、首をかしげる。

 恐る恐る、メッセージに添えられていた反響のまとめを見てみると、苦し紛れに書き上げたエッセイは、彼の予想に反して大きな人気を博したようだった。

 何しろ、百年前からタイムスリップしてきた当時の人気作家が、皆が体験することが無くなって久しい、最愛の者との死別について、生々しい心境を吐露しているのだ。これが受けないはずがなかった。

 読者の求めているものを提供するというのは職業作家の義務ではあったが、百年のギャップを完全に読み違えていたのだった。

 エッセイ人気は止まることを知らず、ちょっとした百年前ブームにまで発展していたらしい。

 その経緯を見ていて面白い名前を見つけた。

 男が第一線で小説を発表していた頃に友好が深かった同業者。二百年以上前には、男とライバル関係にあると見なされていた、その彼が新刊を出していた。

 ライバルには、盛り上げるだけ盛り上げておいては続きが書けなくなるという悪い癖があった。死ぬまでに完結できないだろうという定評が付いた作品が数多くあったのだが、医療の進歩による彼の寿命の延長もあって、その予想が覆されていたのだ。そんな作品の内の一作が三十年程前に完結していたのだった。

 早速、といっても世間に対して三十年遅れだったが、購入して読んでみる。

 楽しいひとときを過ごし、あとがきにさしかかったところで、男はそこに自分の名前を見かけた。なんでも、例のエッセイに触発されて続きを書く気になった、ということらしい。そこから完結までに七十年をかけているのが彼らしいとも言えたが。

 こういうのも悪くはないもんだと思い、男は、締め切りの相談ではなく、今度はさっさと書き上げた原稿そのものを添えて、編集者のメッセージに返信した。


 次の百年が過ぎた。

「おはよう、父さん」

 そう言って声を掛けてきた息子はその場にはおらず、代わりに立体映像が座っていた。

「段々とおざなりになってきたな、と思っただろ、父さん?でも、横着したわけじゃないんだよ」

 相変わらず、父の考えに先回りして言う息子。

「とうとう、精神をコンピュータに移す方法が開発されてね。今じゃ、ほとんどみんなこうなんだよ。生身のままだと、どうしてもごくたまに、不慮の事故や、医療の手が間に合わずやで死んじゃうことがあったもんだから」

 息子の両側には大勢の人の姿。

「これだと冷凍睡眠する必要も無いし、環境負荷も小さいしね」

 そこには、一族郎党が勢揃いしていたのだった。

「父さんもどうだい?」

「いや、いい」

 息子の勧めは即答で断った。別に永遠の命を目指しているわけでもない。

 男は、伝説に語られる一族の始祖と一言でも話そうと殺到してくる子孫らの立体映像から逃げ出し、いつものように墓参りを済ませると、聖域たる書斎に閉じこもった。

 百年分の世の流れを眺め、編集者から前回の反響を受け取り、百年置きの連載が定着した次の原稿を書く。

 ライバルの動向を見てみれば、また別の作品の続刊が出ていた。購入して読む。

 残念ながら今度は完結していなかった。盛り上げられるだけ盛り上げる、三百余年前から変わらない、彼の流儀そのままにクライマックスに達したところで以下続刊、となっていた。二十年ほど前に筆が止まっている。

 こうなると、続きが気になってしょうがない。

 男は、ふと思いつき、メイドロボに告げた。

「これの次の巻が出るまで眠らせるよう頼んでくれ」


 さて、男が起きて何年が過ぎたのかと思えば、ちょうど百年が経っていた。偶然ということはなかろうから、ライバルが狙ってこのタイミングで新刊を出したに違いない。

「おはよう、父さん」

 そう言ってきた息子は、一見したところ生身に見える。様子を観察していると、息子は種明かしをした。

「答えは生身だよ。技術が進歩してね。もう、コンピュータ内でも、生身で生きていても、大した差は無いんだよ」

 墓参りを済ませ、書斎に閉じこもって原稿を仕上げる。

 男のエッセイにはまだまだ人気があった。

 タイムスキッパーと呼ばれるようになった、過去からの一方通行時間旅行者はそれなりの人数が居るようで、物書きも多いらしい。ただ、彼らはどうしても男の模倣と見なされる。その先駆者である上、時間のギャップを何かの売りにしようという意図して始めたわけではないという自然さもあり、男の人気は飛び抜けていた。

 やるべき事を終え、楽しみにしていた新刊に取りかかる。

 体感時間にしてほんの一週間ほどで次の巻にありつけるという贅沢。

 しかし、男の期待は、若干、裏切られてしまった。

 あれだけ盛り上げておきながら、なおも話は未完だったのだ。

 まあいい。男はさっそくロボメイドを呼び付けた。

「これが完結するまで眠らせろ」

「それはできかねます」

「へ?」

 思いがけず拒否され、男は驚いた。ロボメイドが言うことを聞かないのはこれが初めてだった。

「じゃあ、次の巻が出るまででもいい」

「それも許可されません」

 にべもなく却下するロボメイド。

「お前の許可が要るっていうのか?」

 思わず聞き返す男。もしかして、人間がロボットに許可を求めなくてはならない時代になってしまっていたのか?

「いえ。私ではなく、法律で。自死の幇助は禁止されています」

「自死?」

「故意に無限に眠る事はお手伝いできません。人類の活動の終焉に直結しますので」

「うん?」

 男は首をかしげた。

 永遠の眠り、永眠といえば、死を表す伝統的な単語だ。そして、もし、人類全てが永遠の眠りに就いたのだとすれば、それは確かに人類滅亡に他ならない。

「いや、何かがあったら起こしてくれたら良いだけだろ?」

 男は聞き返した。

「はい。その、『何か』をあらかじめ定めて頂く必要があるのです」

「これの次の巻じゃだめなのか?」

 もしかして、ライバルの彼が断筆宣言でもして、続きは永遠に出ないとかそういう話だろうか?このご時世、鬼籍に入ったということはないだろうし……。

「許可されません。条件が循環参照して、デッドロックに陥りますので」

「どういう意味だ?」

「あなたが眠っている間に、次の巻が発刊されることはありえないのです」

「どうして?」

「先方が、あなたの作品の続刊を起床の条件として眠ってらっしゃるからです」

 そう言いつつロボメイドが立体映像を出して示した作品は、男がデビュー直後に書いた小説だった。

「いや、それは、一巻で完結しているが……」

 男が困惑して言うとロボメイドがページを開いた。

「あとがきのここに『機会があれば続けたい』と」

「ああ……」

 スキップした分の時間を差し引いた男の体感としても、遙かな昔の話だ。連作の構想があり、そのプロローグのつもりで書いた小説だったが、人気は芳しくなく、続きを書くことなく終わってしまった。

「こちらの作品の続刊が書かれない限り先方が起床されることはありませんので、ご指定の作品の続刊が書かれることもありません。従ってあなたの起床条件も満たされず、お二方とも無限に眠り続けることになってしまいます」

 思い出してみれば、その昔、「続きを書け」と直接言われたこともあった。

「うーん……」

 男は腕を組んでうめいた。こちらの起床条件を何かで知っての意趣返しだろうか。「お前も書き難い続きを強要される気分を味わいやがれ」と。やっかいなことをやってくれる。

「こっちが死んだらどうなるんだ?」

「自死は禁止されていますが不慮の事態の場合は、条件の成立可能性消失ということで、強制的に先方が起床させられます」

「じゃあ、あっちの新刊待ちでこっちが眠っても同じじゃないか?それで条件を満たせなくなったあっちを起こしたら良い」

「そのような事態を引き起こす眠りに就くことが禁止されています」

 どうにも埒があかない。

「うーん……」

 男はしばらく考えたが、妙案は思いつかなかった。諦めて妥協する。

「じゃあ、百年でいい。百年眠らせろ」


「了解いたしました。では百年進めます」

 言ったきり、ロボメイド動きを止めた。微動だにしないまま時間が過ぎる。

「進めます?どういう意味だ?」

 怪訝な表情で男が聞くと、ロボメイドはカレンダーを空中に表示させた。それがものすごい勢いでめくられていく。

「ちょっと待て、おい!」

 困惑する男には取り合わず、やがてロボメイドがぽつりと言った。

「完了しました」

「どういうことだ!?」

「百年を経過させました。こちらの方が効率的でしたので」

「効率的?お前の説明じゃ分からん!」

 男が声を荒げると、どこからともなく息子が現れた。

「やあ、父さん。久しぶり」

 いつもの調子で言ってくる息子。

「話は聞いたよ。実は、物理的な時間に社会を合わせる意味はずいぶん昔に無くなっちゃっててね。標準時というのを、人に合わせて進めることになったんだよ。みんなが一時間でやりたいことをやり終わったら一時間進む、みたいにね」

「だからって、あっというまに百年過ぎるのはおかしいだろう」

 男が言い返す。

「いやいや。みんなは普通、物理時間の百万倍ぐらいのスピードで活動できるようになってるんだよ。父さんを寝ていることにして時間の進展から切り離すと、他のみんなにとっては、百年ぐらいはあっという間さ」

 息子が言う。

「もう、父さんみたいに完全に生身のままの人って珍しいからね。その上で太陽系近くに残ってるとなるともっと少なくて、丁度、今、起きている人は父さん以外には居ないみたいだね。言われてみれば、物理時間に合わせて動くのってずいぶんと久しぶりだよ。生身の人が近くで『起きている』間だけはそっちに合わせることになるからね」

 男はうんざりとため息を付いた。これはあれだ、対戦型ゲームで自分以外のプレイヤーが全員パスを選んで、自分のターンだけがずっと続くあの感覚。

「じゃあ、こっちの体感時間、物理時間で百年分だ、それだけ眠らせろ」

 男が言った。

「いいけど、多分、冷凍睡眠ベッドに行って帰って来る以外、あんまり変わらないと思うよ」

「なんでだ?」

「さっきは過ごしているって言ったけど、本当のところ、ほとんどみんな、何かを待って寝てるんだよ。父さんのコラムは結構待たれてるから、それ抜きで百年経っても一億年経ってもあんまり変わらないんじゃないかな」

 物書き冥利に尽きる話ではあったが、話がそこまで壮大に度が過ぎると迷惑だ。

「何だってそんなことに……」

 息子はからかうような様子で答えた。

「いやいや、何を言ってるんだよ、父さんが始めたんじゃないか」


 調べてみると、確かに息子の言うとおりだった。

 全くの世界初というわけではなかったが、何しろ、タイムスキッパーの先駆者たる男の行動は、この手の話題と結びついた場合には大いに目立つ。長い年月を過ごすのに慣れた多くの人の目に「新刊待ち睡眠」の発想がずいぶん新鮮に映ったため、触発されて同じようなことをする人が激増したらしい。

 その結果として「やりたい事の準備が終わるまで寝て待つ」という文化が広まった。そうして自分の順番が回ってきたらやりたい事を終え、その結果を待っている誰かの肩を叩く。肩を叩かれた人が起き出してきてまた同じようにする。誰も何もやることが無くなったら「時間」を進め、「時間待ち」をしていた人が目覚める。

 「今の世の中の仕組み」を勉強してみたが、これはなかなか付いて行けそうにない。

 ともあれ、『寝て起きた』ということにはなったらしいので、妻の墓参りに行った。

 持って来ていたラップトップパソコンを模した何かのキーを叩いて原稿を仕上げ、馴染みの編集に投げる。

 即座に無数の読者らからの反響が帰ってきた。

 こうして書き続けることが人類社会を動かしていると思えば、やりがいのある話ではあった。いつか、ライバルの奴を目覚めさせてやるのも悪くはないだろう。

 妻の遺言を思い出す。まさかこの状況を予言していたわけではあるまいが、妻は「切りがなさそう」と評した。

 で、あれば、切りなく続けるしかないだろう。

週刊漫画連載などを読んでいるとしばしば欲しくなるのが、ドラえもんの秘密道具「タイムワープリール」。経済的、技術的に可能であれば、お気に入りの作品の発刊と発刊の間の無駄な時間は全てすっ飛ばして過ごしたいものです……。

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