31.撤退 -Retreat-
エトワールと入れ替わるように黒の王から離れ、ライラックは砂漠を走っていた。
それほど速く走っているわけではないのに、ライラックの呼吸は荒く、いつもより体が重く感じられた。
そしてすぐに走ることすらできなくなったが、それでもゆっくりと歩みを進めていた。
エトワールが現れ、黒の王から離れたことで集中力が切れ、気が抜けたのかと最初は考えたが、それでもここまで体の力が入らないのは異常だとライラックは考えた。
それでもライラックは足の動きは止めるつもりはなかった。
黒の王と向き合っていた時は恐怖も不安も忘れ、ただ自然と体が動き、思考が鮮明になっていた。
だが、逃げ延びていたライラックの今の思いはただ生きたい、そしてシオンとジャックの元に帰ることだけを考えていた。
だが、そんな思いに反して体は、大きな怪我を負ったわけでもないのに視界が霞み、ついには砂に足を取られたライラックは砂漠に倒れ込む。
再び起き上がろうにも足は砂を捉えきれず、まるで赤ん坊のように砂の上を掘るだけ、それでもライラックは前に進もうと這いずるように進む。
どれだけ格好が悪くても、醜くてもライラックは今できる全力を持って体を動かす。
そんな這いずり回るライラックに強風が襲う。砂に何かが落ちたような音と、日差しを遮る影がライラックに被さる。
ライラックは突然現れた陰から自分の目の前に誰かが現れたことは認識できた。
しかし、視界のぼやけたライラックにはそれ誰なのかまではわからなかった。
「誰……だ?」
警戒のため、立ち上がろうと地に手を置き、力を籠めるがすぐに倒れてしまう。
「ライラック……、その状態、かなりまずいわね」
「その声……、ステラ、か?」
ライラックの前にはステラが服に付いた砂を払いながら立っていた。
ステラはライラックの様子を見てからエトワールも確認しに行こうと考えていたが、目の前にいる彼の状態は放置しておけるものではなかった。
「手を貸しても歩けそうにないわね。姉さんの様子も見に行きたいけど……」
ステラの体格ではライラックを担ぐことも、支えながら歩くこともできない。となると風魔法で運ぶことになるが、彼を船まで運べば再び往復するほどの魔法は使えなくなるだろう。
そうなればエトワールの様子を見に戻ることは出来なくなる。しかし、今の状態のライラックを放置しておけば最悪の場合、死んでしまうかもしれない。
そこに砂を踏みしめる音が聞こえ、ステラは警戒して、そちらに振り向く。
「あっ……ステラ、それにラック。無事みたいだったね」
エトワールが砂の丘から顔を出して、大剣を杖代わりに歩いていた。
ステラとライラックを見つけて、勢い余って二人に駆け寄ろうとしたが、尻もちをついて体勢を崩し、砂の坂を滑り降りてきた。
その姿はいつものようなクールさはみじんも感じず、服も髪も砂に汚れボロボロだった。
ステラはエトワールの姿を見るや否や、驚きの声を出す。
「エト姉さん、大丈夫なの?」
滑り台から滑るように近づいたエトワールは苦笑する。
「技の反動でね。それより、ラックのほうがまずいね。完全にあれの魔力に充てられてる」
「はい。でも、姉さんも無事でよかった」
ライラックは倒れ込み、顔を向けることもできないまま、かすれ声で確認する。
「エト……ワールもいるのか?って……ことは倒せたのか?」
「ううん、でも撤退はさせた」
「……そう、か」
エトワールの言葉を聞いて、ライラックから安堵の声を零す。
「それより、早くライラックを」
「そうだね、私はまだ自分で動けるからライラックを魔法で連れて行ってあげて」
「姉さんも一緒に運べるわ。
ライラック、今から風で体を包むけど暴れないでね。結構維持が難しいんだから」
「…………」
ステラの言葉にライラックの返事はなかった。
反応のないその様子に慌ててステラはライラックに近づき、確認する。
ライラックは目を閉じ、死んだかのように静かになっていたが、息はしていた。
「急いだほうがいいね」
エトワールは大剣を下に置きライラックを抱き寄せて、その体積を限りなく小さくするように体を密着させてその上に乗る。
その行動にステラは顔を赤くし、取り乱した様子で声を荒げる。
「な、何してるんですか、姉さん!」
「ステラの風魔法で飛ばすなら一つに纏まっていたほうが制御しやすいでしょ。それにこれならライラックも支えられるし」
「確かにそうだけど……」
「言い合ってる暇はないよ」
その言葉にステラは邪念を振りほどくように頬を自分で叩く。
そして、エトワールたちに手を向けるとその足元から二人を囲むように魔法陣が現れ、小さな竜巻が大剣を浮き上がらせ、ボートのように二人を乗せて宙に浮く。
「それじゃ、移動しますから、しっかりと大剣に掴まっててくださいね」
「うん、任せたよ」
そう言ってステラは自分の足元にも魔法陣を出現させて、船の方向へと飛び始めた。




