胎動
レンレイ共和国の辺境に位置する名前もない村の小さな孤児院、その一室で少年は静かに眠っている。
村の教会の鐘が金属音で朝を伝えると、裏庭の蛇はするり木を下り草むらに消えていった。
孤児院の二階ではドタドタと足音が廊下を走り、階段を抜けて、少しすると落ち着いた足音が階段を登り、部屋の前で止まる。
「シィ兄、起きてる? もう朝だよ」
ノックも無しに足音の主は、ドア前で少年を呼んでいる。
シィ・バレンタインはその蒼い目をゆっくりと開いて、窓から刺す光は彼の白い髪と肌と部屋の埃にキラキラと反射して、シィは急いで窓のカーテンを薄目で手繰り寄せる。
「今いくよ、レヴィ。ちょっと待って、」
シィはドア前で待つ妹に眠そうな声で答えながら何回目かで捕まえたカーテンをレールに滑らせ素早く閉じる。
チャッと音を立ててカーテンは閉じられ、重い腰を上げたシィは、外していた十字架を再び首にかける。
ドアを開けると、綺麗な金色の髪がシィの視界に入り込む。
「おはよう、レヴィ」
「おはよう、シィ兄。お父さんがご飯にするって」
シィは起こしに来た妹のレヴィと一言交わすと、今にも落ちてきそうな瞼を擦り、重い体を引きずってレヴィの後を追う。
シィとレヴィが階段を降りると既に食堂は騒がしく他の兄弟達が朝食を運び始めていた。
2人はおはようとみんなに声を掛けながら、父さんがよそった2人分の食事をテーブルまで運ぶ。
食器を受け取って、車椅子に乗ったまま席に着く妹のユノは落ち着いた口調で礼を言う。
「どういたしまして、ユノ」
シィが一言返してから隣の席に座り、全員が席に着くとエルがお祈りを始める。
兄弟達も手を合わせて目を閉じ、終わるのを待つ。
お祈りが終わった事を確認すると全員が一斉に食事に手をつけ始める。
食事を終えて、みんなで中庭に出ようとすると、エルがみんなを呼び止める。
「今日は収穫祭でシィとユノの誕生日だからみんなで外に出かけようか。夕方までに玄関に来るように。外も寒いから着込んでくるようにね」
カイン達は歓声をあげ、レヴィたちも今年は何をしようかと話し始める。シィもユノも大騒ぎはしなかったものの、口角が上がるのがわかった。
「じゃあ後は頼んだよ、シィ、ユノ、」
そう言うと、エルはシィに兄弟達の面倒を見るように言いつけて、仕事場の診療所に出かけて行った。
靴を履いて中庭に出ると、男兄弟のカインとアベル、セトの2人は、しゃがんで一斉に雪玉を作り始める。
雪合戦の巻き添えにならないようにシィは木陰の元を歩き、庭で一番大きなタブノキの近くのベンチに座る。
空を見上げると忌々しいほど雲が無い青い空が広がっていて、談話室から伸びた煙突から煙が広がる。
談話室ではユノがレヴィと双子のイリスとイシス、ヘラに読み聞かせをしているんだろう。
そうしてシィは雪合戦を見ていると瞬きの回数が増え、頭を小さく揺らし始める。
シィが完全に目を閉じ、寝息を立て始めると小さな3つの人影がシィの背後をとる。
「ッ!?」
パシャと音を立てて、シィのうなじに冷たい感触が走る。
「よっしゃー!勇者カインが悪い魔王を倒してやる!!」
振り返るとニヤつきながらカインたちが父さんにもらった紙の剣を持って言ってくる。
「冷たいよカイン…。」
あきれたようにシィが言いながら、マフラーに付いた雪玉を払う。
「アベル!セト!雪玉用意!」
そんなことお構いなしにカインの号令がかかり、三人がせっせとその場で雪玉を作り始める。
「魔王もただやられるわけにもいかないからね」
魔王を待たせて残弾を作り出す小さな勇者に軽く微笑んで、シィは重い腰を上げる。
「よし!雪玉、撃てーーーー!!!」
カインの号令で雪玉がシィに投げられる。
シィは飛んでくる雪玉を半身で躱し、払い落とす。
「「まだまだーー!!」」
雪玉がシィに当たらないのに、カイン達が躍起になって積みあがった雪玉が徐々に減っていく。
最後の雪玉をカインが投げるとシィはそれを掴んでカインに投げ返す。
「今回も魔王を倒せなかったね、勇者」
シィが芝居掛かった口調で言う。
カイン達は3人とも俯いていて、やりすぎたかなと心配になったシィがカインに近づく。
「とった!!」
瞬間、カインが紙の剣を一閃、左に一歩、避ける。
アベルの上段からの二撃目、半身になってかわす。
セトの足払い三撃目、後ろに軽くジャンプ。
カインの四撃目、泣きそうな顔で切りかかるカインが見えて、服に剣がかすってシィはそのまま尻もちをつく。
「参った!」
シィが焦ったように言うと、
「よっっしゃーーーーー!!!!魔王シィを倒したぞーーー!!!」
「さすがカイン兄!!」
「カイン兄すごーい!!」
カインが大きな声で勝鬨を上げるとアベルとセトがカインに尊敬のまなざしを向ける。
そんなカインたちを見ながらシィは目を細めて、
「こらーーーー!!!」
突然、聞き覚えのある大きな声が庭に響いた。
カインたち三人はびくりと肩を震わせて、シィは苦笑しながら立ち上がり、ズボンの雪を払いながら声のする方に視線を向けると、予想通り頬を少し膨らませながらこっちに走ってくるレヴィの姿が見える。
「また三人がかりでシィ兄をいじめたの?」
レヴィがシィとカインたちの間に立って、攻めるような口調で言った。
「いや…、だって…、シィ兄がよけるから…」
レヴィの圧にアベルとセトは黙ってしまい、何とか兄の威厳を見せようとカインはしどろもどろになりながら答える。
「よけるから?何?」
だが、抵抗むなしくレヴィに撃沈された。
「まぁまぁレヴィ、別にいじめられてたってわけじゃないんだし…」
シィがカイン達に助け舟を出すとカイン達がキラキラと目を輝かせる。
「シィ兄!こうゆうのはちゃんと言わないと!毎回シィ兄悪役で3対1ばっかりして、勇者のする事じゃないし!!ほら、カイン達シィ兄に謝って!」
あいにく助け舟も撃沈され、レヴィは止まらない勢いでカイン達に詰め寄る。
「「ゴ、ゴメンナサイ」」
いやそうな片言で3人が謝罪する。
「ほら、カイン達もこう言ってるし、僕も気にしてないからさ」
シィがレヴィに言う。
「まぁ…。シィ兄がそう言うならいいんだけど…」
レヴィが言った瞬間、三人が一目散に逃げ出して、話は終わったといわんばかりにまた3人で雪合戦を始めた。
「あれ、反省してる?」
レヴィの問いかけにシィは苦笑を返した。
「シィ達、また喧嘩したの?」
声のした方を向くと車椅子に乗ったユノとそれを押しているイリス、イシスと手をつないでいるヘラがいた。
「喧嘩っていうか…」
「1対3で勇者ごっこをしてたらまたレヴィに助けられた?」
シィが言いよどむと、ユノがそんな風に言ってくる。
「まぁ、そんなところだよ」
語弊があるものの善意で間に入ってくれたレヴィの手前、シィはそう答えた。
「そう、ありがとうレヴィ」
「ううん、大丈夫、いつものことだから」
何かに納得したような間の後、ユノはレヴィに礼を言うと、レヴィが答える。
最後の一言にシィは観念したように笑うことしかできなかった。
「私、遊んでくる!」
「「私も!」」
待ちきれないヘラが雪の積もっている方へ走り出す。双子もヘラを追いかけて3人で遊び始める。
「転ばないようにね!」
「「はーい!」」
シィが3人に言うと大きく返事が返ってくる。
「レヴィも遊んできたら?」
「うん、」
シィがレヴィに聞くと、レヴィもシィに言われてみんなが遊ぶ方へ歩き出した。
シィはユノの乗っている車椅子をベンチの横に運ぶ。
シィはベンチに座ってみんなが遊んでいるのをただ見つめていた。
XXXXXXXXX
雪だるまが大小8個も出来上がってみんながくたくたになったころに、夕方の鐘が鳴った。
「おーい、そろそろ準備するよー」
シィはみんなに声をかけるとあくびをした後、伸びをして立ち上がる。
「行こうか、ユノ」
「うん」
シィが車椅子を押そうとしてユノに声をかけ、ユノが短くそれにこたえる。
「シィ兄ーー!!カイン達呼び戻して!!」
二人が部屋に戻ろうとするとレヴィがシィを呼ぶ声が聞こえた。
「シィ兄、あの三人部屋に戻して。全然私の言うこと聞かないの。私とユノ姉たちは先に準備してるから」
レヴィはそれだけ言って、シィが頷くと、イリス達3人を連れて家に向かって車椅子を引いていった。
「カイン!アベル!セト!そろそろ戻らないと、収穫祭に間に合わないよ!」
「「はーい!」」
シィは三人に部屋に入るように声を掛けると、返事したカイン達は雪だるまの最後の仕上げをして、しばらくすると満足したのかシィと一緒に部屋に戻る。
家に入るとみんな部屋に戻って自分の上着と荷物を取りに行った。
シィも自室に戻って上着とみんなで編んだマフラー、最後に真っ黒な傘を手に取って階段を下りる。
玄関の前でシィがセトの、ユノがイシスの、レヴィがヘラのマフラーを巻いていると玄関のドアが開く。
「ただいま、みんな。準備はできてそうだね。じゃあ、行こうか」
そう言ってエルはもう一度扉を開けた。
XXXXXXXXX
シィがユノの乗っている車椅子を押し、レヴィがシィを日光から傘で守り、少し歩いて大きな通りまで行くと屋台がいくつもあって、町の人たちが溢れている。
「先生、来てたのか!」
頭上から声がしてシィが上に視線を向けると、つなぎを着た肌が小麦色に焼けた青年が大広場の櫓の上から上半身を乗り出していた。熱いのか腰から上のつなぎは腰に巻いていた。
「「シモン兄貴!」」
「「シモンさん、こんばんは」」
「やぁ、シモン、こんばんは」
櫓から梯子で降りてきたシモンに、カイン達とシィ達、エルが声をかける。
「おー、シィもカインも皆も!久しぶりだな!先生もこんばんわ!先生のおかげでうちの爺さんの腰もよくなってきた!ありがとう!」
「良かったよ。まだ治療は終わってないから、激しい運動は控えるように伝えておいてね」
「おう!伝えとくよ!」
シモンが元気にエルにお礼を言って、エルが忠告する。
「先生、こんばんは」
「こんばんは、婦人」
「婦人だなんてやめてくださいな、そんな歳でもないですから。この間はありがとうございます、これ、この間焼いたクッキー、みんなで食べてください」
「「やったー!クッキーだって!」」
「ありがとうございます。いただきます」
「「ありがとうございます!」」
家族でお礼を言ってエルはお菓子を受け取る。
「先生、こんばんは!」
「先生この間の…」
「先生!」
エルがあっという間に町の人たちに囲まれてしまい、お礼と世間話に飲み込まれた。
「シィ、ユノ!みんなのこと見ておいて!はぐれないように、みんなもシィとユノの言うこと聞くんだよ!」
そう言ってエルは人の渦に飲み込まれていった。
「…じゃあ、行こうか」
「…うん」
人混みに流されていくエルを見て、誇らしいのと呆れるので忙しい表情を浮かべてシィとユノは言葉を交わした。
「みんな!この大通りから外れないことと、2人以上で動くこと、お小遣いは全部使わないようにね!あと、僕らは大広場の櫓の近くにいるから日の入りたら大広場に来るんだよ!」
「「「「はーい!」」」」
シィの約束にみんなが返事して、各々屋台に向かっていった。
XXXXXXXXX
シィとユノはしばらく櫓近くの屋台をまわった後、みんなを見渡せるベンチで見守っていると、射的の店ではヘラの射的のタイミングに合わせて後ろからイリスとイシスが景品を撃ち落としていたり、レヴィがくじを引くと1回で特賞が当たったり、カインとアベル、セトは金魚すくいでありえない量の金魚を乱獲して屋台のおじさんを涙目にさせていた。
各々が綿菓子やイチゴ味のかき氷、りんご飴や射的でとったぬいぐるみ、金魚たちの入った小さな瓶を手にレヴィ達は帰ってきた。
「おかえり、楽しかった?」
「「「「うん!」」」」
「シィ兄!カイン兄がね、…」
「ユノ姉!イリス姉とイシス姉がね…」
シィとユノがカイン達に聞くとみんなが楽しそうに話し始める。
2人がみんなの話を大方聞き終わると話が終わったのか人の波から解放されたエルがみんなに号令をかける。
「みんな楽しめたみたいだね、シィもユノもありがとう。そろそろ帰ろうか」
「「「「はーい!」」」」
皆がそろって返事をする。
エルが家に向かって歩き出すと思い出したように足を止めて、エルがシィに向かって口を開いた。
「そうだ、シィとユノは今日誕生日だったね、12歳おめでとう。さっきは、あんまり屋台に回れてなかったからね。二人とももう12歳だからもう少し二人だけで楽しんできなさい」
「ッ!うん!ありがとう父さん!」
「ありがとう、お父さん」
シィが嬉しそうにエルに礼を言うと、抑揚のない声で口の端を僅かに傾けてユノは抑揚のない声で礼を言った。
「「「「えー!「じゃあ、私たちは先に帰っているから。シィもユノも日が落ちるころには帰ってくるようにね。ほら、帰るよ。みんなも12歳になったらだね」
不満を言い始めるカイン達の気配を感じ取って、それだけ2人に伝えるとエルはレヴィたちを連れて帰った。
こちらに視線を向けるレヴィにシィは手を振ってみんなを見送った後、ユノがシィの傘を持ち、シィがユノの車椅子の取っ手を握り、二人は歩き出した。
XXXXXXXXX
彼は誰時、遊びきったシィとユノは消えかかりの夕日と一緒に帰路に立っていた。
ゆっくりと車いすを押して歩くシィの前でユノは片手に傘、片手でりんご飴をなめていた。
「シィ…、楽しかったね…」
「…うん。そうだね」
珍しく自分から楽しかったというユノに少し戸惑ってから、シィは嬉しそうに答えた。
瞬間、音が聞こえた。
何か破裂したような音だった。続いて耳鳴りがして、その音が大きくなっていって…。いつもより何倍か大きく車椅子が地面を引く音、風の音、自分の心臓の音さえ聞こえてくる。
何かおかしいそう思ったころユノがりんご飴を落としてうつむき足を抱える。
「ッ!! …シィ、足が、、 ッ!!」
痛そうにスカートを握りながらユノが痛みを訴える。
シィは車椅子を押すのを止め、傘を受け取ってユノの足を見る。
「ッ!?」
足を見せないための長いスカートのすそを少しまくると足がありえないほどねじれあって表面が黒曜石のような何かにパキパキと音を立てて形を変えている。
「ユノ!父さんに見てもらおう!」
直ぐにシィは傘を閉じて、孤児院の方向へ全力で車椅子を押し走り、夕日であっても日光は容赦なくシィの皮膚を突き刺し、シィは全身を画鋲でつつかれるような痛みに顔をゆがめる。
「ッ!? ア”ァァァァァァ!!」
とんでもない激痛、次に、悪寒、背中が割れて、中から成虫が出てくる、その成虫に体の血液を全部吸い取られる、そんな感覚にシィは襲われる。
何とか痛みを抑え込んで、車椅子に体重を預けて歩き始める。時間がたつほどただでさえ見えずらい視界の端が黒ずんでいく。やがて、孤児院へ向かう道の最後の曲がり角を曲がりきった…。
音が聞こえる、パチパチと暖炉が燃えるような音…、心地よくて眠くなるような音…。
「…ィ!! シィ!! 家が!! みんなが!!」
落ちかけたシィの意識をユノの絶叫が引っ張り上げる。
もうとっくに日は落ちたはずなのに、シィの足元には影が転がっていて。
シィがさびついた機械みたいに顔を上げる。
「……ぁ?」
煌々と燃え上がる孤児院を前にシィはそれ以上、言葉が出なかった。