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45話

クレアに婚約を申し込んで、数週間が経った。

2人で過ごすことに関しては今までも数え切れないくらいあったが、ただの幼馴染みだったあの頃とは一変して関係性が変わった最近は、巷で言うところの『いい雰囲気』になることも少なくはない。

ただ、『いい雰囲気』になると、少々まずいのも事実だった。


頭を過ぎるのは、クレアの父親にクレアに求婚する許可を貰いにいったあの日。


『本来なら、非売品もいいとこですが……あなたなら申し分ありませんし、認めましょう』


『あの子が望んで選んだ道なら、親としても何も文句はありませんから』


『…ただし、結婚するまでの間は健全な関係を築くこと』


『私の大切な一人娘なんでね。誠意をお見せしてくれること、期待していますよ』


まさか「在学中に一度襲いかけました」なんてことは口が裂けても言えない。その時は何とか返事を返したが、あのどす黒い圧を感じる笑顔を思い出すだけでも背筋が凍る。


「…サミュエル?どうかした?」


遠い目をするオレを、クレアが心配そうな顔をして覗き込む。


「あ、いや。なんでもない」


健全…健全って、どれくらいならいいんだろうか。……キスくらいなら、多分大丈夫だよな?


今はそこまで手を出すつもりはないけれど、あのとろんとした瞳を見つめていると、どうしたってその先のことを想像してしまって、抑えが効かなくなりそうで、いたたまれなくなる。

約束を破るのも良くないが、だからといって結婚するまで全く接触しないなんてこともできない。……だって、触れたいし。


彼女の頬を指で弄りながら、オレは、結婚するまでどうにか耐えきれますように、と頭の中で念じたのだった。


●○●○


私とサミュエルは婚約者ではあるが、しょっちゅうベタベタしているわけではない。

以前のようにくだらない事で言い合ったり、子供っぽくからかいあったりすることだって多い。

それでも、確かに変わった部分はある。


「ちょっと遠出するぞ」と言われ、連れてこられたのは、綺麗な海の見える砂浜。広いテラスつきの海の家的な場所を借りてくれたらしい。

どこの世界でも水平線まで続く海の景色は変わらないんだと、なんとなく前世の故郷を思い出して、目頭が熱くなった。


外に出て、テラスの端の柵に肘を乗せて寄りかかる。頬を撫でる風が少し肌寒い。薄手の上着を羽織ってきて正解だった。


「こういう場所が女子生徒に人気だってアシェルが言ってて、その…お前も好きそうだと思って」


「ふーん?やるじゃんサミュエル。褒めて遣わす!」


「ふっ、なんだよそれ。偉そうなやつはこうしてやる!」


「ぎゃー!!髪がボサボサになるー!」


今日だって、ただたわいもない話をしていただけだった。サミュエルが、わしゃわしゃした私の髪を解くように撫でる。


どちらからともなく視線が絡み合って、距離が近づいて、影が重なって。

何だか離れるのが惜しくて、何度も何度も口づけを交わす。だけど少し、どこか物足りない。心がもっともっととねだってしまう。私は、いつからこんなに欲張りになったんだろう。


温度を求めて無意識に顔を寄せると、彼の大きな手のひらで優しく制止させられた。


「ちょっ、と、まって……」


「サミュエル…?」


彼はそっぽを向いてひとつ深呼吸する。なにか気に触ることでもしたかな。


「ふー…っ…うん、もう大丈夫、大丈夫だ」


彼はそう言って、私の方に向き直った。

そういえば、 と彼から聞いた話が脳裏に過ぎる。

確か在学中は健全なお付き合いをしなさいと、彼は私の父と約束したんだったか。


…これは、この気持ちは、健全じゃないのかな。

胸にそっと手を当てる。

心の準備ができているかと聞かれたら、まだ即答は出来ないけれど。きっと、彼にだったら何をされても、私は喜んで受け入れるだろう。


「…私、サミュエルに無理して欲しくないよ。何だったら私がお父さんに…」


「いや…お前の親に合わせる顔がなくなるし、婚礼前の約束も守れない人間だと思われたら嫌だろ」


「胸を張って、お前の隣に立てる人になりたいから」


少し頬を赤らめながら、真剣な眼差しで彼は告げる。

……そっか。それなら仕方ないか。私だって、彼の気持ちをなるべく尊重したいし。私もここはぐっと堪えよう。


「なら、結婚してからのお楽しみにしとくね」


笑顔でそう返すと、サミュエルは唐突にピシリと固まった。ん、急に何事?

頭にはてなマークを浮かべていると、彼は私の肩をガシッと掴む。心做しか目が据わっているような気がする。彼は、ごく真面目な顔をして言い放った。


「……卒業したらすぐに式を挙げるぞ」


「え?」


「卒業したらすぐに式を挙げ」


「それはちゃんと聞こえてるから!!」


「なんでまたそんな急に……」


「お前みたいな可愛いやつはいつ誰に襲われるか分からないだろ。だったら手っ取り早く周りに示すしかない」


さりげなく「可愛い」なんて言われて、少し照れてしまう。いや、気にするとこはそこではないんだろうけど。

急に何を言い出すかと思ったら…彼のツボはよく分からない。


「べ、別に仮にそんな人がいたって、私にはサミュエルだけだよ?」


「だからそんなに焦る必要は……」


「例えそうでも、もうオレの方がどうにかなりそうなんだよ!!」


顔を手で覆って、半ば叫ぶようにして彼は威勢よくそんなことを口にする。ここが貸し切りで良かった。もし人の行き来がある場所だったら、彼も私も羞恥心で部屋に閉じこもっていたところだった。


「結構ギリギリなの、分かれよ…もう……」


私の言動に動揺して拗ねている彼がどこか面白くて、思わず「……ふふっ」と笑みがこぼれた。

笑う私とは対照的に彼はむっと眉をひそめるが、真っ赤な顔でそんなことをされても、全く怖くない。かえって愛おしく感じるだけだ。


「何がおかしいんだ」


「ううん、可愛いなって思って」


「他人事だと思いやがって、この……」


「あはは!…じゃあ、卒業するまでの間は婚約者としての時間を楽しもっか」


「……ああ」


私の手に、彼が手を添える。

卒業して1週間足らずで苗字が変わったのは、また別のお話。


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