43話
いくら待っても衝撃はやってこなくて、恐る恐る瞼を開ける。
そこには、雪のように美しく立派な毛並みをした虎が、私を背にして庇うように立ち塞がっていた。虎が現れるなんて、本来なら余計に危険な状態になったと焦らなければならない状況なのに、なぜだか不思議と危険だとは思えない。むしろ、昔ながらの友人にあったような気持ちにさえなる。
虎は私を横目でチラリと確認すると、流れるように私の服の背中の部分を器用に咥えた。
「え…エッ!?ちょ、なになに!?」
そうこうしている間に、体勢を立て直した化け物が再び私を攻撃をしかけてくる。
混乱する私をスルーして、虎は私を咥えたまま身軽に攻撃をかわした。何が起きているのかまるで分からず思わずジェットコースターに乗っている人並みに叫ぶ。
かと思うと、少しばかり離れた場所で急にぼとっと咥えていたのを離されてしまった。
「ぐえっ、あいたたた……」
「クレアッ!」
地味な痛みに悶えていると、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「あれ、サミュエル…?何でここに……」
「お前が無茶するからだッ!!」
戦闘でボロボロになってしまったサミュエルが、両手で私の肩を掴む。どうやら、あの虎は私を追ってきたサミュエルの元まで届けてくれたらしい。
「本来なら、言いたいことは や ま ほ ど あるが…ちょうどいい、この崖にあの化け物を落とすぞ」
彼が化け物の方を睨みつけてそう言う。
化け物は私たちの前にいる唸る虎を警戒しているのか、戦闘態勢のままいつ攻撃しようか様子を見計らっている。化け物の背後は崖。まさに先程の私のような状況であった。
「おい、オレが一度だけ隙を作ってやる。だから、あとは任せたぞ」
サミュエルが虎にそう呼びかけると、虎は承知したと言わんばかりに吼えた。
「サミュエル、大丈夫なの…?」
「魔法なら、あと1回くらいはどうってことない。……勇姿、ちゃんと見とけよ」
彼はにいっと悪い笑みを浮かべる。まるで悪役が浮かべるような笑みだったけれど、それが何だかとても頼もしく感じた。
「ッ『業火の神の名のもとに』!」
彼が素早く呪文を唱える。放たれた魔法は、化け物の近くにあった大木の根元に当たった。燃え盛った炎によって、自分の重さに耐えきれなくなった大木は、化け物のほうへみしみしと音を立てて倒れ始めた。
化け物が、倒れてくる大木に気を取られる。
その瞬間を待っていたかのように、虎は化け物に向かって力強く突進した。
化け物がバランスを崩す。今まで数々の攻撃を受けてきた化け物の体は、もう立てなおすほどの力は残っていなかった。
重力に従い、化け物は落下していく。
岩が落ちたような音と衝撃に紛れて、ガラスが割れたような音が鳴る。
それ以上、地面が震えることも、森がざわめくこともなかった。
「…たお、した……?私たち、倒せたの?」
「ああ、そうみたいだな?」
「サミュエル……わたし、私……!」
状況に感情が追いついていなかったが、だんだんじわじわと嬉しさが込み上げてくる。目の前がぼやけるのも構わずに、私はサミュエルに抱きついた。
「クレア…」
「ッ…よかった…!ちゃんと、生きてる……!」
お互い、もう離さないといわんばかりに、ぎゅうと固く抱きしめ合う。大切なものを、ちゃんと手のひらから零さずに居られた。ちゃんと、守れた。
胸を締め付けられて泣きたくなるような、それがあれば他に何もいらないと思えるような、そんな気持ち。ああ、これが幸せのひとつの形なのだと、身をもって実感した。
そうやって抱擁を交わしていると、そっと別の温もりが背中に擦り寄ってきた。
「ははっ、あなたもありがとうね」
お礼を言うと、虎は私とサミュエルの頬をぺろっと舐めた。少しザラザラしてくすぐったい。まるで猫みたいだ。まあ、虎もネコ科だろうしあながち間違ってはないかな?
頬を舐めた後、虎は私達からそっと距離をとって向き直る。
何となく、もうお別れなのだと感じた。『さようなら』になってしまうのが嫌で、私は「またね」と告げた。
虎はしだいに淡く光り始め、そのままふわりと風に流される煙のように消えてしまった。




