36話
いつの間にか、私は学園の裏で突っ立っていた。
周りにはプリズムのメンバーがいて、険しい顔をして食い入るように一点を見つめている。呼びかけてみても返答がないあたり、私を認識できていないようだった。
不思議に思い、彼らの向いている方向を見た。見てしまった。
彼らと相対するようにそこにいたのは、サミュエルだった。苦しそうに心臓の辺りを掻きむしって、口の端から血をボタボタと零す。
「サミュエル!」
だんだんと増えていく血の量にただごとじゃないと思って急いで駆け寄った。呼びかけるが、案の定反応はない。
彼の姿形が少しずつ、別のものへと変わっていく。黒い霧が辺りを包む。
彼の口から、「たすけて」と言う声が聞こえた気がした。
・・・
次に瞼をあげると、私は自分の部屋のベッドにいた。何か夢を見た気がするが、全く思い出せない。……まあ、忘れるってことはどうでもいい夢だったんだろう。
眠い目を擦りながら、私は布団からゆっくりと起き上がった。
・・・
季節は移り変わり、私たちは2年生に進級した。
「とうとう2年生になっちゃったね」
「ああ。思ったより1年が過ぎるのは早かったな」
食堂に向かう廊下を並んで歩く。
私のペースに合わせて歩いてくれるサミュエルの姿を横目で見ながら、私は今までのことを思い出していた。
大好きな乙女ゲーム『Choose Your Prince!』の世界に転生して長い年月が経った。
モブに生まれ変わったかと思えば、ゲームで悪役として登場していたサミュエルに出会い、仲良くなって、恋をして。
今では彼がこんな風に恋人として傍にいるだなんて、あの時は考えもしなかったな。
ゲームでの彼といえば、ヒロインたちの才能への嫉妬に狂って、いろんなことをしでかすような人物だ。
そう、確かに彼は、本来どうしようもない悪役になるはずの人間だった。でも、今の彼は悪役なんかじゃない。嫉妬や恨みの感情だけじゃなくて、私と同じようにちゃんと幸せそうに笑ったりはらはらと泣いたりするし、彼にはたくさん助けてもらったりもした。
そりゃあ、多少は間違いをしたこともあったけど、彼自身今ではちゃんとそれを間違いだったと自分でわかってるし。何より彼も人間なんだから、間違いの一つや二つはあるもんだろう。
「……なんだ、その生暖かい目は」
「べっつにー?カッコ良くなったなって思ってただけ」
「褒めても何も出ないぞ」
そっぽを向いて彼が言うが、耳元が赤いのを見るに照れ隠しでそう言ったのが丸わかりだった。可愛いヤツめ。
大切な人の隣にいられる毎日。
悲劇も何もない、穏やかで幸せな日々。
いつもみたいに続くと思っていた。
あれがやって来るまでは。
窓側から急に殺気を感じて視線を向けたのと、サミュエルが咄嗟に私を守るようにして抱きしめたのは同時だった。
ガシャンッと窓が割れ、その瞬間モヤを纏った黒い何かが侵入してくる。
ちらほらと周りにいた生徒が悲鳴を上げた。
「魔獣だ!魔獣が学園に侵入してるぞ!」
「いやあ!どうにかして!」
「誰か先生とプリズムのメンバーを呼んでこい!」
騒ぎの中心にいる魔獣と呼ばれたそれは、酷く不安定な姿をしていた。犬のような姿でありながら、バグったNPCのように変な色をした四角形のエフェクトが身体の至るところで不規則に蠢いている。
犬のような姿をした、モヤを纏った黒い魔獣。
私にはそれに心当たりがあった。
「なん、で……」
「クレア?」
私が侵入してきた魔獣の存在に怯えていると思ったサミュエルが、心配そうに顔を覗き込む。
教師陣と『プリズム』のメンバーが到着したのは、その直後だった。
・・・
顔色が悪いからとサミュエルに連れられた保健室のベッドで、窓から見える景色をぼーっと見つめる。気を使ってくれた保健室の先生が席を外しているからか、先程までとはうってかわって随分と静かだ。
先生が持っていたパンを少しだけいただいたが、それ以上は食べる気にもなれずに残してしまった。
私はあの魔獣を知っている。
あれは、ゲームで悪役のサミュエルが、ヒロイン達を襲撃するために使役した魔獣だ。
ゲーム本編ではヒロインたちの活躍により今回のように失敗に終わるが、安心できたのもつかの間。悪役の彼はそれに腹を立て、後日ヒロインたちを誘い出し禁断の魔法に手を出して、この世界で最悪と形容されるに相応しい化け物を召喚するのだ。
ゲームではその時が、HAPPYENDになるかBADENDになるかの最大の分岐。
彼によって召喚される化け物は、実体がなく誰かに取り付くことによって力を発揮する。取り憑かれたが最後、人間とはかけ離れた存在になり一生元には戻れない。
つまりは、HAPPYENDではサミュエルが、BADENDではプリズムのメンバーの誰かが取り憑かれて、ヒロインたちに倒されて死ぬ。最悪の場合、化け物を倒せずに全滅だ。
……これはあくまで、この世界でなくてゲームの話。サミュエルだって、今更プリズムのメンバーを殺そうだなんて物騒なことは考えていないだろう。
だから、これはもうありえないことのはずなのに。
あのバグったようなエフェクトは、本来のゲームに登場する魔獣にはついていなかった。
最悪の想像が頭をよぎる。
このままでは、筋書きの運命を辿るように、サミュエルかプリズムのメンバーのどちらかが死んでしまう。
段々と自我を保てなくなって、苦しみながら怪物に成り代わってしまうあのシーンが、現実のものになってしまう。
さっき食べたパンを戻しそうになって、咄嗟に口を押えた。
私が彼の未来をねじ曲げたはずなのに、なんで、どうして、それ無かったことにするかのように物語通りに進んでいくの?
無力感に打ちのめされて、呆然としてしまう。
やっぱり自分はただのモブで、運命を変えるような力なんて持ってなくて。
頬から伝う雫が、布団に落ちて染みていく。
推したちが死ぬところも、サミュエルが死ぬところもみたくない。どちらも私にとっては大切で、失いがたいものだ。
どうしたら、どうすればいい?私、私は……。
……ああ、そうか。
私が、代わりになればいいのか。
私は本来『名前のない役』だから、居なくなったってこの世界にはなんの支障もないはずだ。
私が私じゃなくなる前に毒とかで命を絶ってしまえば、皆に迷惑をかけることもない。だから、だいじょうぶ。大丈夫……。
「だいじょうぶ……」
言い聞かせるように呟いた声は、静寂に吸い込まれて消えていった。




