番外編 気にしません
休み時間、陽の光の差す空き教室で、机の上をぼんやり眺める。名前だけ書いたままの課題が机の上に鎮座していた。
難しくて筆が進まないのだと、傍から見ている人は思うのだろう。しかし、課題が難しくて頭を悩ませているというより、課題そのものが頭の中にまるで入ってこないのだ。
頭の中で何度も再放送されるシーンばかりに気を取られて、ペンをくるくる指で遊ばせる。
間延びした声で彼の名前を呼ぶと、彼は問の解き方を質問されると思ったのか、解いていた問題用紙から目を離し、こてんと首を傾げて「ん、なに?」と問いかける。
「やっぱりさ、胸あったほうが嬉しい?」
「へ、は……はァッ!?!?!?」
2、3秒ほど固まっていたサミュエルが今まで聞いたことないような大声を上げた。若干声が裏返っていたのは気にしないでおこう。
「アホかお前ッ!!何でそんなこと急にき、ゲホッ、ゴホッ…ぅ…」
「まあまあ、落ち着いて」
私は大声の出しすぎでむせたサミュエルの背中をさすった。むせて苦しそうなのは申し訳ないが…私の恋人は本当に、見ているだけでも面白い。なるほど、これが所謂おもしれぇ男ってことか……。
「お前が!!むっ、胸がどう、とか……変な事言うからだろ!!!」
「他に聞き方思いつかなかったし」
「そういう問題じゃ…ってか、何で言った本人は全然恥じらいがないんだよおかしいだろ!」
まるでコントでツッコミをする人みたいに彼は訴える。
一度は空き教室に閉じ込めたりなんやかんやととんでもないことをやってのけたサミュエルだけれど、彼は存外ウブでロマンチストなやつだ。私も乙女ゲームが好きだから似たようなものだけれど、彼には及ばないだろう。よく、「お前は変なところで肝が座りすぎだ」と彼に言われるし。
「逆にサミュエルが照れすぎなんじゃないの?」
からかうように笑いながら言うと、サミュエルにジトーっと文句タラタラの目で睨まれる。
「この……ッ…と、とりあえず今はその話はいい」
ふぅ、とひとつ息を吐くと、彼はいつもの調子に戻ってしまった。せっかくイジりがいがあったのに、ちょっと残念だ。
彼は少し呆れたような顔をして、私の頭を片手でわしゃわしゃと撫でる。
「オレが聞きたいのは、何で急にそんなこと気にしてんのかってことだよ……」
『何で気にしてるか』……か。
たまたま耳にしてしまった下世話な会話が、また頭の中で再生される。
『しっかし、サミュエル様ももったいないよな』
『しょうがないだろう、相手のいる身じゃなあ…』
『だが、あんなにスタイルの良い女性なんて他に中々居ないだろうに』
『本当にな…やっぱ埋もれるくらい豊かな胸ってのはいいもんだよ、壁みたいなのよりかはさ。ああいうのを触れる許しを貰えるヤツは羨ましいねえ。まさに男の夢って感じで』
『ははは!お前さっきからそればっかりだぞ!まあ、その気持ちはよく分かるがな!』
勝手に聞いてしまった私も私だが、そういった会話を、是非とも当事者が通るような場所で言わないで欲しいところだ。
そりゃあ一般的にスタイルがいい方がウケがいいのは知ってるし?ふわふわでおっきな胸に憧れる男の人も多いだろうし?
私はまあ…ほぼ壁みたいなもんだけど、今後そうなる可能性だってなくはないから、こう…どうにか頑張れば、飽きられる前には何とかなるかもしんないじゃん……。
「だって……」
思わず声が零れる。
「『だって』?」
「…っ別にいいでしょ!」
何となく言ったら負けな気がして、咄嗟に誤魔化した。
貧乳で悪かったな、名も無き男子生徒ども!!数多の同志を敵に回した罪で壁にぶつかってタンコブでもできてしまえ!!と心の中で思いっきり毒づく。
「ふーん…?まあ、いいか」
サミュエルは私の反応に納得していない様子だったが、特にそれについて深く追求することはなかった。一瞬恐ろしいくらい悪い顔が覗いた気がするが多分気のせいだろう。きっとそうだ。
「け、結局どうなの。やっぱりおっきい方がいいって思ってる?」
恐る恐るそう聞いてみる。これでもし大きい方がいいと言われたら、これから毎日私はキャベツ生活をしなければならない。覚悟なら出来ている。さあ、どうなんだサミュエル・ノゼアン……!
この手の会話をするのが少し気恥ずかしそうな様子で、彼が口を開く。
「オレは…別に…そっ、そんなのあんまり気にしたこと、ないし……」
「そもそも、おまえ以外をそんな目で見た事ない……」
しどろもどろになりながら、彼は小さな声で呟いた。
彼がそう言うだけで、さっきまでの嫌なことが全部泡みたいに消えていくのは、何かの魔法だろうか。
「え、あ…う、うっそだ〜!絶対嘘!」
今になって恥ずかしくなり、角砂糖をさらに蜂蜜で包んだようなこの空気に耐えきれなくなった私は、何故か喧嘩腰のような態度でそんなことを言い放っていた。
「前まで散々『まな板』とか言って馬鹿にしてたくせに!!アッ、もしかして小さい方が好」
「今すぐその身をもって教えてやってもいいんだが?ん?」
背後にドス黒いオーラの見える笑顔のまま、彼が私の両頬を片手でぶにっと掴み告げる。
地雷原でタップダンスがしたい訳では無い。こういう時はすぐに謝るのが吉だということは身に染みている。
「前言撤回やっぱなんでもないですハイ」
素早く謝罪したが、「そんなこと考えなくていいから、お前はまず問題を解け」と私は彼に頬をつままれてしまったのだった。




