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30話

急にサミュエルがそっと拘束をといた。腕が自由になり、ようやく寝そべった状態からソファに座りなおすことができた。

先程までの怒ったような激しい感情はなりを潜め、サミュエルは下を向いたまま口を噤んでいる。

黙って向き合ったままソファに2人で座っている時間が、酷く長く感じた。


「なんで、こんなことしたの」


自分の声が静かな空き教室に響く。視線は合わない。

この重たい空気に観念したのか、サミュエルが言葉を選ぶようにぽつぽつと話し始めた。


「…もう、心は手に入らないと思ったから」


「だったらいっその事、身体だけでも手に入れてやろうと思った。嫌でもおまえの頭の中に居座ってやろうと思った」


「身体さえ手に入ったら、後はどうとでもなるだろうって」


「………だけど、虚しい。寂しくてしょうがない」


なに、それ。

開いた口が塞がらない。

そんなの、まるで私のことが好きだって言ってるみたいじゃん。


「お前に酷いことをした。謝って許されることじゃないってわかってる。でも…ごめん」


「本当に……ごめんなさい」


頭を下げて心細そうな声で呟く。

彼の言葉は、罰を受けるのを待つ罪人の独白のようだった。


「…こんなことする前に、もっと他に言うことがあるんじゃないの」


「っ……ごめん」


彼は再び謝罪の言葉を繰り返す。


「償うよ。お前が望むことならなんでもする」


「金が必要ならいくらでも払うし、気が済むまで殴ればいい。もう会いたくないなら二度と顔は見せないように……」


「違う。謝罪はもう聞いた。それじゃない」


これ以上謝罪が聞きたいわけじゃない。それよりも別の言葉が欲しいのに。


「じゃあおれ、どうしたら……」


眉尻を下げて、苦痛を含んだ声で彼はそう零した。それは、今にも泣き出しそうな迷子の子供を彷彿とさせた。


「あなたが私をどう思ってるのか、どうして私の身体だけじゃ嫌なのか、あなたの口から一度も聞いてない」


あなたも、そして私も、長いこと意地を張ってきた。言わなくたってわかってくれるだろう、気づいてくれるだろうって。でも、肝心なことは言葉にしなきゃ何も伝わらない。

きっと今私たちに必要なのは、声に出して本心を伝え合うことだ。


「本音で語り合おうよ、サミュエル」


すぐ目の前で息を飲む音が聞こえた。


「おれ…………オレ、お前が、クレアがすきだ。好き、なんだ…」


彼が、泣くのを堪えるかのように顔を歪めて、言えなかった秘密を吐き出すみたく告げる。

それは、私がずっと欲しかった言葉だった。


「素直になれなかった。勇気がでなかった。……傷つくのが、こわかった」


「でも…そのせいで、代わりにお前を傷つけた。傷つけたいわけじゃなかったのに」


「お前に嫌われている事実を…他でもないお前に突きつけられるのが、こわい。いやだ」


「うそでもなんでもいいから、きらいっていわないで……」


彼は俯いて、私の服の袖をきゅっと掴む。

声が震えそうになるのを押し殺して、泣いているようだった。


「なんで私があなたのことを嫌ってるって思うの?」


「……だって、嫌われてもしょうがないことをした」


彼は眉間を寄せて口をきゅっとすぼめる。まるで親に叱られて拗ねている大きな子供みたいだ。そう思うとちょっと可愛く見えなくもない…かも。


「私の心は私のものだから、そうやって決めつけないで」


伝え方を間違えて誤解されることがないように、深呼吸して、今いちばん伝えたい想いを口にした。


「……私、サミュエルのことが好きなの」


声が震える。飾らない素直な気持ちを言葉にするのって、こんなに怖いんだ。彼も、さっきはこんな気持ちだったのかな。


「は……ああ、そうか。うそ、嘘か。しってる、そんなわけない」


その言葉に目の奥がツンとして少し辛くなる。信頼は簡単には戻らない。それは彼も私も同じ。

けれど、自分のことでいっぱいいっぱいで、こうなるまで周りに目を向けれなかった自分にも責任はあると思うと、仕方ないと受け入れるしかない。


「あの時『嫌い』って言ったこととか、避けてたこととかのせいで気にしてるのなら…ごめんね」


「だけど、そうやって予防線を張らないでほしい」


「この気持ちは嘘じゃないよ。それとも、私のことはまだ信じれない?」


ここは私が一肌脱ごうと、なるべく穏やかな声になるよう心がけて問いかける。


「…信じていいか、わからない」


「そっか。今信じられなくても、信じるまで何度でも言ったげる」


彼の頬を両手で包むようにして前を向かせる。

彼と、ようやく視線が合ったような気がした。


「……好きだよ、サミュエル」


届いて、と精一杯の気持ちを込めて、彼にその言葉を捧げた。

彼はびくりと肩を震わせ、大きく目を見開く。

だが、視線はすぐにふいっとそらされた。


「こんな…オレだけ与えられるなんて、ダメだろ…だって、お前、縁談が……」


気まずそうに、話しづらそうに彼が呟く。

縁談……?縁談って、まさかだいぶ前に断ったあれのことを言ってるのかな?


「それならもう断ってるけど」


「え」


彼は口をあんぐり開けて固まってしまった。なんか、今日の彼は驚いてばかりだな。縁談がどうかしたんだろうか。

というか、縁談のことサミュエルに知られていたのは予想外だ。噂話にでもなってたのかもしれない。色恋沙汰って噂になりやすいしなあ……。


「なっ、なん、なんで……」


「なんでって…サミュエルのことが好きだから。最初から諦めるくらいなら、当たって砕けようと思って」


「……そう、だったのか」


よくわからないけど、誤解が解けたようで何よりだ。

呆然としている彼の手に、そっと自身の手を添える。……よかった、すれ違ったまま終わらなくて。


「この際私も言わせてもらうけど……はじめてがこんなことになって、嫌だった」


「それは……本当にごめん」


「私の事、ちゃんと見てないみたいで悲しかった」


「…うん」


しょんぼりする彼に、私はちょっと悪い笑みを浮かべて告げた。


「私、このままじゃ嫌。いつかちゃんとやり直さないと許さない」


「……オレに次を、チャンスをくれるのか?」


「その代わり優しくしてくれたらね。もう噛まれるのは嫌だし」


「っ…ああ、もちろん、勿論そうする。今度はちゃんと大切にするから」


彼は、私を壊れ物でも扱うかのように優しく抱きしめた。さっきまで揉めていた反動からか、ほっとして目の前がぼやけてくる。

2人とも涙で顔がぐしゃぐしゃになりながらも、今は確かに笑い合っていた。


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