26話
約束をした当日。
いつ言おう、いつ言おうと悩んでいる間に、もう解散する時間になってしまった。ここを逃したら、ずるずるとまた次に引きずってしまうだろう。タイミングは今しかない。
アーロが何か言うよりも先に、言葉を絞り出す。
「アーロさん!…話しておきたいことが、あります」
私のいつもと違う様子に気づいて、アーロも真剣な顔つきになる。
彼の想いに向き合うため、私は大きく息を吸って、ひと思いに吐き出した。
「ごめんなさい!あなたの気持ちには応えられません!」
土下座する勢いでそう言うと、特に驚いた様子もなくアーロは眉を下げて苦笑する。
「…あはは。まあ、何となくそんな気はしてたよ」
「えっ」
「君の様子を今日一日見ていれば、なんとなく分かってしまうからね」
そんなに分かりやすかったのか……。なんだか申し訳ないことをしてしまったな。
彼は私に気を使わせないように笑ってはいるけれど、瞳に一瞬寂しそうな色が浮かんだのが見えて、罪悪感で胸が締め付けられる。
断った私が言うのもなんだが、こんなに優しい人に悲しんでもらいたいわけじゃなかったのに。
「っ……ほんとに、ごめんなさ……」
余計に期待させて、傷つけて。私って最低だ。
視界がぼやけてくる。辛いのは私じゃなくて目の前の彼のほうだろう、私が泣いてどうするんだ。下唇を噛んで涙が出そうになるのを必死にこらえる。
「ああ、そんな悲しそうな顔しないで」
屈んで私に視線を合わせると、彼は幼子をあやすような優しい声で言った。
「僕なら大丈夫」
「むしろ、今まで僕と出かけてくれてありがとう。僕に幸せな思い出をありがとう、クレアさん」
そう言って貰えるだけで救われたような気持ちになる。
こんな素敵な人を振るくらいなんだから、私も頑張らないとな。
「ッ……!こちらこそ!」
私を好きになってくれてありがとう。
その気持ちが伝わるように、めいっぱいの笑顔を作って心を込めて告げた。
・・・
なんとか第一の壁を乗り越えたが、本番はここからだ。好きな人を惚れさせる、なんてただの陰キャオタクには難易度が高すぎるが、ここで諦めるわけにはいかない。
まずは形から入ろうと、女子力の塊であるミアに化粧を教わった。前世でも今世でも全く手をつけてこなかった分野である。
途中で何度か失敗してバケモノみたいな顔面になったこともあったが、試行錯誤を繰り返し、私はついに技術をものにすることに成功した。女子力の神様ミア先生のお墨付きだ。
「すっごくかわいいよ!クレア」
「そう、かな…」
「うん!きっとサミュエル様だって『かわいい』って思うんじゃないかな」
こんなに頑張ったのは、一重に彼に褒めて欲しいからに他ならない。
それでも、変じゃないかな、気づいてくれるかな、と不安になってしまう。
足が竦む。
立ち止まったままの私の背中を、ミアが不意にトンッと後押しした。
「ミア……」
「いってらっしゃい、クレア」
「っ、うん!」
ヒロインに背中を押してもらったんだ、これ以上心強いことはない。
勇気をだして、私は思い切って踏み出した。
・・・
案外彼はすぐに見つけることができた。
深呼吸して、この前みたいに慌てないように落ち着いた足取りで彼に近づく。
「サミュエル」と声をかけると、彼は静かにこちらに振り向いた。
何とか顔を上げるが、恥ずかしくて彼の足元しか見れない。
「ふん……急に何だ、化粧なんかして。好きなヤツでもできたのかよ」
そんな声が上から降ってきてドキッとする。好きな人でもいるのかとピンポイントで言われて心臓が弾けそうなほど焦った。そういうとこだけ鋭いのは勘弁してくれ。
でも、変化に気づいてくれたならチャンスだ。
一回でいいから、彼の口から「かわいい」と聞きたい。可愛く思われたい。
「べっ、別に…どんな理由でも構わないでしょ?私が化粧したって」
「可愛いって言ってほしい」と、口からわがままが飛び出しそうになるのを必死に堪える。
今好きバレするのはまずいと思い咄嗟に誤魔化したが、少し冷たい言い方になってしまった。
「は…まさかとは思うけど……いるのかよ?おまえみたいなやつに?」
「な、なに、私に好きな人がいてもいなくても別にいいじゃん」
なんだろう…サミュエル、今日はなんかいつもよりやけに喧嘩腰のような気が……。気のせいかな。
「それよりも、化粧さ…どうかな。サミュエルはどう思う?」
好きな人について追求されないように、私は化粧のほうに話題をそらした。
「…………なんで、オレに…」
「え?」
なんて言ったのか上手く聞き取れなくて聞き返す。
その瞬間、彼と目が合った。
ようやくまともに目を合わせて気づいたのは、彼が傷ついたような表情を浮かべていたということ。
彼は目尻をキッと吊り上げる。親の仇でも見るような目。それは原作の悪役としての彼を彷彿とさせた。
「……っ、言っとくけど、それ全っ然かわいくないし、似合ってない。そんなヘンなの、さっさと落としてきたほうがマシなんじゃねーの」
「お前はそうやって色気づいてるより、いつものようにアホ面でも晒してればいいんだよ!!」
浴びせられた言葉に、何も言えず固まってしまう。
可愛くない。似合ってない。
その言葉が毒針のように胸に突き刺さって、じわじわと身体を蝕んでいく。声色は冷たく、瞬く間に今までの浮かれた甘い幻想が打ち砕かれたようだった。
「なっ……そ、そこまで言わなくても…!わたし…私、ただ、可愛くなりたかっただけなのに。なんで、そんなこと…」
声が震える。足元がふらつく。
心の柔らかいところをぐさりとナイフで刺されたような感覚。協力してくれた友人からの応援を、苦手なことを時間をかけて克服した努力を、全て踏みにじられたも同然だった。
「…っあんたなんか、大っ嫌い」
悪態が口をついて出る。
こんな幼い子が言うような憎まれ口は、彼からすればきっと痛くも痒くもないんだろう。
絶対に、泣くもんか。こんなやつの前で涙なんて見せるもんか。
泣き崩れそうになる自分を叱咤した。
「もういいよ。迷惑みたいだし…今度から、話しかけないようにするから」
何も言わない彼を尻目に、深呼吸して感情が声にのってしまわないように淡々と告げる。
「……は」
「さよなら」
これ以上いると涙がこぼれてしまうと思った私は、勢いよく走ってその場を立ち去った。
もしかしたら言ってくれるんじゃないかって、勝手に夢見てた。あの彼が「可愛い」とか「綺麗だね」とかそんなキザなセリフ言うわけないのに、馬鹿だなあ、私。
学校のトイレの前にある洗面所で、すっかり涙で崩れてしまった化粧を洗い流す。
明日は目元が腫れてしまいそうだなと、他人事のようにぼんやりと思った。
●○●○
「それよりも、化粧さ…どうかな。サミュエルはどう思う?」
何で、オレにそんなこと聞くんだよ。お前が本当に聞きたいのは、オレじゃないんだろ。
紅く色づいた頬。綺麗に施された化粧。それらはきっと、自分の為なんかじゃない。
男爵家の子息と縁談があったと聞くし、あいつの雰囲気がいつもと違ったのもあって、焦っていたのかもしれない。
もし、政略的なものでなく例の縁談相手のことを好いていたら、とか、そいつのために身だしなみを整えたんだとしたら、なんて考えたくもないことが頭をよぎる。
信じたくない。
受け入れたくない。
受け入れられない。
あいつが思いを寄せる相手がいるだなんて。
否定して欲しかった。嘘だと言って欲しかった。
『べっ、別に…どんな理由でも構わないでしょ?私が化粧したって』
『な、なに、私に好きな人がいてもいなくても別にいいじゃん』
まるで、恋でもしてるみたいな顔。
彼女は肯定することはなかったが、否定もしなかった。それが全てを物語っていた。
頭が真っ白になる。身体から血の気がひいていく。銃口を突きつけられているかのような恐ろしさが身体中を駆け巡る。
あいつの口から『好きな人ができた』とでも飛び出したなら、きっとオレの心臓はぐちゃりと音を立てて、それは醜く潰れるに違いなかった。
化粧をしたあいつをその相手に見せたくないと思った。自分を着飾らないと釣り合わない相手なんて、やめてしまえばいいと思った。
相手と上手くいかないように、どうにか化粧をやめさせようと躍起になっていたんだ。
自身の口から飛び出したのは、本心とは程遠い言葉の数々。
自分がしでかした事の重大さに気づいたのは、しばらく経ってからだった。
「…っあんたなんか、大っ嫌い」
突き放されたあの時のように、明確にあいつから『きらい』だと拒絶された瞬間、心の奥で何かがひび割れた音がした。
きらい……あ、そ。そうかよ。
もしかしたら、近くにいることを許せるような相手になれたかも、なんて心のどこかでは思ってたけど…やっぱオレのこと嫌いだったんだ。
はは、そりゃそうか。初対面はあんなんだし、あいつに対する日頃の態度も紳士と言えたもんじゃないし、客観的に見て好きになるような要素なんてない。あいつがあんなことするくらいなんだから、例の縁談相手のほうが俺よりかはよっぽど愛想が良くて人付き合いも上手いに決まってる。
…なんで、男爵家のそいつとは縁談の話があるのに、オレには……。
あいつから言われた『きらい』の3文字がやたらと脳裏で反響して、こびりついたまま離れない。
…もう、どうでもいいや。今までやってきたことが、全部馬鹿馬鹿しく感じる。
おれだって…オレだっておまえみたいなやつ、大嫌いだよ。誰がお前に恋なんかするか。所詮身体にしか興味なんてないんだから。欲のはけ口にするためで、代わりはいくらでもいるんだ。
だから、おまえにどう思われてたって、オレはこれっぽっちも傷ついてなんかない。おまえが居なくたって、オレの人生には何の影響もないんだ。
そんなひねくれた言い訳を自分に言い聞かせる。そうやって意地を張って思い込まないと、足元からがらがらと崩れていって、立つことさえままならなくなりそうだった。




