第XXX話
私はどうやら、昼休みが終わり五限終了後の休み時間に、吐いて倒れ、病院に送られたらしい。
夢のように朧気な記憶では、私はあの日のようにあれを吐いていた。ただ医者に尋ねたところ、吐瀉物に節足動物の類は含まれていなかったという。
私が大麻を所持していたことが明るみになり、それが原因で教室で倒れたことを医者から聞かされた。もちろん入院していた時、見舞いにはクラスメートの誰も来なかった。もっと言えば、貞西くんも来なかった。私は彼が来ないことに少し安心していた。彼との関係こそ、明るみに出てはいけないことなのだから。ただ、本心から言えば、来てほしかった。
退院後、私はおばの家……自宅へと戻ってきた。牢屋に入れられることはなかった。高校からは退学処分をくらったが、これは致し方ないだろうと思っていた。
おばは私の両親を改めて酷く憎んでいた。両親のせいで私が大麻を吸ってしまったのだと決めつけている。ただ私自身、どうして大麻を吸い始めたのかわからず、都合が良いため両親を悪に仕立てることにした。
私が倒れた日から数週間が経過した。それまで私は一度も大麻を吸うことはなかった。禁断症状を恐れていたのだが、それらしい症状は何も起こらなかった。
代わりに、貞西くんへの想いがつのった。告白してくれたあの日から、貞西くんとは一度も会っていない。考えてみれば当然のことで、彼は私の家を知らない。彼と会っていたのは、あの校舎の屋上なのだ。退学処分を下され、あの校舎には一度も立ち入っていない。彼と私が会えないのも仕方がなかった。
しかし私は、あの高校へ戻る気にはなれなかった。貞西くんと会いたい気持ちがどれだけ重なっても、あの校舎へ近づくことはしなかった。クラスメートとうっかり出会い気まずい雰囲気になりたくないからだろうか、そう考えてもみたが、自分の感情は首を振るばかりだった。何故かはわからないがその代わりに、自分の部屋へと引きこもりたくなるのだ。ここにいれば落ち着くし、どうしてか彼を身近に感じられる。私はずっと部屋へ引きこもることになり、おばを余計に心配させた。
ある日のことだった。私はふと、自分の机の引き出しにある、一冊のノートを手に取っていた。何か理由があるわけでもなく、ただあたかも自然に、そのノートを手に取っていたのだ。
「……これは」
私はページをひとつ、ひとつ、めくっていく。どうやらそのノートは、私が倒れた前の日までつけていた日記帳のようだった。ただよく観察してみれば、その書き方が変だった。これは私の日記というよりもむしろ、彼、貞西くんの日記のようだった。しかもこのノートには、私と喋っていた時の心情や行動、考えを全て書き連ねている。それはまるで貞西くんのことを誰かが書いた小説のようで……
貞西くんのことを、誰かが書いた、小説。
私はページをめくっていく。そのノートには、私と過ごした屋上での昼休みのことが、貞西くんの視点で詳細に書かれている。それも毎日のことだ。初めて出会った日から始まり、彼にサンドイッチを振る舞った日、そして貞西くんになぜ大麻を始めたか質問したあの日のことまで、こと詳細に、感情的に。
そして私がもう一つ驚いたのが、私がこの日記の内容を全て詳細に覚えているということだった。読むまでは記憶の隅に隠されていたものの、ノートを読み進めていくにつれ鮮明に、その情景を思い描くことができ、次に何を書いているかが完璧に予測できたのだ。
そうして私は、最後のページを開く。ここには、こう書かれてあった。
「俺はあの言葉、すごく嬉しかったんだ」
「あの言葉?」
俺はあの日、彼女が伝えたがっていた言葉を鮮明に思い出す。
「『私は、これを青春と言い張るよ。誰が何と言ったって、これは私と貞西くんの青春だもん。子供だって苦しいことや悲しいことがあるのに、どうして逃げるための大麻を青春の一ページにできないの?』」
「……よく覚えてるんだね」
「当たり前だよ。俺が蒼井さんを好きになった理由だからね」
「す、好き……!?」
蒼井さんはいつにもまして驚きの表情を浮かべる。それは彼女が他人の機嫌をとるために作ってみせる表情の一つではなく、ただ純粋に驚嘆の顔だった。その証拠に、彼女の顔は紅潮していた。
「顔、赤いぞ」
「そ、そんなこと急に言うから……っていうか、キミも赤くなってるんだけど!」
「そりゃそうだろ! こっちだってこういうの、慣れていないんだから」
ゴホン、と咳払いを一つ。
「元々可愛いなっていうのももちろんあったと思う。でも俺がここまで突き動かされたのは、その言葉があったからなんだよ」
「そ、そりゃどうも……」
「俺はさ、その言葉で助けられたというか、ああ、自分は間違ってるって思ったけど、間違ってないよって言ってくれた蒼井さんのことがさ、やっぱりすごく、その、愛おしくて」
「う……」
「俺は表に出さなかったけど、蒼井さんに助けられてたんだ。だからその、その恩返しもできてないのに不躾なお願いなんだが」
俺は一拍、呼吸を入れて、自分の想いを彼女に伝える。
「蒼井さん、好きです、付き合ってください」
俺は頭を下げる。もう蒼井さんの顔は見えない。蒼井さんが引いていても、俺にはわからない。だから後は、願うだけだった。
「貞西くん」
俺の手が軟らかく握られた。顔を上げると、蒼井さんが涙を浮かべて微笑んでいた。
「私でよければ、ぜひ……っ」
俺たちは地面に落とした大麻に目もくれず、静かに抱き合った。
こんな青春を
送りたかったんだ