第XX話
『それなら、優等生の蒼井さんがどうして大麻を吸うようになったのか、の方が気になるんだが』
貞西くんがそう私に尋ねた時、私は一瞬だけ息が詰まった。
貞西くんが大麻を吸うきっかけは、よくわからないらしい。ただ彼は上級生からいじめられていて、その影響で大麻を吸うようになったと推察している。
実は、私もそうだった。なぜ大麻に走ったのかを覚えていない。しかも貞西くんのように、心当たりがあるわけでもない。私はなぜ大麻を吸うようになったのかが、一切わからないのだ。もしかすれば過去に両親から虐待を受けていたせいなのかもしれないが、幼い頃から吸っていたとすれば大麻の副作用はより顕著に出ているはずだ。しかし今、大麻による悪影響に大して気になるものは無い。なら私が大麻を吸い始めたのは、つい最近なのだろう。そう、例えば貞西くんと再会する前だとか。
私はおそらく、貞西くんと再会する前に一つ、自分にとって逃げたくなるような出来事があったのだろう。例えば教師のご機嫌取りに疲れてかもしれないし、大切な何かを失ってしまったのかもしれない。大事じゃなくても、日々のストレスに耐えきれなくなって手を出した可能性もある。ともかく私は、理由不明のまま大麻を吸い続けている。ただその理由よりも、私は大麻を吸っている今が楽しい。だから大麻を吸うことに抵抗も無ければ、理由を解明しようとする意識もない。
「ねー、冴里。……冴里? おーい冴里ー」
「……え?」
ふと現実に返ると、そこには仲の良いクラスメートの女の子が心配そうにこちらの顔を覗いていた。そうだ、今は昼の休憩時間の後の休憩時間で、私はその時間いつもこの子と話していたのだ。
「冴里、大丈夫? ぼーっとしてたよ」
「……あー、ごめんごめんっ、ちょっと考え事してた」
「もー、ちゃんと人の話を聞いてよね」
「ごめんごめんって。いや、みーたんの将来について頭の中でシナリオ・プランニングしていたんだよ」
「わたしの将来?」
「そう。みーたんはこれからの数十年間、背が全く伸びず、小学校の先生になるんだけど生徒より背が小さくて、そして上級生から下級生に間違われていじめられてしまうんだよ……」
私は友人の頭のところに手を乗せて、身長が低いことを煽る。
「えっ!? 嘘だよねっ!? ちょっと現実味あるところが怖いよ! てか身長をネタにすんなっ!」
友人に手をパチーンと叩かれて、涙目になられながら怒られる。身長をネタにされたときの友人は可愛くて面白くて場の雰囲気がすごく盛り上がるのだ。案の定、周りにいた友達の女の子が笑って、場が和やかになった。ひとまずこの場は回避しただろう。
教室では出来る限り貞西くんのことを考えないようにしている。それは私と貞西くんの関係が、マリファナという歪なもので繋がれているからだ。
でも、今日ばかりは貞西くんのことを考えても仕方の無いのではと思う。
私は今日、貞西くんに告白された。愛の告白だ。貞西くんという存在は私にとって大きなものであり、私も彼へ恋心を抱いたのは否定できない。だけど貞西くんから告白されたのは、かなり意外だった。彼はこういうことをあまり考えない人だと思っていたのに。私の答えは、もちろんオッケーだった。私の片想いで終わっても良いところを、貞西くんから愛の告白までされたのだ。その告白を断る理由などどこにもなかった。
私の持論は正しかったんだろう、それが証明された告白だった。私は彼と同じ高校になったのは偶然で、彼は相変わらず人を寄せ付けないオーラを放っていた。貞西くんの悪口は裏で聞いたし、私から近寄るにも何か理由が欲しかった。貞西くんはおそらく、話しかけられても面倒がるだけだ。しかもあの日のことを覚えていない可能性だってある。だからこそ、私と貞西くんを繋ぐ何かが欲しかったのだ。
そして私は本当に偶然にもそれを見つけた。それは大麻だ。彼は私と同じで、大麻を吸っていたのだ。私はあの瞬間すごく嬉しかった。でもその嬉しさを晒してしまえば、彼は鬱陶しく思うかもしれなかった。だから私は、あくまで彼とはあの昼休みの屋上だけの関係にしたのだ。といっても、サンドイッチを作ってくるなど、あちらから気づいて欲しいとは思っていたんだけど。
それが今となっては、彼氏と彼女である。今まで昼休みだけの関係だったものが、今はもっと大きな、恋とか愛とかそういった感情で繋がっている。私はそれが嬉しかった。
ああ、貞西くん。……ああ、今度からは葉平くんって呼んでいいんだろうか。そう、あの日のように葉平くんって呼んだら、彼は気づいてくれるかもしれない。そうしたら私だって嬉しい。もちろん気付かなくたって、私は今が楽しければそれでいいのだ。
「冴里?」
貞西くんのことを考えていたせいだろうか、私はうっかり貞西くんの席の方をぼんやりと見つめてしまっていた。私は友人の声で再び現実に戻った。
「ああごめんごめん、みーたんどうしたの?」
「冴里こそどうしちゃったの? なんか今日ぼーっとしてるしさ」
「なんでもない、ちょっと考え事」
「……あそこの席って、その、……貞西くんの席だよね。冴里、どうしちゃったの?」
元気の塊のような友人には珍しく、歯切れが悪い。貞西くんの名前をあまり出したくないようだ。そこまで評判悪かったっけと思いながら、私は貞西くんとの関係を悟られないよう、自然に取り繕うとした。
「あーえっと、確かクラス委員の仕事で貞西くんに訊かなくちゃいけないことがあってね、どうやって聞こうか、考えてたの」
しかし私がそう言った瞬間、教室内の空気が凍りついたのがわかった。何がなんだかわからず、私は先ほどまで話していた友人の表情を伺う。
「ねぇ、冴里。その冗談は、ちょっと、笑えないよ……」
その友人はまるで、私の言っていることが信じられないような、そんな困惑した表情を浮かべていた。おそらく、私の言葉に引いているのだろう。私は何かまずいことを言っただろうか。
場の空気が一気に悪くなった。私はこの空気が嫌だ。大人数から向けられる冷たい視線は、機嫌が悪ければ子供に虐待をするかつての私の両親の視線にそっくりだった。やめて欲しい。私は場の雰囲気を和ませようとする。貞西くんの話題はやめておいたほうが良いのだろうか。私は言葉を紡ごうとするが、あれ、人の機嫌をとるような話し方はどのようにするんだっけ、覚えていない、だから口から言葉が出てこないどうしていつもの私ならできていたはずなのにどうして今できないのみんなやめてその視線をやめて欲しいあの日の両親を思い出すんだ気持ち悪くなるんだ視界が揺らぐゆらゆらゆらゆら気持ち悪い吐いてしまうやめてほしいやめてくださいきもちわるいのそれいじょうはもうわたしのこころがもたなくなってしま
「――――っ」
お腹が締め付けられ、熱いものが喉を通り、口まで侵攻し、唇をこじ開けて飛び出る。しばらくの間ずっと吐いていた。やっと吐き出すものが無くなったのか吐瀉物は止まり、焦点もなんとか合ってくる。私の吐瀉物は黒くてうごめいていて、……黒い? うごめいている? これは、なんだ……? 焦点が合い、ようやくその正体が