第2話
蒼井冴里という少女は、俺とは正反対の人間だった。
その恵まれた容姿はもちろん、成績優秀、スポーツ万能で、教師だけでなく同学年の男女からの信頼も厚い。生徒会に所属しており、現在は学年担当として働いている。二年生全体を見る必要があるのだから少しくらい仲の悪い奴がいてもおかしくないものの、そんな噂も聞いたことが無い。次期生徒会長としては申し分の無い女の子だ。下手をすれば今の生徒会長より優秀かもしれない。
対して俺は目立った成績を取るわけでもなく、運動神経は人並み、顔も自分ではあまりレベルの高い方とは思っていない。ましてや屋上でマリファナを吸っている人間だ。コミュニケーション能力は極めて低いというか、そもそも誰かと話すのが億劫なので、クラスのムードメーカーというわけでもない。実際、同じクラスである蒼井さんとですらまともに話したことがないのだ。
そんな俺と真逆の存在である蒼井さんが、まさか大麻を吸っていたなんて想像できるだろうか。少なくとも俺はできなかったし、クラスの、いや彼女以外の誰もがそのような事を考えたことすら無いだろう。それほどまでに大麻と彼女という存在は接点がない。
しかし事実は小説より奇なりというものなのか、蒼井さんは大麻の常習犯だ。信じられない出来事だが、接点の無かった俺と昼休み共に大麻をよく吸っている。
もちろん蒼井さんも余計な尻尾は出したくないのだろうか、教室では俺へ一切話しかけてこない。そもそも接点が無かったのに、大麻だけが繋がりである俺たちの関係を公にすることはリスクが伴うのだろう。
俺としてもそれは願ったりかなったりだった。蒼井さんと教室でも話すようになれば、同時に他の奴とも会話を行わなければならない可能性がある。俺としてはそれが大変面倒なのだ。
ともあれ、あの日以来俺と蒼井さんは昼休み、屋上で一緒に大麻をよく吸っている。今日もそうだ、教室では絶対に話しかけてこない彼女は、昼休みの屋上でだけ、俺に対して饒舌になる。
「崇めるのです」
「……は?」
蒼井さんがこちらにしたり顔を向けてきた。今日もいつもと同じように、真夏の屋上へ来ている。
「大天使サエリエルがひもじい人類に、祝福を与えに来たぞ」
「すまん、さっぱりわからん」
「つまりねー」
じゃーん、とバッグから出してきたのはちょっと大きめのバスケットだった。
「いつもカロリーメイトばっかり食べているキミに、差し入れのサンドイッチだよっ」
蒼井さんがバスケットを開けると、そこにはいかにも女の子らしい色とりどりのサンドイッチが敷き詰められていた。
「……美味しそうだな」
「でしょでしょ? 一緒にたーべよ」
「くれるのか?」
「時々大麻くれるし、私も貞西くんに恩返ししないとね」
「んじゃ、遠慮なくいただくわ」
俺は蒼井さんの作ってくれたサンドイッチをバスケットから手に取り、口へと運んだ。みずみずしいレタスの食感とチーズのなめらかさが最高だった。蒼井さんは一体何ができないのか聞きたくなるくらい、このサンドイッチは美味しい。
「うまい」
「でしょ? ほら、男の子なんだし、たくさんおたべなさい」
からかうような口調で蒼井さんはサンドイッチを勧める。夏バテというものを忘れ、俺はサンドイッチを勢いよく食べていった。それはもう、バスケットの中身があっという間に空となったくらい、勢いよく。
「……ごちそうさん」
「はーい、おそまつさまでした」
蒼井さんはえへへー、と笑い声を漏らした。表情を見てみると、口を綻ばせてニヤついていた。
「なんだよ気持ち悪い」
気持ち悪いことはなかった。蒼井さんはどんな顔をしても映える少女だ。
「や、こうやってお昼休みに屋上で男女二人、女の子の作ってきたお昼ごはんを一緒に食べる……なんか夢のようですなぁ」
「夢?」
「これさ、完全に付き合ってるカップルの装いだよね」
「……あー、確かにそうか」
よく考えてみれば、これはイチャイチャしてるカップルと捉えられてもおかしくないのだ。女の子と一緒に昼飯を食べる、意識はしていなかったが、よく考えると確かにまるで夢のようだった。しかも俺からしてみれば相手があの蒼井さんだ。学校で噂になるほどの美少女と一緒に昼食を……
「あ、照れてる、かわいい」
「うっせ」
俺は照れを隠すために、蒼井さんから目を背けた。蒼井さんは軽く笑い声を漏らしている。
「……まあでも」
蒼井さんがバスケットを片付けている間に、俺はポケットから二本の包み紙とライターを取り出す。
「でも?」
「これが青春の一ページに見えても、実際はこんなものを吸ってる歪なものなんだけどな」
ほら、と蒼井さんへ包み紙を一本渡す。俺としては昼飯のお礼だ。
「いいの?」
「いいよ、昼飯もらったし」
「でもお昼ごはんは、いつものお礼だよ? これをもらうために作ってきたんじゃないんだけどなぁ」
「……じゃあ、また昼飯作ってきてくれ。持ちつ持たれつ、だ」
「……うん、そういうことならおまかせなさい!」
俺はライターで包み紙に火をつけ、火を付けた方と反対側の先を口で咥える。俺達の関係は結局、コレありきなのだ。
「ね?」
「どした?」
蒼井さんは大麻を咥えながら、俺の方をまっすぐに見つめてきた。その表情は、いつもの彼女からは見ることの出来ないほど真剣で訴えかけるようなものだ。
「大麻を吸ってる青春は、青春とは呼べないの?」
質問の意図がよくわからなかった。だが黙っているのもどうかと思い、俺は口を開く。
「……少なくとも俺は青春とは呼べないと思う。青春っていうのは、例えば部活なんかに入って、全国大会目指したり、賞に応募したり……それだけじゃない、友達や異性なんかとワイワイはしゃいだり、時には喧嘩したり……そういうのが青春なんじゃないか?」
「でも、私とキミは今、楽しく話してる。それは青春じゃないの?」
彼女はいつもとは違った鋭い口調でそう反論してくる。俺はムキになり、自分の考えを吐き出す。
「それだけなら青春だろうな。だけど俺達は、大麻の中毒者だ。これで繋がっている俺達の青春は、真っ当な青春じゃない」
「大麻を吸うのが真っ当な青春じゃないって、誰が決めたの?」
蒼井さんは俺の方へと身を乗り出してくる。この質問に対して、何が彼女をここまで突き動かしているのだろう。
「それは、大麻は一般的にわるいことだから、だろ」
「悪いことをしていたら青春じゃないの? 子供の頃、友達と大人に黙って悪いことした、これだって青春じゃないの? だったら、今の私達だって青春をしているよ」
「……それは」
「私は、これを青春と言い張るよ。誰が何と言ったって、これは私と貞西くんの青春だもん。子供だって苦しいことや悲しいことがあるのに、どうして逃げるための大麻を青春の一ページにできないの?」
言い返せなかった。いいや、言い返さなかった。
彼女がなぜここまで切羽詰まった言い方をするのか、俺にはわからない。だけど俺が今まで感じていた、何か大麻を吸うことに対するもやもやとしたものが少しは晴れたような気がした。本当に少しだけ。
「……って、柄にもないこと言っちゃったね! 今のナシ今のナシ! 要は、キミとこうして気分転換してるときが一番楽しいってことだよ」
「……まあ、こういう青春も、アリかもな」
「そうそう、今が楽しければ、それでいいんだよ」
彼女はそうはぐらかしていたが、このときから、彼女のことを強く意識し始めたんだと思う。