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獣になれない傍観者

 ロンドだと打ち開ければいい。拓真が過ごした世界では、ロンドは忌み嫌われる存在だった。いくら浮世離れした坊ちゃんでも、それを知らないほど無知ではあるまい。迫害されるのが怖くて黙っていた、そういうことにしてしまおう。本当は自分もロンドで、ずっとあなたを食べたかった。空腹で死にそうなのだと訴えるのだ。

 三崎が来る予定の日、拓真は小細工をして佐伯を屋根裏部屋から遠ざけた。

 佐伯は進学予定だが、それと同時に研究室への所属を希望していた。すでに著名な研究者数名とやり取りしているが、二十年前のワクチンを開発した研究者とだけ、連絡が取れていなかった。だから拓真は、その研究者を装って佐伯にメッセージを送り、今日、会う約束をした。そうとも知らずに佐伯は、「三崎先輩が来たら、俺は用事ができたって伝えて」と言って、午前中のうちに学園を去っていった。

 今頃佐伯は、ここから二百キロ離れた東北にいるはずだ。いいきみだ。

 時間通りに三崎はやってきた。

 佐伯がいないことを特に気にする風もなく、奥へ行く。本棚から一冊引き抜くと、ソファに掛けた。いくらでも待っていられそうな雰囲気に、拓真は意地悪を言いたくなった。

「堂野先輩と一緒にいなくていんですか」

「俺を呼びつけてるのはきみたちだろう」

 三崎は本に視線を落としたまま答える。邪険にされていると思った。これも自分がロンドじゃないせいだ。

「三崎先輩」

「なに」

「……僕、実はロンドなんです」

 三崎はふんと鼻で笑った。顔は上げない。

 目の前にいる自分よりも、佐伯の本に興味を持つ姿が憎らしい。そんな難しいもの、理解なんてできないくせに。

 激情が込み上げ、拓真は三崎の元へ迫った。パッと本を取り上げる。

 三崎はようやく顔を上げた。見下すような目つきだった。拓真は怯んでしまいそうになったが、「僕にも体……喰わせてください」と言った。

「いいよ」

 あっさり許可が出て、困惑した。

「でもキスは嫌だし、体を舐めまわされるのも嫌だ。興奮しなきゃ射精はできないからそうだな……おしっこで我慢してよ」

 三崎はうすら笑いを浮かべ、舐め腐ったことを言う。ロンドにとっては尿も恵だろうが、常人にとってはただの排泄物でしかない。そりゃ精液だって飲みたくはないが、精液ゴックンなら普通の恋人同士もやっている。精液ならプレイとして納得できる。けれど尿はいじめだ。要するに三崎は、ロンドだと信じていないのだ。

「ロンドなら大喜びするところだよ」

 三崎が勝ち誇ったように言う。

「きみはロンドじゃない。そういうタチの悪い嘘はつくものじゃないよ。俺たちには、きみにはわからない苦悩がたくさんあるんだから」

 何が苦悩だ。恵まれた坊ちゃんのくせに。

 佐伯だって、昔は庶民でも今は金持ちだ。志には感心するが、学食の肉を食わないのは所詮自己満足でしかない。それに三崎の体がある。三崎の体がなければ、やっぱり飢えには抗えずに学食に手をつけていたんじゃないのか?

「あいつは何をやってる?」

 三崎が言った。拓真はこめかみがチリチリと痛んだ。

「佐伯くんは来ませんよ」

 キスも、体も舐められないなら、せめて彼の心をぐちゃぐちゃに破壊したい。苦悩? 笑わせるな。美味いと言われてうっとりしているくせに。自分の体を誇らしく思っているくせに。

「彼から伝言です。『もうここに来なくて大丈夫。今後は別の体で代用します』」

「ふん、みっともない。俺に相手にされないからって、そんなわかりやすい嘘をついて虚しくないのか」

 拓真は本棚から医学書を取り出した。全文英語で、おまけにひどく文字が小さい。

 三崎が理解できないと分かっていて、開いて見せた。

「三崎先輩が打ったワクチンに関する報告書です」

 嘘。ここに書かれているのはロンドの遺伝子研究だ。でも三崎は英文が読めないらしく、「それがどうした」と不貞腐れたように言った。

「あのワクチンは味をなくす効果を狙ったものです。ワルツの体から味をなくす……すなわち本来ワルツに備わっている機能を無効化するということ。よく考えたら恐ろしくないですか? だってワルツは、普通の人間よりも体の回復が早いと言われている。ワルツの機能を無効化するということは、そういう利点も奪うということでしょう」

 三崎が腕を触った。包帯を巻いた部分だ。

 動揺している……拓真はほくそ笑んだ。

「ああ、やっぱり治りが遅いんですね」

 三崎の瞳が泳いだ。

「ワクチンは四年で効果が切れたとされていますが、逆に考えれば、四年は効果があったということです。つまり確実に体に変化は起きている。あなたの体は、ワクチンにゆっくりと蝕まれているんですよ」

「……瑛太は、まだ来ないのか」 

 瑛太だって? こいつらいつの間に。こめかみに青筋が立った。抜け駆けしやがって。結局金持ち同士で仲良くしてるじゃないか。僕を蔑ろにして。

「だから、佐伯くんは来ませんよ。毒に侵された体なんて怖くて喰べられないんですって。でも自分で言いたくないから、こうして僕に嫌な役目を押し付けて、自分は別の相手の部屋に行ってしまったんです」

「だ……誰の部屋だ」

 そこに食いつくのかと、ますます腹が立った。

「さあ、それは知らないですけど。きっとワクチンを打っていない人でしょうね。佐伯くん、この本が回収されたって聞いて、すごく怯えていたから」

「回収?」

「この本、密かに回収されたんですよ。もうどこの書店にもありません。これを読んだら、ワクチンの副作用がバレてしまうから」

「副作用……?」

 三崎が自分を見ていることに、拓真は満足した。

「ワクチンに蝕まれた体は……はっきり言ってしまえば腐っているんです。腐ったものを食べたらお腹を壊すでしょう? それだけで済めば良いですけど、これを読むと……最悪死ぬんじゃないかなって、僕たちは考えてしまったわけです。それで佐伯くん、取り乱しウゴッ」

 突如脳みそが振れた。気づいた時には絨毯に突っ伏していた。ガツンガツンと衝撃は続く。

 なんだ……なんだっ……?

 嵐が収まると、全身がズキズキと痛んだ。目の前によく磨かれた靴がある。視線を上げていくと、肩を喘がせ、ものすごい剣幕でこちらを睨む佐伯と目が合った。

「え……さえ……な、なんで……」

「おかしいと思ったから研究室に直接問い合わせたんだよ。そしたら…………それで、ちょっと気になることがあったから研究室に行って来た」

 そんなこと聞いてねえよ。なんで殴るんだよ。

 口の中に広がる血の味が不快だった。どうして僕がこんな目に。おい、ちゃんと説明しろっ……

 佐伯は三崎の元へ行ってしまう。

 涙を舐めようと顔を寄せた佐伯を、三崎が両手で拒絶する。佐伯はその手を封じ、涙を舐めた。三崎が限界まで顔を背けて拒絶する。

「唯斗さん」

「やめろ……離れてくれ……」

「唯斗さん、あなたを喰べたい。包帯、取りますね」

 三崎はブンブンとかぶりを振った。

「い、嫌だ……やめろ……無理しなくていい……」

 やめろやめろと言いながら結局、三崎は服を脱がされていく。スルリと包帯が解かれ、露になった傷口に、拓真は我が目を疑った。

 明らかに治りが悪い。ワルツであればとっくに塞がっているはずの傷口は、炎症を起こしているのか周辺まで変色していた。

 佐伯がハッと息をのむ。顔を寄せた。

「やめろっ……」

 そうだ。治療を優先するべきだ。けれど佐伯は食欲に抗えないのか、腕に喰らいつく。

「やめっ……ろっ……腹、壊すから……っ」

 じゅるるっ、と佐伯は音を立てて血をすする。三崎の泣き顔が、苦しげに歪んだ。

「佐伯くんっ……」

 拓真は我に返った。立ち上がり、夢中で血を吸う佐伯の肩を掴んだ。

「佐伯くんっ! やめるんだっ! 嫌がってるだろうっ!」

 言った瞬間、胸に風が通ったような爽快感を覚えた。自分は常人で、彼は食欲に抗えない蛮人だ。獣だ。

「これ以上傷口が広がったらどうするっ! 治療を優先するべきだっ! きみには理性がないのかっ!」

 佐伯はスッと顔を離すと、「ないよ」と言って血に塗れた口元を拭いた。

「目の前にこんなにうまそうな体があったら、理性なんてなくなるに決まってる。ロンドじゃないきみには、わからないだろうけどね」

 淡々とした口調で、彼には理性があるのだと悟った。

 つまり、なんだ……? 佐伯はそうするべきだと判断した……ということか? 傷口が開いて、余計に治りが悪くなったとしても。

 三崎はといえば、血を舐める佐伯をジッと見つめている。戸惑うような瞳の奥に恍惚としたものを見つけ、拓真ははらわたが煮えくり返った。

(異常者が)

 きみにはわからない? 当然さ。僕はまともな人間なんだから。

 拓真は踵を返して扉へ向かった。全身が痛い。これだからロンドは嫌われるんだ。

 部屋を出る。いざ出陣。拓真は戦場へ向かう武士の心境だった。悪人になり切れない自分を誇らしく思う。

(佐伯くん、人のものを取るなんてよくないよ。常人にはなれなくても、せめて仁義を通そうよ)

 ずんずんと力強い足取りで、拓真は生徒会長室を目指した。



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