最終話
耀司を刺した男はすぐに逮捕され、綾子夫人に雇われたと白状した。
あれから半年、耀司は仕事に復帰し、顧客に休んでいた詫びと、売り上げ回復に勤しんでいる。
「すごい……綺麗だ……」
背中の傷跡をやらしい手つきで撫でられ、耀司はシーツを握り込み、ビクビクと体を震わせた。
「もっ、いいだろっ……」
「なあ、わかってる? 他の医者じゃこんなに綺麗に治してくれないよ。くっつけば良いと思ってる医者もいるからね。そういう医者に当たったら悲惨だ。一生モノの傷跡が残る」
その点俺は、と瑛太は傷口をクニクニと押し込む。
「細かい作業に長けていて、美的感覚も優れてる。顕微鏡ばかり覗いてるのも考えものだな。外科医になったほうが良いかもしれない。なあ、どう思う?」
「爪っ……立てんなっ」
もう十分だろう。耀司は身を捻り、起き上がった。
「まだ診察は終わってない」
「何が診察だっ、縫い目を触りたいだけだろうっ」
「耀司が『気になる』って言うから診てやったんだろ」
耀司はムッと唇を引き結んだ。ジワリと耳が熱くなる。
「気になるのはお腹?」
どれどれ? と伸ばされた手を、「違うっ」と払い退けた。
「じゃあ何。言ってくれなきゃわからないよ」
瑛太がため息をつく。耀司は意味もなく胸をさすった。
「お前……俺の体になんかした?」
「え? 違和感があるのか?」
「ない……俺は前と同じ……なんだけど……」
瑛太はクインと唇の両端を上げた。
「ふーん? それで?」
「きょ……恭介さんが……なんか……お、俺のこと、好き……ぽい」
「告白されたの?」
うん、と頷いた。
「へえ? やっとされた? あの人も待ちきれなかったんだね」
「やっとってなんだよ……」
「お前がしないからだろ。好き好きオーラ全開なのにちっとも告白してこないから、痺れ切らして自分から告白したんでしょ」
「なっ……」
耀司は瞠目した。こいつは何を言っているのだ。
「な、なんだよっ……す、好き好きオーラって……」
「俺に発してただろ。オーラじゃなくてビームかな。お前、目がハートになるから分かりやすいんだよ」
「なるわけないだろっ」
ほら、と手鏡を渡され、まじまじと覗き込んでしまった。
「顔真っ赤」
瑛太の笑いを含んだ声に、カッと怒りが込み上げた。
「うるさいっ」
手鏡を突き返す。まったく性根の曲がった野郎だ。
こほん、とひとつ咳払いをし、呼吸を整えた。
「と、とにかくだ……お前、俺の体に何かしただろう」
「だから何かって何」
「その……三崎さんの血を輸血したり……臓器とか移植したり……」
「はあ?」
意味がわからない、という風に彼は首を傾げた。
「三崎さんの……何か、俺に入れたんだろうっ……でなきゃ……恭介さんが俺を好きになるなんて……あ、ありえないし……」
「それ、本気で言ってんの?」
呆れたような声音。自分はおかしなことを言っただろうかと、不安になった。
いやいや、と己を励ます。だって瑛太は三崎の培養肉を作ったのだ。三崎の肉を移植して、俺の体を三崎化していても全然おかしくない。
「お、俺に喰ってくれって……せがまれて……じ、自分好みに、作り変えたんじゃないのかっ……」
瑛太は切長の三白眼をパチパチさせた。
「俺、マッドサイエンティストかなんかだと思われてる?」
「…………」
「お前の命の恩人なんだけど?」
「それは……ありがとう。感謝してる」
「でも人体実験してそう?」
頷いた。
「一分一秒を争うって時に、そんなことするわけないだろ。……まったく、人がどれだけ大変な思いをしたと思ってるんだ」
言われてみると、確かにと思った。自分はおかしなことを言ったのだ。
「……すまん」
「いいよ。あの人の凝り固まった思考を変えたのはお前だしね。お前が命よりも喰われることを望んで、それを俺が助けて、あの人はやっと気づいたんだ。あの人が俺のところに来たら、俺はネチネチ攻撃してやるつもりでいたけど、それじゃダメだったって、俺も気づくことができた。下手したらあの人を怒らせて、俺は殺されていたかもしれない」
「恭介さんは、犯罪に手を染めたりしない」
「惚れてるねえ」
「ほ、惚れるだろっ……犯人も、逮捕してくれたし……その後も、いろいろ……世話になったし」
かっこいいし。
手術の後、目が覚めた時に側にいたのは恭介だった。初対面でもないのについ見惚れてしまった。耀司が寝ぼけた頭で「かっこいい」と口を滑らせると、彼は微笑み、「佐伯を呼んでくる」と言った。
それで完全に目が覚めた。行こうとする彼の腕を咄嗟に掴み、首を横に振って引き留めた。
あいつのところに行ったらダメです。
耀司が眠っている間に二人が会話をするのは当然で、今思えば、無意味な行為とわかる。でもその時は必死だった。
行かないでください。あいつに会ったら……あいつは、きっとあなたが傷つくようなことを言う。だから行かないで……
「それで、惚れた相手に告白された。でも信じられない。だから俺のところに来た?」
瑛太が言い、耀司は頷いた。
はあ、と重いため息をつかれ、耀司は「だって」と肩をすくめた。
「恭介さんだぞ。それに……三崎さんの肉を喰う表情を見ればわかる。あの人は今でも三崎さんを愛してる」
耀司は外商員として、今でも三崎の培養肉を恭介に届けている。
三崎は最後、瑛太に「喰って」とせがんだが、本当は恭介に喰われることを望んでいた。だから瑛太はどうしても三崎の肉を恭介に喰わせたかった。
瑛太と恭介の間でどんな会話が交わされたかは知らないが、耀司が食卓に出した三崎の培養肉に、恭介は何も言わずに手をつける。耀司にはそれが禊のように思えてならなかった。
「じゃあ、唯斗さんの肉、持ってくのやめる?」
突然、瑛太は信じられないことを言った。
「え?」
「だって嫌なんでしょ? 告白されたんだし、自分の体喰わせたらいいじゃん」
「なっ! なに……言ってんだ……三崎さんの最後の願いを叶えるんじゃなかったのかっ……」
「だってもうあの人俺より喰ってるし。あとは気持ちの問題でしょ」
「おま……」
俺が、どんな気持ちであの肉を出しているかも知らないで……
キッと睨む。瑛太はいつもの調子でニコリと跳ね返した。
「お前次第だよ。やめてもいいし、持って行くなら俺は作り続けるし」
「でも……三崎さんの肉を出さなくなったら……ガッカリされるかもしれない」
腹の、ほとんど分からなくなった傷を撫でる。
「なあ……本当に、三崎さんの血とか……臓器とか……何も入れてないのか?」
「それは何? 入れて欲しかったってこと?」
自分でも分からない。黙り込むと、瑛太はため息をついて、「入れてないよ」と言った。
「……そうか」
「入れて欲しかったんだ」
「ちがっ……んッ」
ドッと心臓が跳ねた。両手を伸ばして抵抗するが、体ごと体重を掛けられ、ベッドにまで乗られては、逃げようがなかった。両手を絡め取られ、シーツに縫い付けられる。
「やっ……ふっ……んうっ」
舌先と唇を器用に使って、口腔を貪られる。男は耀司の好むポイントを的確に攻めてくる。
「んっ……ふ、うっ……んんッ」
こうして密着するのはいつぶりだろう。快楽を引き摺り出そうとするような激しい口づけに、耀司は恍惚とし、いつの間にか夢中で舌を絡ませていた。
「はっ……はあっ……」
離れては、惜しむようにどちらからともなく唇を重ねた。それを何度も繰り返す。これが最後だと、口に出さずとも互いに理解していた。
「ぁ……はっ……」
「耀司……」
瑛太は離れると、眩しげに目を眇め、耀司の額に張り付いた前髪を指先でソロソロと退かした。
「お前は唯斗さんとは違うけど、ちゃんと美味いよ」
いつも、キスした直後でも澄ました顔の彼が、珍しく息を荒げ、頬を紅潮させていた。
「だから自信持って、大丈夫だよ」
疑う気持ちは芽生えなかった。美味いと言われ、胸の中が熱くなる。
彼の言葉に勇気づけられ、でも切なくなって、耀司は喜びとも悲しみとも判別できない涙を零した。




