うしろめたい体
大事な顧客を失ったが、耀司はむしろ面倒事から解放されて、清々しい気分だった。
亜城に全部話し、裕一郎は逮捕された。あの屋敷に裕一郎がいると亜城は確信していたが、資産家宅のため、確実にいるという確証がなければ上が家宅捜索に踏み切ってくれなかったのだそうだ。
成績はなんとかキープできそうだ。「恭介をよろしくお願いします」と、堂野夫妻がワインだけで百万円分買ってくれた。恭介の一人暮らしのサポートを、長く続けて欲しいのだろう、何度も打ち合わせを重ねる必要のあるリフォームの注文も承った。これも大きな売り上げだ。
三崎の培養肉を恭介に喰わせることには抵抗がある。でも堂野夫妻にここまでしてもらって、夫妻の要望が息子の健康管理とはっきりしているのに、(なんか良くない気がする……)という感情だけで、恭介が気に入った肉を提供しないというのは、外商員としては失格だと思った。だから……
「気が散る」
この日も食卓に三崎の培養肉を出した。ジロジロ見すぎていたらしい、恭介が露骨に顔をしかめ、「そんなに見ないでくれるか」と言った。
「あっ……申し訳ございません……」
そそくさと視界から消えようすれば、「待て」と引き止められた。
「この肉体の身元、まだわからないのか」
「は、はい……まだちょっと……」
「信頼できるバイヤーの名前は」
「それはっ……申し上げられません……」
ヘコっと頭を下げた。恭介がジッとこちらを見ているのが伝わってきて、ジワリと背中が汗ばむ。
「ヤクザか」
「いえっ、反社会的勢力との繋がりはございませんので、ご安心ください」
ふっ、と笑われた気がして、顔を上げた。精悍な美貌が微笑んでいて、どきりとする。
「あの、なにか……」
「聞いたぞ。外商さん、あんた俺の二つ下で、白樺出身なんだってな」
同級生に金を無心していたのがバレたのだろうか。
耀司は目の下の皮膚を引き攣らせ、「はい」と目を伏せた。
「すごいな。白樺出身の坊ちゃんが外商員か。客のわがままに腹が立ったり、仕事が嫌になったりしないのか?」
「えっ……と」
恭介にそんな質問をされるとは思わず、狼狽えた。
客のわがままに腹が立ったり、仕事が嫌になったり……
裕一郎がやらかして、それが片付くまで、眠れない日々が続いていた。でも辞めたいと思ったことはなく、売り上げをキープすることばかり考えていた。
顧客に合わせて商品を見繕い、気を良くさせて金を使わせる。半端なものは売りつけない。モノを売る前提にあるのは顧客を満足させることだ。後から後悔するような買い物は絶対にさせない。そのために耀司はアートもワインも古物も学ぶ。「あの人が選んだものなら間違いない」そう信頼される外商員になるために。
「至らないことばかりですので、楽ではありません。もっと上手く立ち回れたらと、歯痒くなることも多いです。ですが仕事が嫌になったことはありません。俺はこの仕事が好きなんです」
「そうか」
恭介の優しげな目尻に、思わず見入った。高校時代は怖い人というイメージしかなかったが、そうでもないのかもしれない。
「でも硬い敬語ばかり使っていたら、気疲れするだろう。ここでは普通にすればいい。同じ出身校の先輩後輩だ。もっと気軽にいこう」
「は、はいっ……」
気さくな提案に胸が弾んだ。相手はあの学園のトップに君臨していた生徒会長だ。
「あ、あの……俺のこと、『外商さん』じゃなくて、名前で呼んでいただけますか?」
「ああ、悪い。そうだな」
よかった……想像より、ずっといい人だ。丸くなったのかもしれないが。
「榎本さんは、どうして外商になったんだ?」
問われ、耀司はハイブランドが元々好きだということ、売り上げが成績に直結する実力社会が性に合っていることを語った。
「恭介さんはどうして警察官に」
和やかな空気に気が緩んで、つい口が滑った。
慌てて口を結ぶが、もう遅い。恭介の表情に影が差した。
「不躾な質問でした。申し訳ございませんっ……」
即座に頭を下げる。返事はない。大丈夫、会話は終わった。話題を変えよう。顔を上げると、疑うような眼差しと目が合った。
「何を焦っている?」
恭介が立ち上がり、近づいてくる。
「別に、不躾な質問ではないと思うが」
「いえ……気安く質問なんか……失礼です」
「失礼じゃない。気軽にいこうと言ったのは俺だ」
背中に汗が噴き出し、足がすくんだ。恭介が目の前まで迫り、こちらの顔色を窺っているのがわかる。
「俺がどうして警察官になったか、知りたいんだろう?」
「い、いえっ……」
ブルブルと首を振った。
「どうした、そんなに青い顔をして。何か思い当たる節でもあるのか」
「いえ……」
そっか、あの人、警察官になったんだ……
瑛太の楽しげな声が、猛毒のように全身に広がっていく。でも、まだ恭介の口から動機を聞いたわけじゃない。自分が勝手に想像して、勝手に焦っているだけだ。
「俺は、ある事件の犯人を探している」
瞳が泳いだ。平静を取り繕うことは、もう無理だった。恭介は耀司の反応を注視しながら、言葉を重ねていく。
「白樺出身なら三崎結斗を知ってるよな。いつも俺の隣にいたワルツだ。死のワクチンで死んだとされている」
ブルリと体が震えた。
「でも本当は喰い殺された。惨い殺され方をした」
恭介の呼吸が荒い。耀司が何か知っていると、確信したのだ。
「誰かが、唯斗の病室に乗り込んで、衰弱したあいつの体を喰ったんだ」
ガッと肩を掴まれ、「ひっ」と声が出た。
「榎本さん……あんた、何を知ってんだ」
「……なに、も」
「何もってことはないだろう。知ってるから、まずい質問だと思って、慌てて謝ったんじゃないのか」
肩を掴む力が強くて痛い。逃れられない。
「俺はあいつが弱っていくのをただ見ていることしかできなかった。助けられないなら、安らかな死を祈るだけだ。最後は眠るように、穏やかに息を引き取って欲しかった……それなのにっ」
「いっ……痛い、です……」
恭介は鼻をスンと鳴らした。
「あんた、ワルツだったのか。なら分かるだろう。好きでもない相手に体を喰われることの苦痛と屈辱を」
首を横に振った。わからない。ワルツの体で、辛い思いをした経験は一度もない。それを誇りにしてきたのに、今はやましいことのように思えた。
「想像してくれ」
想像力がないのはあの人だろ。
瑛太の不機嫌な声が頭に過ぎった。
それに後押しされるように、耀司は震える唇を動かした。
「苦痛……とは、限らないと……思います」
目の前の男から、尋常じゃない殺気を感じる。彼は本当は、今すぐ犯人を知りたいはずだ。でも耀司はいかにしてその回答を引き伸ばそうかと考えている。瑛太の名前を出すわけにはいかない……
瑛太に口止めされているわけではない。暴露したところで瑛太は怒らないだろうし、黙っていたところで感謝もしない。なら、強烈な殺気にビビりながら、瑛太を庇う理由はなんだろう。
「も、もしかしたらっ……三崎さんはっ……」
瑛太は「頼まれた」と言っていた。耀司は大きく息を吸って吐く。
「三崎さんは……喰われることを、望んだのかも……」
そもそも、「好きでもない相手」という前提が間違っている。でもそんなこと、面と向かって言えるはずがない。
「……それで、犯人は」
恭介が唸るように言った。耀司の言葉を検討もしないで、ありえないと一蹴したのだ。
ああ……そうかと、耀司は硬くまぶたを閉じた。自分は瑛太を庇っているわけではなかった。大切な人を失ったこの男に、これ以上辛い思いをさせたくないのだ。真実を知って、傷ついてほしくないのだ。
瑛太は冷酷だ。もしかしたら瑛太は、こうなることを予想して、自分の行いを俺に伝えたのかもしれない。恭介が、自分に辿り着くように。
ゾクゾクと皮膚が粟立った。なおさら恭介に知られるわけにはいかない。
残酷なあいつのことだ。三崎の最後の様子を事細かに伝えるはずだ。そして「死に際の唯斗さんは美味かった」と嘲笑い、「最近、何喰べているんですか?」と問いかける……
瑛太は、恭介が敵う相手じゃない。なぜなら間違っているのは恭介だから。三崎の望みを叶えたのは、瑛太だから。
「……知りません」
耀司は力なく首を振った。
長い沈黙。おずおずと目を開け、顔を上げる。
恭介は信じられないという表情で、怯えるように言った。
「バイヤー……」
耀司は息を詰めた。それに気づいてしまったら、もう……
恭介は口を覆い、えずいた。自分が何を食べさせられたのか、気づいたのだろう。




