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うしろめたい体

「やい、瑛太くん。きみは俺から職を奪いたいのかな? 路頭に迷わせたいのかな?」

 耀司はこめかみをピリピリさせながら、机に向かう瑛太を問い詰める。

「よく言うよ。就職祝いに親からベンツ貰うようなボンボンが」

 瑛太はゴーグルをつけ、透明な容器に入った肉片にスポイトで液体を垂らしている。

「瑛太くん? 時計を見てごらん。短針が二時を指しているのはどういうことかな? ついでに俺の指も見て。冗談みたいに震えているね」

 耀司は自身の腕に巻き付けた高級腕時計を指差した。

 ここへ来たのは十五時。それが二時とは? ちなみに恭介のマンションへは十八時前に伺い、晩御飯を作ることになっている。

 瑛太はゴーグルを額に上げると、耀司を見てにこりと笑った。

「顔色、だいぶマシになったな。やっぱり体力回復には寝るのが一番」

「なっ……」

(またこいつは、悪びれずに……)

「ひ、引き継いだばかりの顧客を逃したら、俺の評価はガタ落ちだっ……どうしてくれるんだっ」

 外商部のホワイトボードに「直帰」と書いた記憶はない。一旦職場に戻らないといけないが、この時間では開いていない。とりあえずスマホを見る。課長と堂野夫人、それから訪問予定の顧客からの不在着信が数件と、綾子夫人から留守電メッセージ……

「うう……」

「逃さなきゃいい。堂野さん、ロンドだろ。美味しいワルツの肉を持っていけば機嫌直すよ」

 おや? と思った。瑛太らしからぬ発言だ。彼は培養肉の研究をしているが、その手の話を嫌うのだ。

「簡単に言うな。質のいい肉を手に入れるのがどんなに大変か、お前だって知ってるだろ」

 とりあえず乗ってみた。

「ここにある」瑛太は透明な容器をトンと叩いた。「あの人はこの肉を気に入る」

 ははん、と合点がいく。この男は、うみんちゅ肉の時みたいに、俺を騙すつもりなのだ。その手には乗らんぞと、耀司は鼻で笑った。

「そんないかがわしい肉、いらないね」




 カバンから、身に覚えのない密閉容器が出てきた。

「なんだこれは」

 亜城が低い声で問う。

「し、知りませんっ」

 首を横に振って答えたが、犯人はわかりきっている。

(あの野郎……)

 瑛太が勝手に入れたとしか思えない。

「あ、ちょっ……」

 亜城が蓋を開けると、案の定、瑛太がスポイトでちょんちょん液体を垂らしていた肉片が現れた。

「ワルツの肉だな」

 亜城がさらに声を低く、目つきを鋭くして言った。

 深夜の公園。綾子夫人から「何時でもいいからとにかく来て」と留守電メッセージが入っていて、夫人宅へ向かう途中だった。

 いつものように公園を横断しようとしたら、暗がりからヌッと亜城が現れ、職務質問を掛けられたのだ。

「これは裕一郎のための肉。やっぱり裕一郎はあの家にいるんだな」

 亜城が言い切る。前半は不正解だが、後半は正解だ。なんとも返答に困る。

「えっと……誤解です」

「何が誤解だ。裕一郎の家に行くつもりだったんだろう。こんな時間にコソコソと。今すぐ犯人蔵匿罪でお前を逮捕したって良いんだぞ」

(ひいい……なんで俺がこんな目に……)

「正直に言え。お前の家は要町だろう。こんなところ、裕一郎の家に行く以外になんの用がある」

「……俺は外商員ですよ。お客様は廣坂様だけじゃない」

 言いながら口実を考える。周囲を見回すと、十二階建の洒落たマンションが目に入った。

(確か、あれって……)

「ふん、外商はこんな時間に客の家を訪ねるのか」

「外商員はお客様のプライベートに切り込んでいくことが仕事でもあります。ただの訪問販売と一緒にしないでください。お客様がワルツの肉をお待ちなので、失礼します」

「行き先を言え」

「顧客情報をお伝えするわけにはいきませんので」

 亜城は鼻を鳴らすと、「行け」と顎をしゃくった。尾行する気満々の態度にうんざりしたが、警察とトラブルにはなりたくない。耀司は大人しく先を進んだ。

 マンションが近づくにつれ、脈が速くなった。

 あそこは恭介のマンションだ。今日……いや昨日、伺うことは、彼の両親を通して伝えてある。約束の時間を大幅に過ぎての、非常識な時間の訪問。中に入れてもらえる可能性は低い。

 チラと背後を見れば、亜城は身を隠しもせず、堂々と後を着いてきていた。

 それにしても、彼はいつから公園で待ち伏せしていたのだろう。

 綾子夫人からの留守電メッセージがなければ、耀司は自宅に帰っていた。その場合、彼はいつまであの暗がりにいたのだろう。夜明けまで張っている姿が容易に想像できて、耀司はゾッとした。

 綾子夫人の提案……裕一郎を冤罪で通すなど不可能だ。あの警察官の目を誤魔化すことはできない。

 マンションに到着し、エントランスに入った。

 亜城は、さすがに中までは入ってこない。

 オートロックのインターホンを押し、部屋を呼び出す。これに応答がなければ、亜城に嘘がバレる。背中に汗が噴き出した。

「はい」

 スピーカーから男の声が聞こえ、ドッと心臓が波打った。

「や、夜分遅くにすみません。大東亜百貨店の榎本です」

「どうぞ」

 エレベーターホールに通ずるガラス扉が開いた。

 やったと思った。エントランス正面入り口を振り返る。ガラスの向こう、亜城が忌々しげに舌打ちするのが見えた。


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