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うしろめたい体

「どういうことかね瑛太くん。きみ、まさか俺を騙したのかね」

 鼻息荒く問い詰めれば、彼は「質は落ちるって言ったろ」と悪びれる様子もなく言った。

「質は落ちる? 無味だぞ無味っ! 俺の信用は地の底だっ!」

 瑛太が「培養肉」と言った肉には味がなかった。綾子夫人には「しばらく顔も見たくない」とまで言われてしまった。耀司が自信満々に提供したように、綾子夫人も期待させるようなことを言って食卓に出したのだろう。

 もしかしたら担当を外されるかもしれない。外商員は信頼が全てだ。頭の中でそろばんを弾く。あの顧客を失ったら営業成績2ランクダウンだ。

「痛手すぎる……なんてことしてくれるんだっ……」

「俺を怒らせるからだ。そんなんでよく外商員なんか務まってるよな」

「おかげさまで営業成績トップだ。お前のせいでその座も怪しいけどなっ!」

 キッと睨んだちょうどその時、スマホが鳴った。

「あれ……綾子夫人だ」

 あんなに怒っていたのに、一体なんの用だろう。緊急を要する厄介ごとの匂いがした。

 でも、それなら挽回のチャンスだと思った。

「はい、大東亜百貨店外商部、榎本です」

『ああっ、榎本さんっ! 今すぐうちに来てくれるっ? ゆうちゃんがっ……ゆうちゃんが大変なのっ……!』

 後に続いた「女の子を襲ったみたいで……」という言葉に、耀司は息をのんだ。

 思わず瑛太を見る。内心を見抜かれるのが怖くて、サッと目を逸らした。

『どうしましょうっ……私っ、ゆうちゃんを犯罪者になんかしたくないわっ!』

「……い、今すぐ向かいます。解決に向けて尽力いたしますので、ご安心ください」

 通話を切ると、すぐさま「何かあったのか?」と瑛太が聞いてきた。

「別に」

 そっけなく答え、澄ました顔を繕うが、冷や汗が止まらなかった。



 裕一郎が凶行に及んで一週間。被害者との示談交渉が一向に進まず、耀司は不眠が続いていた。

 今月の売り上げは余裕でトップ。綾子夫人は高額商品を買うことで、耀司に圧力をかけているのだ。

「榎本、今月も頑張ってるな」

 営業第二部、外商部のフロアデスクで顧客リストを整理していると、課長が声をかけてきた。

「はい、なんとか」

「引き継ぎだ。佐藤の顧客をお前に移す」

 課長は身をかがめ、声を顰めて言った。

 耀司は思わずえっと課長を見た。外回り中の佐藤は四十代のベテランだ。顧客との付き合いは長い筈だが。

「なにかあったんですか?」

「ご夫妻とはうまくやっていたんだ。信頼も厚い。だからこそ息子の世話をと、ご夫妻はお考えになったんだろう。だが佐藤は、その息子と良好な関係を築くことができなかった。だから今度は、息子とも仲良くできる、若い外商員にしてほしいと申し出があった」

 課長が一枚の紙を差し出す。そこに記された顧客情報に、耀司は目を見張った。

(堂野先輩……っ)

「お前、白樺学園出身だろう。堂野ご夫妻の一人息子……恭介さんもそこの出身だ。生徒会長だったと言うから、お前も知ってるんじゃないか?」

「世話……というのは、具体的にどのような」

「恭介さんは恋人もなく、一人暮らしをされている。警察官の仕事が多忙で」

「ちょ、ちょっと待ってください。けけ、警察? 堂野先輩がっ?」

 声が裏返った。課長は目を細め、「やっぱり知ってるか。よしよし」と頷く。

「そりゃ……知ってますよ……知ってますけど……」

 顧客情報に視線を戻す。堂野夫妻の年間外商カード使用額は二千万……まじの上流階級だ。

「警察って……キャリアとか……ですよね?」

「いや、大卒採用の準キャリだ。現場で汗水流して働いてるらしい。確か刑事」

「けけ、刑事ですかっ」

 無理。絶対無理……全身が意味もなく震えてきた。

「武者震いか。頼もしいな」

「いや……俺、そんな……恐れ多くて……」

「謙遜するな。期待してるぞ」

 胃に穴が開くのも時間の問題だな。耀司は腹を抱え、トイレに直行した。

 


 この日も菓子折りを持って被害者宅を訪問した。被害届を取り下げてもらわなければ、裕一郎は起訴され、前科が付く。

 ちなみに裕一郎は逮捕を免れ、屋敷にいる。これは任意で取り調べを受けているからではなく、家族総出で「裕一郎は行方不明」と口裏を合わせ、匿っているからだ。

 ガチャリ、と玄関扉が開く。現れたのは初めて見る顔だった。細身のスーツを着た若い男……警察だろうかと、身構えた。

「新橋署、生活安全課の亜城です。百貨店の方ですか」

 警察手帳を掲げられ、心臓がドッと跳ねた。

「大東亜百貨店……が、外商部の榎本です」

 こちらは名刺を差し出した。亜城の手に渡ると、悪手だったかもしれないと不安が芽生えた。職場に警察官から電話が来たら面倒だ。

「安心してください。滅多なことでこちらから連絡することはありませんから」

 亜城がにこりと微笑む。よく見たらなかなかのイケメンだ。堂野恭介といい、最近は警察官も外見重視か? とつい勘繰る。

「はあ……えっと、川島さんは……」

「示談には応じません。お帰りください」

 うすら笑顔のまま、亜城はキッパリと言った。

「いや……話だけでも」

「お帰りください」

「口封じをしに来たわけじゃないんです。申し訳ないと思っているから、謝罪をしたいんです。被害者の方の精神的苦痛は想像にあまりある。ですからその苦痛を慰謝料という形で清算したいと」

「被害者の苦痛を和らげるものは適切な刑罰であり、金じゃない。あんた今清算と言ったが、金や時間をどんなにかけても、強姦が清算されることはない。被害者は一生心の傷を負って生きていくんだ」

 亜城は一息に言うと、耀司を睨みつけたまま、小さく首を横に振った。

「あんたを被害者に会わせるわけにはいかない。今すぐ失せろ。二度と来るな」

(う、失せろ……)

 背骨をヒョイっと引っこ抜かれたようなダメージを受けた。耀司はふらりとよろけ、後退った。

 直後、バタン、と容赦無く扉が閉まった。



 堂野恭介のマンションを訪問する日だというのに、朝から調子が悪かった。

 示談は難しいと綾子夫人に伝えると、「なら冤罪ということにしましょう」と無理難題を押し付けられた。

 ゆうちゃんは帽子を被っていたの。体型の隠れる服装だったし、DNA検査だってまだ。身代わりを用意すればなんとかなるわ。まあ、なんて良いアイデアなんでしょう。榎本さん、本当はあなたがこういうアイデアを提案しなきゃいけないんじゃないの?

「耀司……どうしたんだ」

 瑛太もさすがに心配してくれた。それほど顔色が悪いらしい。

「瑛太えもん……なんとかしてくれ。今日は恭介さんに会いに行くんだ。ラグジュアリーなお方に、こんな姿は見せられない」

 言いながら、耀司は勝手知ったる様子でベッドに横になった。この研究室では治療も行う。ただし滅多に患者は来ないため、このベッドは耀司のサボり用だ。

「恭介さん?」

「生徒会長の堂野恭介」

「うそ。耀司、あの人と付き合いあったんだ」

 にんにく注射で良い? と言いながら、瑛太は戸棚から薬品を取り出す。

「まさか、仕事だよ。先輩の顧客を引き継いだんだ。恭介さん、なんでか知らないけど警察官になったんだって。それで」

「警察官? あの人が?」

 瑛太は目を丸くした。

「不思議だろ。恭介さんなら大手企業も幹部候補で選びたい放題だろうに。警察官に憧れでもあったのかな。刑事ドラマが好きとか?」

「ふふ、そんな動機じゃ続かないと思うよ」瑛太は楽しそうに言った。「そっか、あの人、警察官になったんだ……」

「そう、それで体調が心配だから、俺が世話役に……」

「外商員ってそこまでやるんだ」

「やるさ。冠婚葬祭の手配から犬の散歩まで。そうやって信頼関係を築いて、見返りに商品を買ってもらう。堂野夫妻はお得意様だから、それくらいやって当然。……はあ、気が重いよ」

「休んだほうがいいんじゃないか」

「休めたらとっくに休んでる」

 綾子夫人には今月だけで八百万の買い物をしてもらった。もう、後には引けない。裕一郎の性犯罪をなんとか解決させなければ……

「うう……胃がいたい……」

「大丈夫か」

 瑛太が心配そうに顔を覗き込んできた。

 かと思えばクッと顔を寄せ、唇がぶつかる……

「っ……」

 舌先が唇を割って入り込んできて、上顎を撫でられる。疲れもあってか、たちまち体の芯が熱く火照った。

(やば……気持ちい……)

 けれど相手は体調を確認したかっただけなのか、離れようとする。その気配をめざとく察知し、耀司は逃すまいと男の頭を抱き寄せた。

「んっ……っ……はっ……」

 積極的に舌先を絡めた。ワルツで外商員、さらには営業成績トップともなれば、火のないところにも煙はたつ。「体を喰わせているんじゃないか」「寝ているんじゃないか」等々。

 でも耀司は体を使ったことは一度もない。瑛太以外の誰にも、この体を味わうことを許したことはないのだ。

 何も知らない男に教えてやりたかった。俺はお前しか知らないんだよ。お前以外の誰ともこんなことはしたことないんだよと。

「やっぱり疲れてる」

 長々とエロいキスをしておいて、「体調確認」の体を取ろうとする男に、猛烈に腹が立った。

「……どうせ、罪滅ぼしなんだろ」

 腹の底に、厳重にしまっていた言葉を取り出すと、こんなに低い声になるらしい。

 瑛太は意味がわからないのか、細い眉を怪訝に寄せた。

「瑞貴くん……自殺に追い込んだから、申し訳ないと思って付き合ってるんだろ。それは愛情じゃなくて同情だよ。お前は瑞貴くんのことが好きなわけじゃない。ボロボロの体で、貧乏で苦労してきたからっ……自分がそばにいてやらないとって……んっ」

 額を押さえ込まれ、荒っぽくキスされる。腰のあたりがジンと痺れた。

「ふ……ん、はあっ……」

 股間を握られ、背筋がしなった。

「あっ……んぅっ……」

「耀司、俺たち友達だろ。なんでそんなこと言うんだよ」

 甘えるように囁かれ、ジワリと目に涙が滲んだ。

 友達でいたいなら、俺たちの恋愛を否定するな。そう牽制された気がした。

「……じゃあ、なんでキスしたんだよっ」

「疲れを確認したんだよ」

「……どうだった」

「お前にしてはまあまあだね」

 瑛太は小瓶に注射針を突き刺し、液体を吸い上げる。

「まずいって言っても良いんだぞ」

「なんで」

 瑛太は小さく笑い、注射を空打ちした。透明な液体が注射針からわずかに溢れる。

「俺も自殺未遂して、お前の気を引く」

「お前、まとまった休み取ったほうがいいよ」

 耀司の腕に注射針が打ち込まれる。

「俺の言葉を……全部疲労のせいにするなっ……」

「お前にはできないよ。傷も痣もない綺麗な体を、お前は誇りにしてるから。傷つけることなんてできない」

「瑞貴くんの肉……くれよ。どうせ汚い体だろ」

「だから俺が大事にする。誰にも傷つけられないように」

 こんなに不愉快な言葉が返ってくるなら、言うんじゃなかった。

「……くそ」

 視界がぐらりと揺れた。

「なんか……入れた?」

「うん、六時間、ぐっすり眠れる」

「勝手な……ことっ……」

 言った直後、意識がどろりと蕩けた。



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