うしろめたい体
榎本耀司がピックアップした高級腕時計を、綾子夫人は「まあ素敵」と言って試着した。
クラシックな応接間。東京の一等地にありながら、窓から見えるのは玉砂利の敷き詰められた日本庭園だ。カコン、とししおどしが水を打つ音が響く。
「とてもお似合いです」
耀司はにっこり営業スマイルを作って言った。
「じゃあこれもいただこうかしら。だめねえ。榎本さんが持ってくるものはどれも欲しくなっちゃう」
年齢は耀司の母親とそう変わらないはずだが、綾子夫人は声や肌にハリがあり、母よりもずっと若々しく見えた。雅とか、品というのは、あとから身につけられるものではないことを、耀司は顧客と接するたびに痛感する。貧乏人が金を得ても、品性を繕うことはできないのだ。
これを、耀司は高校時代に思い知った。
父親の経営する会社が業績を伸ばし、耀司は富裕層ばかりの男子校に入学した。それまでは地元で、「ちょっと裕福な家の子」として快適に過ごしていた。あのまま地元の高校に進んでいれば、きっと天下を獲っていた。耀司は涼しげな美形で、運動も勉強も得意だった。
けれどあの学校……白樺学園に入学し、耀司の人気は失墜した。
耀司は「成金」とカテゴライズされ、本物の富裕層には空気として扱われた。
彼らが重視するのは家柄や気品、もしくはずば抜けた美貌で、それらは耀司にはないもので、努力でどうにかなるものでもなかった。
だからといって、学校生活が窮屈になることはなかった。「成金」はピラミッドの底辺だが、それだけ数も多い。自分と同じようなランクの学生と連んで、耀司はそれなりに楽しい学校生活を送っていた。
しかし二年に進級すると、父の経営する会社の雲行きが怪しくなった。調子に乗って別の事業に手を伸ばし、それが見事に失敗したのだ。
耀司、なんとかしないといけない。金さえあれば……同級生から、金を借りることはできないか?
必ず返す! 苦しいのは今だけだ。これを乗り越えられれば、きっとまた……っ!
父が提示した額は二千万。正直、手の届かない額ではないなと思った。一人から百万借りれられたら二十人で手が届く。誰か一人でも五百万を出してくれたら、十六人。なんなら超ラグジュアリーな学生一人が、ポンと二千万出してくれる可能性もある。
地元にいた頃ならば「何を言っているんだ」と一蹴していただろう。でもこの時は好奇心が優った。ここには、一万円を使う感覚で百万円を平気で使うようなお坊ちゃんがゴロゴロいるのだ。二千万……やってみるか。
耀司はそれから、カーストの頂点を狙って近づき、彼らの生態を調べ上げ、媚びへつらい、尽くした。やってみると苦ではなく、むしろ性に合っていた。
虎視眈々と地盤を固め、「金に困っている」と眉をハの字にして相談すると、「いくら欲しいんだ」と返ってきた。
耀司にパチスロの経験はなかったが、その瞬間、確かに「リーチ!」と脳内で派手な演出がされた。
あの高校に進学したことで、耀司は富裕層に取り入るテクニックを身につけたのだ。
「ふふ、どれも綾子さんを思いながら選んだ品ですから」
歯の浮くようなセリフもさらりと言ってのける。
耀司は百貨店に勤務する外商員だ。富裕層相手に商品を提案し、時にはプライベートの相談事にも付き合い、その見返りとして更に高額商品を買ってもらう。
外商部はベテランばかりで、二十代は珍しかった。耀司は二十八歳。宝飾品売り場で異例の売り上げを叩き出し、その実績を買われた。
その活躍も、高校時代があったからだ。周りがブランドに詳しい学生ばかりだったから、自然と詳しくなった。地方都市で、自分がチヤホヤされる側にいたら、きっとこんな仕事に就くことはなかっただろうし、向いているとも思わなかっただろう。
外商員は天職だ。献身的で愛嬌を振りまけば、たいていの顧客は気をよくして金を使った。容姿がいいというのも武器だった。毎月のノルマは余裕でこなし、耀司は常に営業成績のトップにいた。
「まあお上手。でも本当に私好みのものばかり。榎本さんは仕事ができる人ねえ」
「ありがとうございます。でも、いつも時間がかかってしまうんですよ。もっと綾子さんの好みを聞き出しておけばよかったって、後悔しながら選んでいます」
耀司は肩をすくめ、懐っこく微笑んだ。
「そんなこと言われると、服も選んで欲しくなるわね。榎本さんが私に似合うと思って何を選ぶのか、興味があるわ」
「服……ですか」
耀司は困り笑顔を作り、根性で頬を赤くした。
「決めたわ。今度はお洋服を持ってきてちょうだい」
「緊張するなあ」
「期待してるわ」
心の中でガッツポーズした。洋服も定期的に購入してもらえたら、更に売り上げアップが見込める。
「……やっぱり婦人服はハードルが高いかしら?」
「え……いえ、挑戦させてください」
今度は本当にガッツポーズした。けれど綾子夫人は「私も洋服は自分で選びたいし……」などとテンションを下げてくる。
「あ、そうだっ! 息子の服を選んでもらおうかしら。あの子、買い物が好きでしょっちゅう服を買ってくるんだけど……モード系っていうの? 全身黒ずくめで裾がひらひらしていて、おまけに左右非対称でろくでもないのよ」
「ろくでもないってなんだよ」
機嫌の悪い声にギョッと振り返ると、出入り口に青年が立っていた。この応接間にドアはなく、アーチ型の出入り口が玄関と通じている。
綾子夫人の言う通り、息子の裕一郎は全身黒ずくめ、スカートのような裾の広がったパンツを履いていて、トップスは異素材の布をつぎはぎしたもの。
(奇抜だなあ)
そんな感想になるのは、似合ってないからだ。裕一郎は大学一年生。眉が貧相で額が広く、間延びした顔がアホっぽい。
背も低かった。あの手の服は高身長が着ることを想定して作られているのではないか。
「ママが選んだ服なんて着ないから」
ママか。声も鼻声で高いから、言われなければ中学生と間違えただろう。
モテないだろうなと勝手に思った。たいした容姿でもないくせに自我は強い。
「ふふ、安心して。選ぶのは榎本さんよ」
裕一郎は敵意剥き出しに耀司を睨んだ。
「俺、服は自分で買うから」
耀司はにこりと微笑む。
「それ、ヨウジヤマモトのセカンドラインですよね。即日完売商品。うちにも三点しか入荷されなくて、問い合わせが殺到したんですよ。よく手に入れましたね。すごいなあ」
お世辞にも、裕一郎は反応しない。ムッとした顔で、「あんたは肉だけ持ってくれば良いんだ」と言った。
「この前、沖縄から取り寄せてもらったワルツのお肉が美味しかったみたいなの。あれと同じもの、またいただけるかしら?」
綾子夫人が言う。
裕一郎はロンドだった。モテないだろうし、ワルツの恋人なんてできないだろう。直接ワルツの体を喰えない人間は、加工肉を買うしかない。
もっとも、金を積めば生身のワルツも手に入る。正直、質のいい加工肉を手に入れるより、ワルツを一人紹介する方が実入りも良いし簡単だ。でも綾子夫人が「そういうのはちょっと……」と保守的だからできなかった。
「俺、あの肉しか食いたくないから」
裕一郎がブスッと言う。よほど美味かったのだろう。
「かしこまりました」
耀司は微笑み、言った。お客様の要望にお応えすること。それが外商員の仕事だ。あの肉を手に入れる……お安い御用だ。




