美味しくなろうね
「良いと思うよ。きみは遠慮しすぎだと思ってたんだ。それに、好きに金を使った方が、佐伯くんのお父さんも気が楽になると思う」
この日は委員長と買い物に出掛けた。三崎の頼みであることは、黙っている。
ルームウェア、香水、肌触りの良いタオル、化粧品……
三崎に頼まれたものを買って、病院へ戻る途中だった。
「また死んだって。ワクチン打った馬鹿」
通りに面したカフェの、テラス席からだった。
「悲惨だよな。急に余命宣告されて、何もできずに死を待つしかないなんて」
「ちょー自業自得だと思うけど。自分たちだけ救われようとするから悪いんだ」
「それなあ。マジで1ミリも同情できねえ」
「金持ちが減って嬉しいわ」
勝手に足が動いていた。紙袋が手から離れたことにも気づかない。
委員長が「山縣くん?」と困惑しながら、それを拾った。
「何が自業自得だよ」
自分より少し上。大学生風の三人組だった。瑞貴はテーブルの前までずんずんと歩み、三人を見下ろした。そのうちの一人が「なんだ?」と立ち上がる。
「なんで嬉しいんだよ。お前ら何知ってんだよ。関わったことあるのかよ。なんか意地悪されたのかよ……」
腹が立つ。瑛太が怒るのも当然だ。あの日、自分は三崎の死を嘲笑った。こいつらと全く同じ気持ちで、「死んでもらわないと困る」と、呪いをかけた。
「ふざけんな。自分の子供……救おうとして何が悪いんだよ。開発者信じて、金払ってワクチン打つことが、どうして馬鹿なんだよっ」
「山縣くんっ……」
「あー、もしかしてイイトコのお坊ちゃん?」
立ち上がった男が、瑞貴と委員長を交互に見て、白けた様子で言った。
「お友達死にそう、とか?」
別の男がニヤニヤと言った。その表情にカッと激情が込み上げる。
「ふざけんなっ」
「山縣くんっ!」
男に掴み掛かった手を、委員長に止められる。
「え、え、俺、どうなっちゃうの? お金持ちコワイよ! 俺消されちゃうのかなっ?」
胸ぐらを掴まれた男が首を傾げ、仲間に笑いかけた。
瑞貴は委員長によって男から離された。呼吸が乱れて、肩が上下に振れた。
「行こう。こんな連中相手にしたらいけないよ」
委員長に抱き抱えられるようにして、ふらふらと通りに向かった。
「ご愁傷様っ!」
振り向こうとしたのを、「山縣くん!」と委員長の切羽詰まった声に止められる。
「あんな連中に絡んで、何になるんだ。ワクチンを打った人が助かるわけでも、きみがスッキリするわけでもない。不愉快になるだけだよ」
「……本当に助からないの?」
「無理だろうね。主要な開発者は自殺してしまったし、今生き残っているのは僕たちの二個上……三崎先輩の代だけど、三崎先輩……もう、いつ死んでもおかしくないって」
喉がひゅっと鳴った。委員長は、三崎が同じ病院にいることを知らない。同級生か卒業生から、三崎の情報を聞いたのだろう。
「目が見えなくなったら一ヶ月。三崎先輩、もう目が見えなくなってるんだって。そこまで進行したらもう、仮に治療薬ができたとしても手遅れだ」
「……そんな」
委員長が、不思議そうにこちらを見た。
「意外だな。三崎先輩のことなんて、むしろ死ねって思ってるのかと思った」
「いや……」
「まあ、心で思うのと、実際に死なれるのは別だよね。僕もあの人好きじゃないけど、気の毒だとは思うよ」
委員長と別れて病院に戻ると、正面玄関から男が現れた。一瞬、見慣れた制服姿じゃないから誰かと思ったが、間違いない……堂野だ。
(堂野さん……見舞いにきてるんだ……)
良かったと思った。三崎と堂野の関係は、今でも続いているのだ。
堂野の元へ、黒塗りのベンツが横付けされる。ベンツが去った後、瑞貴は三崎の病室へ急いだ。
「三崎さんっ……堂野さん、来てたんですね……」
三崎は顔を両手でおおい、泣いていた。
「三崎さん?」
両手に持った紙袋を落とし、三崎の元へ駆け寄った。
「遅いっ! もっと早く帰ってこいよっ!」
顔をおおったまま、三崎は怒鳴った。
「でも……でもさっき、堂野さんが……」
「恭介が来る前にっ……帰ってこいって言ってるんだよっ! 恭介……今日も喰ってくれなかった……」
ズキンと胸が痛んだ。三崎はそればかり言っている。
三崎は怒りをぶちまけると、しくしくと泣き出した。
瑞貴は背中をさすることしかできない。
「……買ってきてくれた?」
泣いた後、三崎はポツリと言った。
「はいっ……見てください」
言って、目が見えないのだと気づく。額に汗を浮かべながら、瑞貴は紙袋から買ったものを取り出し、ベッドのテーブルに並べた。
「これ、色は?」
三崎はシルク素材のルームウェアに触れた。
「白樺学園の制服と同じ、アイスブルーです」
「そう……香水は?」
「出しますね」
箱からガラス瓶を取り出し、三崎の手の甲に吹きかけた。
三崎は手の甲を鼻に寄せ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「ムスクとアルデヒド。官能的で甘い香りがするものと聞いて、これを勧められました。ムスクには、異性を惹きつける効果があるそうですよ」
「うん……悪くない。他には?」
他、三つの香水を順に吹きかける。三崎は何度も香りを比べ、最終的に瑞貴に意見を求めた。
「……どれが、そそられる?」
頼りない声に、グッと胸が締め付けられた。
「恭介は、どれなら喰いついてくれるかな」
「俺……は、堂野さんのことは、わかりません。……俺は、この匂いが好きです」
そう言って、瑞貴は一番最初に取り出した香水を三崎の手に握らせた。三崎が自ら手に吹きかける。乾燥した唇が微笑んだ。
「俺もこれ」
目が見えなくなったら一ヶ月。
委員長の言葉が頭に過り、瑞貴はハッと口を塞いだ。根性で嗚咽を止める。でも涙は我慢できなかった。
この人を憎み切ることができていれば……
この人が、あの頃のように俺を蔑んでいれば……
あの日、「救われた」と告白した瑞貴に、三崎は泣きながら謝った。体を求められない辛さを、自分はわかってなかったのだと。そうして散々泣いて、謝った後は、ヒステリックに笑い出し、「いい気味だろう」「嬉しいだろう」と卑屈な言葉を呪詛のように連ねた。
瑞貴は逃げた。「いい気味」だとも、「嬉しい」とも思っていない。でも、胸を張って否定することができなかった。
翌日、三崎の部屋を訪ねると、彼はまた泣きながら謝り、ベッドを抜けて病室を彷徨った。呆然と立ち尽くすだけの瑞貴に触れて、しがみついて、彼は「もうすぐ死ぬから、それまで仲良くして」と言った。
「化粧品は?」
三崎が言う。
瑞貴は基礎化粧品を箱から出していく。貝殻モチーフの容器に入ったファンデーション、化粧下地、コンシーラー……以前の三崎なら必要としなかった品々だ。彼がこれを欲しがる気持ちを思うとたまらなかった。
三崎さんの肌は、綺麗ですよ。
欲しいものリストを読んだ時、励ますつもりでそう言うと、三崎は「嘘をつくな」と激昂した。堂野に「顔色が悪い」と指摘されたのだという。
堂野は三崎を喰おうとしない。でも様子を見に来るほど心配しているのだ。「顔色が悪い」というのも、単に体調を案じてのことだろう。
正体の知れない相手にも、三崎は「喰って」とせがむのだ。堂野に「喰って」と泣き縋る様子がありありと浮かんだ。
「色味は……きみを信じるよ。恭介……明日も来るって言ってたから、明日、やってくれる? 人に化粧、できる?」
「徹夜で練習します」
三崎が微笑み、唇の皮が割れた。瑞貴は慌ててリップクリームの封を切り、彼の唇を保湿した。




