美味しくなろうね
「何してんの」
鈴のように美しい、けれど刺々しいその声は、息も絶え絶えの瑞貴から、呼吸を奪った。
入り口の扉は鍵を掛けていた。彼……三崎が現れたのは、部屋の中の扉からだ。
「み、三崎先輩っ……なな、なんでっ」
伊藤がギョッと声を上げ、瑞貴の中から身を引いた。瑞貴は押し退けられ、床に倒れる。
「何してるのかって、聞いてんだけど」
伊藤はズボンをはきながら、「え、えっと……」と口ごもる。
全部終わったと思った。三崎の手にはスマホが握られ、角度から、自分を撮影しているのがわかる。
「まあいいや。見れば分かるし。きみ、最低だね。このこと瑛太は知ってるの?」
三崎はスマホの向きを変え、画面上を素早く操作した。
「やめてくださいっ」
危機感を覚え、体が動いた。三崎のスマホに飛び掛かる。
「やめるって?」
「だ……誰かに、送るとか……」
「送るって誰に?」
「え……瑛太くん、とか」
三崎は困ったように眉根を寄せた。
「俺、あいつの連絡先知らないんだよね」
ホッとしかけ、三崎が見せたスマホ画面に凍りつく。『生徒会』と名前のついた、グループチャットだった。
そこに、動画が貼り付けられている。『気持ちいい』と連呼しながら、上下に腰を揺さぶる自分の姿が、はっきりと映っている。
『え、なんですか、これ?』
『やばすぎwwwww』
『何これ今?』
『神聖な生徒会長室を汚したドブネズミ二匹には、即刻制裁を加えるべき』
ものすごい速さでコメントが付いていく。『制裁』という単語に、血の気が引いた。
逃げないと。そう思ったのは、瑞貴だけではなかった。伊藤は脱兎のごとく窓へ向かい、ベランダに出た。直後、ゴツンとあやしい音がした。
瑞貴は慌ててベランダに出た。手すりを掴み、恐る恐る下を見る。
「……っ」
一階の窓から漏れ出た明かりが、アスファルトに倒れる伊藤の下半身を照らしている。上半身が闇に呑まれて見えないのが不気味だ。
スマホは脱いだズボンの中にある。助けを呼ぼうと部屋に引き返すと、そこには複数の学生がいた。みな恐ろしい剣幕だ。
「はやくそいつを連れていって」
三崎が冷たく言い放つ。
脱ぎっぱなしのズボンに向かおうとした瑞貴を、学生が取り囲んだ。
「離してくださいっ……助けを呼ばないとっ!」
「特待生、そこから落ちたんだよ」
三崎は平然と、「死んでるかもね」と笑った。
今日も授業に出なかった。腹がぐうぐうと鳴っている。
制裁を受けた日から、一週間が経った。瑞貴は一日中自室に籠っている。食堂に行くのも避けていたら、委員長が軽く食べられるものを運んでくれるようになった。それに甘えて、この三日間は一歩も外へ出ていない。
ドアホンが鳴った。委員長が食事を持ってきてくれたのだと、瑞貴は軽い気持ちでドアを開けた。
「あっ……」
瑛太だった。心の準備もないまま、迎え入れてしまう。
「聞いたよ。大変だったみたいだね」
中へ入るなり、彼は冷ややかに言った。冷たい眼差しに耐えられず、瑞貴はサッと俯く。
「服、脱いでくれるかな」
体を喰う……のか。素直に従い、瑞貴はシャツのボタンを外していく。
大丈夫、前よりも美味しくなっているはずだ。あれだけ……たくさんの人間を受け入れたのだから。
懲りずに期待して、瑞貴は上を脱ぐ。瑛太は背後に回ると、傷口を触った。
「……やっぱり」
呟きの後、カシャッ、とシャッター音が聞こえた。
驚いて振り返った。断りもなく人の体を撮影しておいて、彼は画面を見たまま、「動かないで」とそっけない。
「な……写真撮るなら……言えよ。……っていうか、何撮ってんだよ」
怒りが込み上げ、彼のスマホに手を伸ばした。ひょいっと軽々と遠ざけられてしまう。
「背中向けて、じっとして」
「だからっ……何で……」
ふいに腕を掴まれた。グイッとひねられ、前腕が上を向く。そこにも傷跡があった。
カシャッ、とシャッター音が鳴る。
「とん……なっ」
腕をほどき、脱ぎ落としたシャツを拾い上げた。袖を通し、ボタンを留めようとするが、指が震えて上手くいかない。
はあ、とため息が聞こえ、胸がヒリつく。さっきから、彼の放つオーラが怖い。
彼は、瑞貴が制裁を受けたことを知っている。あの動画も観ているはずだ。そう思ったら肝が冷えた。
きっと軽蔑されている。瑞貴は弁明したい衝動に駆られた。
動機を聞いて欲しい。けして欲望のままに行為に及んだわけではないのだ。美味しくなるため……お前に喜んでもらうためにやったのだ。
「ごめん。勝手に撮って。確かにマナー違反だった」
瑛太の声で、頭に浮かべた弁明の言葉が散った。
「いや……」
「悪用はしないから、撮らせて欲しい。きみの……健康なワルツの写真が必要なんだ」
「え?」
「傷の治り具合を撮りたい」
瑞貴は怪訝に首を傾げる。
「必要なんだ。どうしても」
説明不足だし、なおさら気になるが、そういうことならと、瑞貴はシャツを脱いだ。
彼の手が背中に触れる。意識したら、指が湿っていることに気づいた。それに少し震えている。
「……もしかして、三崎先輩と、関係ある?」
彼の指が、驚いたように跳ねた。
初めて瑛太に喰われた日、彼は「唯斗さんと全然違う」と言った。
健康なワルツ……さっきの言葉の意味が、わかりそうな気がした。
瑞貴は素早く視線を左右に走らせ、思案した。
傷の治り具合……そういえば彼は「早い」とも言っていた。三崎は傷の治りが悪い?
「三崎先輩、病気とか?」
単語のわりに、深刻な口調にはならなかった。なるはずがない。あいつのせいで、自分は酷い目に遭った。一度ならず二度までも。
「……違う」
苛立ちのこもった声。違わないのだ。瑞貴はほくそ笑んだ。
「へえ、金があっても治らない病気なんだ」
振り返ると、憎々しげな目があった。
そんなにあいつが大事かよ。あの性悪男のことが、そんなに好きか。
「そっか、納得。あの人、病気だから性格捻じ曲がってるんだ」
瑛太が目尻を吊り上げる。その剣幕に気圧されそうになったが、こちらも怒りで応戦した。
「なに? 本当のことだろ。あの人、恵まれてるのに性格終わってるじゃん」
瑛太の端正な顔が歪んだ。
嫌われたなと思った。悲しみにのまれないよう、言葉を重ねていく。
「病気だってわかって安心したよ。素であの性格の方が怖い。もしかして頭の方の病気?」
「黙れ」
「病気の人間なんて、喰って平気なのか?」
「誰にも……言うんじゃないぞ……」
瑛太は距離を詰め、唸るように言った。
「はっ……なに? もしかして、喰ったら腹壊すとか? だったら尚更教えてあげた方がいいじゃん」
「笑い事じゃない……人の……命が掛かってるんだ」
えっ、と息をのんだ。
瑛太はチッと舌打ちして、後頭部をガシガシとかきながら部屋の奥へ行く。
「二十年前に、富裕層の間で流行ったワクチンがある。それを打てば、ワルツは味がしなくなる」
なんだそれ。瑞貴は怪訝に首を傾げた。
「まあ知らないよね。一般には普及していないし、効果がないとすぐにわかって、二年で打ち切られたから。接種したのはごく一部の富裕層だけだった」
瑞貴はまだ、そんなワクチンが存在したことすら信じられない。ワルツの味がしなくなる? 市井には情報すら流れずに、富裕層の間だけで流行った……
「表向き、ワクチンは人体に無害とされている。でも……治験を受けたワルツは全員、亡くなった」
「……っ」
どきりとした。
瑞貴の父も、治験で稼げないかと企んでいたことがあった。岐路を誤っていれば、治験で死んでいたのは自分かもしれない。
「五人とも、二年前に亡くなっている。今年に入って、そのワクチン開発に関わっていた研究者たちも、示し合わせたように自殺している……きっと、世間に明るみなるのを恐れて、逃げたんだ」
「……三崎先輩は、そのワクチンを打っている?」
瑛太が頷いた瞬間、胸が高鳴った。
ざまあみろ。気づけば肩が揺れていた。
「なに笑ってる」
「……おかしくて」
瑛太がずんずんと距離を詰めた。
「なにがおかしい」
「あの人……死ぬんだ」
「それのなにがおかしいっ!」
「自業自得で面白いだろ。金持ちだけで抜け駆けしようとするからバチが当たったんだ」
「っ……お前は最低だ」
最低なのはどっちだ。二階から転落した伊藤を見もせず、助けも呼ばず、あいつは「死んでるかも」と笑ったのだ。
伊藤は足を骨折したが、命に別状はなかった。
「唯斗さんは死なせない。絶対に助ける」
そんなのは困る。理不尽だ。瑞貴は皮肉げに口角を引き上げ、「そんなのはダメだ」と言った。
金持ちのワクチン開発のために、おそらく自分と同じような境遇のワルツが五人も犠牲になった。三崎には、彼らと同じ運命を辿ってもらわなければ。
これは自分だけではなく、ワルツとして搾取され続けてきた者全員の願望だ。
「死んでもらわないと、ダメだ」
瑛太が両目を見開いた。
信じられない、というふうに、瑞貴を凝視したまま、かぶりを振る。
その驚愕の目が、憎悪いっぱいに吊り上がるのに、時間はかからなかった。
「……クソが」
グイッと腕を引っ張られた。ベッドに押し倒され、唇を奪われる。
剣呑な雰囲気から一変、欲望をぶつけられ、頭が真っ白になった。
「んっ……ふぅっ……」
伊藤と毎日セックスしていた時とは違う。一週間抜いていないそこは、キスしただけで勃起した。やっぱり自分はこの男のことが好きなのだと、嫌でも思い知る。
「キスしただけで勃ったのか。とんだ淫乱だな」
瑛太が呆れたような声を出す。
「後ろ向け。お前を楽しませるつもりはない」
瑛太は瑞貴をうつ伏せにひっくり返すと、治りかけていた傷を引っかいて傷つけた。
「いっ……」
噛みつかれ、ジュルっと血肉を吸い上げられる。
「あっ……あっ、やっ……」
あまりの甘美に、全身が突っ張った。瑞貴はシーツをかき集め、痛みと快感に身をもんだ。
「こんなまずい体、初めてだ」
わざわざ、瑛太は耳元で囁いた。
水をぶっかけられたみたいに体の熱が冷めた。唇が、指先が震えた。
「どうして父さんはこんなまずい体を寄越したんだろう」
彼は傷口に指を突き入れ、肉をくすぐる。
「ひ……いっ……」
「まあ、これだけまずいんじゃ、買い手がつかないんだろうな。俺に寄越すしか使い道がなかったんだ」
耳朶を甘噛みしながら、笑いを含んだ声で言う。
「唯斗さんは美味かった。こんなに美味いものがこの世にあるんだって、驚いた。お前はその逆だよ。……なあ、どうしてこんなにまずいんだよ」
まずいまずいと言いながら、瑛太は瑞貴の体を貪った。
バリバリと心にひびが入っていく。絶望の淵に立たされながら、けれど肉体は快楽を拾い上げ、昂っていく。
瑛太が満足して離れる頃には、枕元も、股間の辺りも、ぐしょぐしょに濡れそぼっていた。
「ワルツの味は、生まれ持っての美醜と別に、生活習慣や精神状態によっても変化すると言われている」
傷口を手当てしながら、瑛太は言った。
瑞貴はぐったりと伏せったまま、彼の手と言葉に身を委ねる。瞳は虚ろで、濡れた唇は短い呼吸を繰り返していた。
「でも一番影響を与えるのは性格だ。性格の悪い奴はまずい」
「はっ……」
瑞貴は嘲るように笑った。
「嘘だね……だったら、三崎先輩は、まずいはずだ」
そんなわかりきった嘘までついて、まだ俺を追い詰める気か。
散々、喰ったくせに。
暴力的な食欲を思い出したら、ふつふつと怒りが込み上げた。
「まずいって言うわりに……俺のこと夢中で喰ってたよな」
「貯蓄さ。これで二週間はまずい体を喰わずに済む」
まずい、そう言われると、ばちんと神経を断ち切られるような痛みを覚える。
だからこそ、彼はその単語を放つのではないかと、瑞貴は思った。俺を傷つけたいだけで、本当は……
「さっきから……まずいまずいって……そんなに、俺を傷つけたいかっ……」
生徒会の連中と、たくさんセックスした。一方的で乱暴で、死ぬほど痛くて屈辱的だったが、セックスには違いない。自分は確実に、少なくとも一週間前よりは美味くなっているはずなのだ。
「嘘、つくな……」
嘘に決まっている。だって、伊藤は美味いと言ってくれたのだ。




