美味しくなろうね
「瑞貴の体、どんどん美味しくなってるよ」
瑞貴の乳首を舌で転がしながら、伊藤は言った。
あの日、瑞貴を「美味しい体」と評価した学生だ。
彼はセックスを拒んだ瑞貴を屋根裏部屋へと連れて行き、難解な医学書を突きつけて、それがどれだけ効果的かを熱心に解いた。
英文で、瑞貴にはさっぱり意味がわからなかったが、説得力は十分だった。
やる……と答えたのは、今すぐという意味ではなかった。背中の傷を癒やして、やり方を覚えて、そこを解して……
けれど伊藤は悠長なことは言ってられないと、その場で瑞貴を犯した。瑞貴も口では「嫌だ」と言ったが、自分を「美味しい」と褒めてくれた男を、本気で拒むことはできなかった。
今日で一週間が経つ。瑞貴は毎日伊藤に抱かれている。
本来入れるべきではない部分を使っての、男同士のセックス。痛いのは当然かもしれない。そこは常にヒリヒリと痛んで、こじ開けられそうになると、拒むように閉塞した。それを伊藤は「おねだり上手だね」と喜び、ずぷんと勢いよく穿つのだ。
「最高だよ……こんなにコリコリに硬くして……やらしい。おいひい……」
とってつけたような「おいひい」に、カッと怒りが込み上げた。
「もっ……いい、だろっ」
いつまでも胸に執着する男を、両手を突っ張って押しのけた。
体を起こし、シャツを羽織る。ため息が震えた。
「本当に、美味くなってるんだろうな」
「もちろん」
それにしては、伊藤が夢中になるのはセックスばかりで、体液を味わうのはオマケ程度だ。今日も乳首ばかりねちっこく吸われた。
「でも確かに、最初より変化が少ないかもね。マンネリかな? 今度は場所を変えようか。いつも僕の部屋だから、きっと体が飽きてきたんだよ。美味しくなるには興奮しなきゃいけないからね」
「俺の部屋でするってこと?」
「ううん。野外とか、大浴場とか」
「嫌に決まってるだろっ……」
優しく頭を撫でられ、ちゅっと額にキスされる。情夫ぶる男が鬱陶しくて、瑞貴はベッドを下りた。ティッシュで汚れた部分を拭き、パンツとズボンをはく。長居するつもりはなかった。
「それは恥ずかしいから? だったら尚更効果的だよ。イースト・ダビットソンの論文によると」
「うるさいっ、わけのわからん外人の名前を出すなっ」
「著名な学者だよ」
伊藤はクスクスと笑った。うざい。瑞貴は重い足を引きずって、扉へ向かった。腰がズキズキと痛い。
「大丈夫、ちゃんと美味しくなってるよ」
部屋を出る直前で、伊藤は言った。
不信感がないわけではない。でも彼の言葉を信じなければ、きっと自分は瑛太の求めに応じられない。……信じるしかないのだ。
瑞貴は「ああ」と力なく返事して、伊藤の部屋を出た。
その日の夜、ついに瑛太が部屋にやってきた。ドアを開けるなり、押し入るようにして部屋に入った彼は、「いいかな」と瑞貴の顎を軽々しくつまんだ。
瑞貴はゴクリと唾液をのんだ。覚悟はとっくにできている。この日が来るのが怖くて、でも心の片隅で望んでいた。自分にできることはやった……と思う。伊藤は「美味しい」と言ったのだ。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。
「……いいよ」
言うなり、唇を奪われた。温かい舌先に口腔を弄られ、背筋がジンと震えた。気持ちよすぎて、怖かった。伊藤と全然違う。慄いて腰を引くと、ガッチリ掴んで引き寄せられた。
「ふ、……んぅっ………」
「もう少し我慢して」
短く言って、噛み付くように唇を塞ぐ。
「んっ、……はっ……んんっ」
我慢なんて。自分はずっとこうしたかったのだ。今日も彼は来なかったと、毎晩落ち込んでいたのだ。
瑛太の背中に両手を絡めた。いくらでも、好きなだけ喰ってと伝わるように。
察しの良い男は、瑞貴を抱き止めたまま短い距離を移動し、瑞貴をベッドに押し倒した。
覆い被さられて、体が火照った。ちゅっちゅ、と音の立つキスにうっとりする。
ワルツで良かったと心から思った。ワルツだから、こうして好きな人とキスすることができるのだ。
「……ごめん、腹減ってたから」
瑛太はそう言って、口付けを深くする。上顎を舌先でなぞられ、腰に響いた。股間が反応しないのは、伊藤に空っぽにされたからだ。
ふと、瑛太のそこも大人しいままだと気づいた。ただの食事と、割り切っているのだろうか。
「だっ……たら、……体、喰えよ」
瑛太に見つめられ、羞恥が湧いたが、なんとか声を振り絞った。
「腹、減ってるんだろ……肉……喰っていいよ」
性的に興奮しないなら、せめて味わってほしい。空腹を満たしてほしい。それに、一週間前につけられた傷口は、喰われることを期待するように疼いている。
「い、一週間前……生徒会の人たちに喰われたから……」
だから新しい傷をつける必要はない。瑛太が離れ、瑞貴は体を起こした。シャツのボタンを外していくが、ふいに恥ずかしくなり、背を向けた。
パサっとシャツを脱ぎ落とす。ハッと息をのむ声が、鼓膜をくすぐった。
(瑛太くんに……喰ってもらえる……)
期待と興奮で、細胞がゾクゾクと震えた。彼の手が背中に触れ、たまらずギュッとまぶたを閉じる。
「一週間前?」
「え?」
「生徒会の人たちに喰われたのは、一週間前って言ったよね。それって、あの日……だよね?」
あの日の屈辱的な出来事は、自分の中では解決していた。謝ってもらいたいとか、反省してほしいとか、そんな気持ちはないはずだった。
でも戸惑うような彼の声に、いやらしく、心地よく胸が弾んだ。
同情してほしい。こんな目に遭わせてごめん、痛かったね、嫌だったね……そう、優しく慰めてほしい。
彼の手が、背中の傷口をなぞり、欲望が体を熱らせる。
「……早いな」
ポツリと呟かれた言葉に、えっと振り返る。
肩越しに、彼の苛立たしげな表情を見て、瑞貴は一瞬、自分に加えられた暴虐に腹を立ててくれているのだと思ったが、次の言葉で凍りついた。
「唯斗さんと……全然違う」
「……っ」
驚いて、体ごと振り返った。脱いだシャツを胸に抱く。
「なんだよ……それ」
瑛太はそれには答えず、ベッドを下りた。
「ありがとう。助かった」
「ま……待てよっ……」
瑞貴も慌ててベッドを下りた。けれどズキンと腰が痛んで、踏ん張れずにその場にしゃがむ。
瑛太は冷ややかに瑞貴を見下ろすと、言った。
「父さんが勝手にやったことだし、俺はこういう方法で腹を満たすのは好きじゃない。でもあんなことになったし、面倒ごとは避けたいから、これからはきみを喰わせてもらう。上下関係みたいにはしたくないから、お互いに自由にすればいいと思ってる」
でもさ、と瑛太は嘲笑った。
「結構きみって図太い神経してるんだね。確かに自由にしていいとは言ったけど……別に俺も、どうしても精液が飲みたいとか、そこに執着してるわけじゃない……でも他の奴にあげてると思ったら、じゃあきみは何しにここに来たの? って、少し引っかかるかな」
自分の立場をわきまえて、少しは慎めと、咎められているような気がした。
瑛太が部屋を出ていく。
ぽっかりと胸に穴が空いたようだった。項垂れ、瑞貴はひっそりと咽び泣いた。




