美味しくなろうね
同じクラスでも、瑛太と関わることはほとんどない。彼は滅多に授業に参加しないのだ。たまに美術や家庭科といった特別授業に顔を出すくらいで、基本的にサロンにいる。
この日は美術の授業があり、珍しく瑛太を見た。彼は学食にも顔を出さないから、丸一日合わないこともザラだった。
美術は、フォトとスケッチの授業だった。写真を撮り溜め、その中から好きなものを選んで描写するのだ。瑛太はすでに気に入った写真が撮れたようで、自由行動の指示が出た後、真っ先に美術準備室へと入っていった。
話しかけたいが、勇気が出ない。初日のように冷たくされたらと考えて、尻込みしてしまうのだ。
「山縣は? いいの撮れた?」
クラスメイトに問われ、「まだ」と答える。
学校生活は順調だった。カーストは存在するが、見下されるのには慣れているし、「成金」とカテゴライズされる学生とは気が合った。ワルツの肉料理には本能的な嫌悪感を感じてしまうが、学食は美味しいし、寮は快適だ。
「まだ。今日も写真撮影」
「そか。いいの撮れるといいな。ま、描けなきゃ意味ないけど」
瑞貴に絵心はない。だから時間がかかっているのだ。いい写真は何枚も撮れたけれど、描けそうなのは一枚もない。
「ああ、簡単に描けそうなのを撮りに行くよ」
転校して、二週間が経った。自分の口調が穏やかになっていくのを感じる。
瑞貴の人生で、これほど平穏な日常はない。傷口は塞がり、シャワーは苦行ではなくなった。サラサラの坊ちゃん刈りも、今はそれなりに気に入っている。
そうだ、感謝を伝えに行けばい。俺に安らぎを与えてくれてありがとうと、素直な気持ちと近況を伝えるのだ。それなら冷たくあしらわれることはないだろうし、距離を縮めるきっかけになるかもしれない。
今夜、瑛太の部屋に行く用ができた。
瑞貴はご機嫌で外に出た。フォトスポットを探しに庭園を進む。バラの植木が塀のように周りを囲っていて、迷路のようだ。
「あ」
角を曲がったところで、副会長……三崎唯斗と鉢合わせした。
頭を下げて通り過ぎようとしたが、「サロンに行く気?」と問われて足が止まる。
「いえ……」
「じゃあ、なんでこんなところにいるわけ?」
この人は、なんで俺に突っ掛かるんだろう。訝りながら、「写真を撮りに」と答える。
「写真?」
「美術の授業で」
「ふうん」
会話が終わったと思い、先を進む。
「佐伯くん、きみのこと不味いって言ってたよ」
また足が止まった。なんだと振り返れば、三崎は薄く笑っていた。
「どうしてあんなまずい人間を寄越したんだって、ぶつぶつ文句言ってたよ」
嘘だ。だって瑛太は、俺を喰べていない。
「……嘘です」
「嘘じゃない。あれなら学食の方がマシだって」
「嘘ですっ!」
ブンブンとかぶりを振った。ザッと足音が迫る。三崎が目の前にいた。
「なに? 根拠があるわけ? 美味しいって言われてるの?」
三崎の整った眉が苛立たしげに動いた。
「言われてるんだとしたらね、それお世辞だから。真に受けちゃいけないよ」
うるさいうるさい。
「……言われてません」
三崎はすうっと目を細め、口角を引き上げた。
「だろうね。きみ、見るからに不味そうだもん」
「瑛太くんはっ……俺のこと喰ってませんっ……」
三崎が目を丸くする。なんでこんなこと言わなきゃいけないんだと理不尽に思いながら、瑞貴は言った。
「だからっ……嘘です。……瑛太くんは、俺の味を知りません」
だから俺は不味くない。不味いわけじゃない……
喰われてないなんて、言いたくなかった。でも、不味いと思われるのはもっと嫌だ。
「きみじゃ、食欲が湧かないんだね」
三崎はせせら笑った。
その日は初めて授業をサボった。誰にも会いたくなかったから、自室にこもって無為に過ごした。瑛太の部屋に行くのはやめた。
美術の授業なのに、瑛太はいない。
瑞貴は写真を机に並べ、どれにしようかと考える。もうクラスの半数はスケッチに入っているから、そろそろ描くものを決めないと。
どれも似通った構図、色合いで、「これ!」というものがない。今日も写真撮影に出ようかと窓の外へ目をやると、瑛太が見えた。サロンへ向かっている。
(どうして今日は、授業に出ないんだろう……)
特別授業は、瑛太と会える数少ない機会だ。これもサボられたら、本当に関わることがなくなってしまう。
焦燥感に駆られ、瑞貴は席を立った。
校舎を出て、サロンを目指す。サロンに行くのは初日以来だ。迷路のような庭園で道に迷い、恐ろしく時間が掛かってしまった。
扉の前で、ひとつ深呼吸する。瑛太を見つけたら、「今日は美術だぞ」と軽い調子で声をかけるのだ。
よし。腹に力を込め、ガチャリと扉を開ける。
「ふざけんじゃねえぞっ!」
耳をつんざくような怒号が聞こえた。
何事だろう。瑞貴はそうっと中へ入った。ロビーに人だかりができている。人だかりの中心に空間があり、そこで二人の学生が揉み合っていた。
「この野郎っ!」
……揉み合いではない。生徒会長が、学生を一方的に暴行している。床に倒れたその学生を、生徒会長が胸ぐらを掴んで立ち上がらせ、また殴る。
(瑛太くんっ……)
それが瑛太とわかるなり、体が動いた。
「何してるんですかっ!」
瑞貴は輪の中心へ飛び込み、生徒会長の腕にしがみ付く。
「やめてくださいっ!」
「このっ!」
大きく腕を振られたが、離すまいと力を込めた。けれど背後から引き剥がされ、気づけば二人がかりで床に這わされていた。
「お前の責任だぞ。どうすんだ」
「食糧要員が、サボってんじゃねえよっ……マジでどうすんだっ! あのクソ野郎っ、三崎さんのこと襲ったんだぞっ!」
「えっ……」
頭が真っ白になった。顔を上げると、ちょうど、殴り合いの空間の向こう側に、ぺたんと座り込む三崎の姿が見えた。そばに学生がいて、背中をさすられている。
顔面蒼白。レイプ被害に遭ったと言われたら、誰もがすんなりと信じるだろう。
でも彼に厭味を言われた瑞貴には、それが被害者の表情などではなく、失態の表情だとすぐにわかった。ああ、しくじった……そんな声が聞こえてきそうだ。
はらわたが煮えくり返るとは、このことだと思った。全身の細胞が一斉に湧き立つ。うまく呼吸ができない。
瑛太は、三崎で飢えを凌いでいたのだ。
襲ったわけではない。その現場を見た人間が、勘違いしただけだ。三崎は同意の上で瑛太に体を喰わせていた。彼に絡まれた自分にはわかる。
必要とされないわけだ。瑛太には、あんなに綺麗な相手がいたのだから。
怒りがスルスルと萎み、代わりに劣等感と悲しさ、虚しさが胸に押し寄せた。目頭が熱くなり、視界が滲んだ。惨めで悔しくて、涙がボロボロと溢れた。両手を押さえつけられているから、拭うことはできない。
「何泣いてんだ。お前のせいだろうが」
カコンと頭を叩かれる。
「うっ……っ……ううっ」
俺のせいなんだろうか。はじめから、瑛太は相手にしてくれなかった。自分はいくらでも、彼が望むだけ喰わせるつもりでいたのに。
三崎は「食欲が湧かないんだね」と言っていた。
……そそられない、俺が悪いんだろうか。
「もう……やめて」
三崎が言った。
「恭介……やめて……佐伯くんは悪くないよ……」
三崎は立ち上がり、生徒会長の元へ駆け寄る。生徒会長は三崎に腕を掴まれると、その動きを止めた。胸ぐらを掴まれていた瑛太は、別の学生によって引き剥がされ、床に押さえつけられる。
「悪いのは……」
三崎は、生徒会長の腕に絡みつき、すうっと瑞貴を指差した。
「そいつ」




