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性悪な兄は腐りかけ

 素振りを三回しただけで眩暈がした。列から外れ、武道場の隅へ行く。

 部長の川口が駆け寄ってきた。

「具合悪いのか」

 それにも答えられず、雪也は面の紐を解いた。後頭部でキツく縛った紐はなかなか外れず、川口に手伝ってもらう。面を外し、やっと「ごめん、帰っていい?」と声を発することができた。

「熱があるんじゃないか? 保健室で休んだ方がいい。一人じゃ帰れないだろ」

 川口の無骨な手が額に当てられた。胴と小手も外される。

「室井先輩っ!」

 住吉が練習を放棄し、駆け寄ってきた。

「室井先輩、調子悪いんですか。俺、保健室まで連れて行きますよ」

 住吉は言いながらさっさと面を取る。下心が見え見えだ。

「いい。お前は練習に戻れ」

 川口も何か感じ取ったのか、強い口調で言った。

「川口先輩こそ、ちゃんと指示を出してください」

 住吉が雪也を庇うように抱き寄せた。視界がぐらりと揺れ、雪也は吐き気がした。

「横になりたい……更衣室の、ベンチでいいから……」

 住吉と保健室なんかに行ったら、絶対喰われる。

「住吉、室井を更衣室まで連れてこい」

 川口はそう言って、更衣室へ駆けていく。

 雪也は住吉に連れられ、更衣室へ向かった。細いベンチを二つくっつけ、マットレスが敷かれていた。川口が用意してくれたのだ。

「これを枕に」

 川口はタオルを畳んだものを頭の下に置くと、更衣室を出て行った。「すり足三周、終わったら稽古」と指示を出し、戻ってくる。

「いつから具合が悪んだ」 

「……微熱みたいなのは、昨日の晩から」

「薬は飲んだか」

 雪也はゆるゆると首を振った。

「飲むなって言われてる」

 川口は目を瞬いた。

「誰に」

「研究者。僕、治験やってるんだよ」

「えっ」

 困惑の声を発したのは住吉だ。

「それで、最近具合が悪かったのか?」

 川口が聞く。

「うん」

「そ、それ……大丈夫なんですかっ?」

 住吉が迫ってきた。

 そういえば佐伯は、「あまりよくない」と言っていた。

「まあ、あまりよくないとは言われたけど」

「なっ!」

 信じられない、というように、住吉が両目をひん剥いた。

「な、なんでそんな大事なことっ、黙ってたんですかっ」

 怯えるような表情に殺意が湧いた。罵倒したくなったが、ここはしおらしくいくべきだろう。

「……そうだよね、ごめんね。僕の体、腐ってるかもしれないもんね。でも、僕だって必死だったんだよ。真記をいじめから救いたかったし、住吉くんしか、頼れる相手もいなかったし……」

 川口が困惑気味に住吉を見た。

「な、なんの治験ですか……どういうっ……そんなっ……俺っ……大丈夫かな……」

「お前なあ、そんなビビったら室井が不安になるだろうが。戦時中じゃあるまいし、今時死ぬような危ない薬なんて使わないって」

「当たり前でしょうっ! 死ぬとかっ、何言ってんすかっ!」

 雪也は小さくうずくまった。

「黙ってて、ごめん……きみのお母さんにも頼まれて、僕、いっぱいいっぱいだったんだよ……」

「室井、気にすることないからな。だいたいな、住吉、そんな取引みたいなこと先輩に持ち掛けてんじゃねえよ。中学んときからなんも変わってねえな。室井ジュニアいじめてんのもお前だろ」

「なんの治験か教えてください。どこでやってるんですかっ……」

「しつこいぞ!」

 雪也はゴホゴホと咳き込んだ。演技だった。

「室井、大丈夫かっ!」

 住吉の青ざめた顔が横目に入った。なんだよ、そんなに怯えた顔をして……

「ぅ……苦しい……真記を呼んで……真記をっ……」

 真記、真記……と、雪也は頭の中でも弟を呼び続けた。


 川口から事情を聞いたらしい。もう住吉とは関わらないでくれと、真記は言った。

 病床の患者にするように、真記はベンチに横たわる雪也の手を握った。

「ユキ……もう俺以外に触れさせないで」

 甘えるように言って、唇を重ねてきた。

「一滴の汗も与えないで。俺なんでもするから、ユキの体俺だけのものにさせて」

 真記の手が雪也の服のなかに滑り込む。住吉に喰わせた痕跡に、真記は苦しそうに眉根を寄せた。

「喰って」

「いいの?」

 真記は服をめくり、素肌に顔を寄せた。息がかかった。

「僕に何かあったら、お前も道連れだ」

「いいよ」

 即答され、安堵でジワリと目に涙がにじんだ。住吉に怯えられ、結構傷ついていた。

「でも、何もない。ユキに何かあるはずない」

 真記は震えた声で言うと、雪也の肌に吸い付いた。血を吸い上げられ、細胞まで快感で満たされていく。

「ああ……」

 真記が喰ってくれるなら大丈夫。この不安は、喰われることでしか和らげることができない。

 雪也は真記の頭を抱え込んだ。もっと喰って。

 

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