性悪な兄は腐りかけ
暴力沙汰を起こしたとして、住吉が謹慎処分を受けたらしい。
「一瞬でいいから顔出してやってよ。あいつ、お前の前で醜態晒したこと、結構気にしてるみたいでさ、落ち込んでるんだよ」
川口にそう言われ、放課後、雪也は住吉の家に向かった。
真記の誤解を解きたいというのもある。真記はああ言ったけど、住吉がそれを理由に暴力を正当化しているのは癪だ。
外階段のある二階建てのアパートが、住吉の家だった。インターホンを押すと、母親と思われる女が現れた。
「もしかして、室井雪也くん?」
女は興奮した様子で言うと、「さあ入って」とすんなり雪也を招き入れた。雑然とした居間に通される。
「大吾から話は聞いているわ。大変ね」
いったい、「大変」とはどういう意味か。住吉は自宅で何を話しているのかと考えたら猛烈に腹が立った。
隣の部屋からガタッと音がした。住吉がいるのだろうか。
「大吾ね、二週間の謹慎処分を受けたのよ。暴力を振るったのは確かだけど、話を聞いたら、雪也くんを助けるためだって言うじゃない。それを、大吾だけが処分を受けるなんてあんまりだと思わない?」
母親は眉をハの字にした。
「雪也くん、ワルツなんでしょう?」
母親は居間を懐かしむように見回す。
「見たらわかると思うけど、うちには贅沢をする余裕なんてないの。ワルツの肉なんて高くて買えない。大吾には我慢ばかりさせて、申し訳ないと思ってる。大吾はね、市販のワルツの味しか知らないの。それも一番安いやつ」
知らねえよ。雪也は目を伏せた。
「保健室での状況を聞いたらね、私、涙が出ちゃった。だってあんまりじゃない。大吾は我慢してるのに、あなたたちは学校でも貪り合って。それを目撃しながら、正義の行動をした大吾が不憫で可哀想で……」
チラリと隣の部屋を見る。気配はあるのに、いっこうに出てこない。
「大吾は、あと一週間も休まないといけない。真記くん……だったかしら? きっと、同級生に責められるでしょうね。いじめられるかもしれない。……中学の頃にも同じようなことがあったのよ。大吾が庇ってあげたクラスメイトがいてね、なのに恩を仇で返すようなことをしたから、彼はいじめられるようになった。止められるのは大吾だけだった」
母親は雪也の膝に手を置いた。
「謹慎期間中だけでいいの。だって、これじゃあなんのために大吾があなたを庇ったかわからないじゃない。大吾ばかり、損じゃない」
「……住吉くんは、そこの部屋にいるんですか」
「ええ」
いやらしい男だ。母親が話を進めてくれると思って、じっと待っているのだ。
雪也は立ち上がり、襖へ向かう。
真記なんて嫌われたらいい。いじめられたらいい。襖を開ける直前まで、雪也は引き返す理由をかき集めた。真記なんてどうでもいい。
真記以外に喰われたくない。
ポンと胸に沸いた理由に、雪也は激しく動揺した。まさかと、頬を引き攣らせる。
そんな馬鹿げたことがあるか。真記へのあやしい感情を打ち消すように、雪也は勢いよく襖を開けた。
「真記」
帰るなり真記の部屋に直行した。真記はベッドにあぐらをかいていた。
「腹、減ってる?」
どうしたのだと真記が首を傾げ、開いていた本を閉じた。
雪也はその場でシャツを脱ぎ払う。治りかけていた傷口が開いているのを見て、真記は目を見開いた。
「住吉に喰わせてやった。お前のためだよ。お前が学校でいじめられたら可哀想だと思って、あいつを満足させてやったんだ」
真記がベッドを降り、駆け寄ってきた。
「どうしてそんなこと」
真記が痛ましそうな顔をする。まだ痣は引いていない。
「だから、お前のためだって言ってるだろっ」
イライラして声を荒げた。真記以外に喰われるのが、あんなに不愉快だとは思わなかった。あれなら肉を削り取って、パックに詰めて与えるほうがまだマシだ。
「真記、腹減ってるだろ。喰っていいよ」
最後は声が震えた。住吉の鼻息を思い出し、きゅっと唇を噛み締める。
「ユキは……」
真記の切長の目が、眩しげに細められた。
「俺に喰われるのは、嫌じゃないのか?」
ドッと心臓が跳ねた。
「住吉に喰われたのが嫌で、俺のところに来てくれたのか? あいつの気配を忘れるために」
顔がジリジリと熱くなる。
「……そんなわけないじゃん。自惚れるなよ。お前が、腹減ってると思っ」
いい終わるより先に、真記が唇を重ねてきた。唾液を吸われ、待ちわびていたように背筋がしなる。快感の波紋が全身に広がった。
「ん、ふっ……」
「ユキ……」
切なげな声で、真記ははっきりと「好きだ」と言った。初めて聞いた。
驚いて目を見開く。真記はキスを再開した。散々口内を貪り、離れていく。
「甘くなった」
笑いを含んだ声に言われ、胸の奥がジンと痺れた。
僕は嫌い。お前なんか大嫌い。心の中で反発しながら、雪也は硬く逞しい男の体に抱きついた。




