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扱いやすい優等生

 消灯前の自由時間。制服を着ているのは教場当番だけで、他の学生はジャージ姿で校内を歩いている。

 長期生の寮に行くと、玄関口で八木に会った。抱えられた亜城を見て、「どうしたんですか?」と聞いてくる。

「熱があるみたいです。亜城の部屋、案内してもらえますか」

 亜城はまぶたを硬く閉じ、苦しげに呼吸している。

 八木の案内で、亜城の寮室に彼を運んだ。ベッドに寝かせ、その下の引き出しから、着替えを取り出す。

 カサ、と妙な手応えを感じ、引き出しの奥を見た。

 ビニール袋が入っていた。なんだろうと手を伸ばせば、カチャ、と金属音がした。口を広げ、中を見る。

「……っ」

 中に入っていたのは、メジャースプーンのような銀色の器具だ。教官が「肉を抉る器具だ」と言っていた……

 後ろにいた八木が、「それって!」と声を上げた。

 どういうことだ、これは。ビニール袋を握る手が汗ばんだ。

 亜城を見る。とても問い詰められるような状態じゃない。彼が顔の角度を変えると、濡れそぼった毛先から汗が散った。

 まずは着替えだ。シャツのボタンを外していく。動揺からか、指が震えた。この器具があるということは……自作自演かもしれないのだ。

 ボタンを外し、シャツを脱がそうとしたのを、亜城の手に阻まれた。

「大丈夫です。自分で、着替えます」

 眩しそうに目を開き、亜城は言った。

「いいから寝てろ」

「いえ、大丈夫です……出て、いってください」

 腕を掴む彼の手に意識がいく。こんな状態なのに、力強い。絶対に身体には触れさせまいという、強固な意志を感じさせる。

 反対側の手をシャツに伸ばすと、それも瞬時に止められた。

「やっぱりお前、桜井さんを嵌めたんだろうっ!」

 そう言ったのは八木だ。声を聞きつけ、他の長期生も何事かと集まってきた。個室は狭いので、入ってきたのは数人だけで、あとは廊下から部屋の様子を伺っている。

 亜城が、気だるげに体を起こした。

「出て、いってください。ここは、俺の部屋です」

 肩を喘がせ、苦しげに言い放つ。

「この説明をしろっ! なんでこんなものがあるっ!」

 八木が、翔平の手からビニールを掴み取り、中から銀色の器具を取り出した。

 亜城の顔がサッと凍りつく。

「あれって……体を削る道具だよな」

「なんでそんなものが……」

「やっぱり桜井さんに喰われたっていうのは、でっちあげだったんだ……」

 学生らが口々に言う。

 亜城は何も言わない。唇を戦慄かせ、銀色の器具を凝視している。ただでさえ荒い息が、ますます激しくなり、肩が喘ぐ。

「体を見ればわかる」

 最年長の加藤が前に出た。亜城の手をグイッと掴み、床に引き摺り下ろす。

「ちょっと加藤さんっ!」

 翔平が加藤を引き止める。床に突っ伏した亜城を、他の長期生らがわらわらと取り囲んだ。

「おいっ! 亜城は病人だぞっ! お前ら出てけっ!」

「あんたこそ出てけっ! これは俺たち長期生の問題ですっ! 短期生は関係ないっ!」

「なんだとっ!」

 掴み掛かろうとしたが、亜城のシャツが剥ぎ取られ、思わず目がいった。

 亜城はインナー一枚になる。首の後ろに、拳ほどの痣があった。喰われた部分が塞がったのだ。……あるいは、自らつけた傷跡かもしれない。痣の形は、授業で見たものとよく似ていた。

 亜城はじっとしている。顔中に珠の汗をかいていた。ボタ、ボタ、と床に汗が滴る。

 インナーを捲り上げた学生が、息をのんだ。翔平の位置からは見えない。

 動揺した八木が、カランと銀色の器具を床に落とした。それはちょうど、亜城の目の前に落下する。

「ひっ……」

 亜城が短く悲鳴を上げ、翔平は我に返った。彼を取り囲む学生を払いのけ、側へ行く。

 床に落ちた銀色の器具を手で払った。それは床を滑り、壁にカタンと当たって止まった。

「亜城……」

 抱き起こすと、彼はぐったりと翔平の胸に顔を埋めた。捲れ上がったインナーの下、彼の皮膚に触れてギョッとする。思わず背中を撫で回した。どこもかしこも瘡蓋のようにボコボコと硬い。首元の隙間から覗けば、まだらの背中が飛び込んできた。

(なんだ……これ。背中がほとんど……)

「情け……ないでしょう」

 亜城が熱い息を吐きながら、言った。まるで二人しかいないように、あたりはシンと静まり落ちている。

「アレを、見ると……動けなくなるんです。こ、克服しようとしても……ダメだった」

 翔平は息を詰めた。それを桜井が知っていたら。

「じゃ、じゃあこれ、なんでお前が持ってんだよ」

 加藤が狼狽したように言う。

「知りません……俺、本当にダメなんです。触ることもできない」

 周りがざわついた。

「俺、八木さんがこの部屋入っていくの見ました」

 誰かが言った。

「なっ!」

 八木がたじろぐ。

「抜き打ち検査で見つかればいいと思ったのか。なんでそんなことをしたっ!」

 加藤が怒鳴った。みなの視線が八木へと向かう。

「み、みんなだって、自作自演を疑ってたじゃないかっ! 証拠が出なきゃ、亜城は被害者のまま勝ち逃げだっ! 自作自演を証明するにはっ、証拠を捏造するしかないだろうっ!」

 でも証拠は証拠にならなかった。亜城はそれを見ただけで硬直する。それで自分の体を傷つけるなど、できるはずがない。

「自作自演なんかじゃない」

 亜城が掠れた声で言った。短い言葉を発するだけでも、彼の体は大きく揺れる。

「お、俺だって……っ……最初は我慢してたんです。でもっ、あんなこと続けられたら訓練に支障が」

「お前っ! 桜井がいないからって! 適当なこと言うんじゃねえぞっ!」

 挑もうと前に出た八木を、加藤が羽交い締めにして止めた。

「支障が、出ると思ったから、教官に相談しました」

「黙れっ! 被害者ぶるなっ! 自衛できなかったお前が悪いんだろうっ!」

「はい。自衛……できなくて、すみません」

 亜城はすんなり謝ったが、本音は謝罪などしたくなかったのだろう。悔しそうに嗚咽した。

「……耐えっ、られなくて、すみません」

 自衛しろ。耐えろ。そう言われてきたのだと思ったら、翔平は目頭が熱くなった。

 ボコボコの背中を撫でる。どれだけの血肉を奪われてきたんだろう。自分はこんな酷いことはしない。彼の体で空腹を満たそうなんてしない。それが伝わるように、汗ばんだ体を強く抱きしめる。そして「お前は何も悪くないよ」と、周囲の者に聞かせるように、言った。


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