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扱いやすい優等生

 またこの日が来てしまった。胃は痛くないが、気が重い。

 しかし朝の点呼で亜城が申告しているのを見て、翔平は一気にテンションが上がった。亜城も教場当番なのだ。

 教場当番は実践的訓練として、終業後、地域警察官と同じ業務を行う。校内に建てられた交番に詰め、日誌を書いたり、校内を回って職務質問などを行うのだ。

 短期性と長期生は、基本的に関わることがない。でも教場当番が一緒になれば、交番で交流できる。ペアになれば、べったり一緒にいることも可能だ。

 シャワールームでの一件から、ちょうど一週間が経った。話しかけるタイミングを見つけられずにいた中で、教場当番被りは願ってもない幸運だった。どうにかしてペア行動を勝ち取りたい。

 あと一限。これほど終業が待ち遠しいと思ったことはない。

 この日の最後の授業は『地域』で、交番に相談者が来た時のシミュレーションを行った。

 モニターに女性のイラスト、吹き出しに『相談があって……』と表示されている。

 指名された学生が前に出て、「どうされました?」と伺う。

『マッチングアプリで知り合った人に、無理矢理襲われたんです』

 吹き出しの文字が変わる。

『見てください、これ』

 リアルな写真に変わった。首の後ろの皮膚がざっくりと抉られている。

「えっと……被害届を出したいということですか?」

 学生が聞く。

『はい……』

 学生が女から個人情報を聞き出す。女はワルツだった。

「ここで、女を照会にかけろ」

 教官が口を挟んだ。教場全体に向かって言う。

「ロンドによる傷害事件が多発しているが、ワルツによる虚偽告訴も後を絶たない。諸君は卒業後、まず交番に配置される。被害者に親身になるのは結構。だが、交番に来る人間が必ずしも被害者とは限らない。言った者勝ちにならないよう、言葉だけでなく、仕草や服装にも注意を払うこと。そして疑わしきは照会すること」

 照会とは、警察のデーターベースに記録があるかの確認だ。その場で無線を使って本部に問い合わせをすれば、対象人物の犯歴がわかる。

 前に出た学生が照会すると、女には恐喝の逮捕歴があると分かった。

「諸君ら交番勤務員の業務はここまでだ。あとは刑事課に女を引き渡す」

 画面が、再びリアルな写真に切り替わった。

「この創痕をよく見ておけ。これは特殊な器具で抉った場合にできる痕だ。ロンドに襲われたと訴える者の多くが、このような創痕をつけてくる」

 続いて、メジャースプーンのような、銀色の器具に変わった。スプーンの輪郭は鋭利な刃だ。

「肉を抉る器具だ。ワルツの肉は高値で取引されるため、このような器具が何十種類と売られている。ワルツが身内にいない者には馴染みのないものだろうが、こういうものがあることを、頭に留めておくように。これはよく、自作自演に利用される」


 終業後、校舎のはずれにポツンと建てられた交番へ行くと、すでに長期生は全員集まっていた。雑談の中に、亜城は加わっていない。「お疲れ様です」と挨拶をして、翔平はカウンターの中へと入った。素早く亜城の隣へいく。

「よろしく」

 小声で言うと、亜城は頷き返した。

「俺、お前と組みたいんだけど、それで話進めちゃっていい?」

 亜城は頷く。よっしゃと心の中でガッツポーズした。

 ペア決めに移り、難なく亜城とペアになることができた。業務はローテーションで、翔平と亜城は立番からになった。校門前で一時間、立って見張りをするのだ。

「あの後はどう? 嫌がらせはされてない?」

 立番の位置について、正面を見ながら隣にいる彼に話しかけた。

「はい。何もありません」

「よかった」

 警察学校は山の奥にポツンとあるため、街へと伸びる一本道は学校関係者しか通らない。

 日勤の教官の車が出て行くたび、翔平と亜城は姿勢を正して敬礼する。

「亜城ってさ」

「秋乃さん」

 遮るように名前を呼ばれた。彼を見る。彼は正面を見たまま言った。

「俺は、秋乃さんって呼べばいいですか」

「あ……うん。翔平でも良いけどね」

 クスッと笑われた。

「変だろ」

「でも嬉しい。呼んでみてよ」

 教官の車が通過し、二人揃って敬礼した。

「翔平……さん」

「呼び捨てでいいのに」

 律儀な男だ。チラと見れば、暗がりでもわかるほど頬を染めていた。

「亜城はさ、なんで警察官になろうと思ったの?」

「食いっぱぐれないから」

「高三でそんなこと考える? 真面目だな」

「あんたが呑気なだけでしょう」 

 言葉が返ってくるのが嬉しい。一時間などあっという間に過ぎそうだ。

「でもさ、向いてなかったらとか思わないの? 刑事になりたいとか白バイに乗りたいとか、憧れて目指すならわかるけど、食いっぱぐれないって、要するに安定を求めて選んだってことだろ? 向いてなかったら頑張りようがないじゃん」

 視線を感じ、見ると彼は頬を赤らめたまま、「何言ってんだコイツ」みたいな顔をしていた。

 わずかに開いた唇は、荒い息を吐いている。

「亜城……調子悪いのか?」

 教官の車が通り、敬礼する。亜城の動きが鈍かった。

「やっぱり調子悪いんだろ」

 距離を詰め、額に手を当てた。その熱さに目をみはった。

「熱があるじゃないかっ……」

「言わないでください。意識したら、余計に具合が悪くなる」

「わかってるなら無理するなっ、こんなの時間外なんだから休めばいい」

 睨まれたから、睨み返した。火曜日だ。まだ三日もある。今日は体を休めるべきだ。

「他のみんなには俺が伝えておくから、寮に戻って休め」

 亜城は力なくかぶりを振った。

「平気です」

「悪化したらどうすんだ」

 返答を避けるように、亜城は教官の車に敬礼した。翔平も倣う。

「あと四十分です」

 亜城は腕時計に視線を落とした。あと四十分もあるのかと、翔平は気が遠くなった。

「……あと四十分、あんたとこうしていられる」

 胸がドッと跳ねた。

 彼は自分の言葉に苦笑する。本当に具合が悪そうだ。寮に帰すべきなのに、翔平は言葉が出てこない。

「これが終わったら、校内巡回。その次は交番で待機。交番に二人きりでいたら、あんたは俺にキスしたくなるんだ」

 額に汗を浮かべながら、彼は言った。

 朝の点呼で、亜城も教場当番と知って嬉しかった。彼も同じ気持ちでいたのだろうか。涼しい顔で内心、早く授業が終わらないかと、待ち望んでいたのだろうか。

 教官の車が通り、二人で敬礼する。視界の隅で、亜城の身体がくらりと傾いだ。


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