扱いやすい優等生
人のものを盗むなんて、一発アウトな犯罪に手を染める気はサラサラない。
……ないのだが、気づけば亜城を目で追うようになっていた。それで気になったことがある。亜城はいつも一人でいる。
「そりゃ、桜井を退職に追いやったんだから当然です。あいつと仲良くしたがる奴なんて一人もいませんよ」
喫煙所で八木と加藤と一緒になった時、亜城について聞くと、そう返ってきた。
「でも、桜井さんが亜城を喰ったのは事実でしょう。理性をコントロールできなきゃ警察官は務まらない。退職するのは当然だ」
翔平も思っていたことを、堂野が代わりに言ってくれた。
ロンドの警察官による不祥事は、そもそもロンドの警察官が少ないからほとんどないが、起これば何年も語り継がれる。不安要素は現場に出す前に取り除いた方がいい。不祥事が起きた時、とばっちりを受けるのは真面目に働いているロンド……堂野もそのうちの一人なのだから。
「はめられたんですって。亜城は逮捕術も柔道も同期トップクラスなんです。それなのに無理矢理やられるわけがない」
「亜城から、誘ったってことですか?」
「それか、桜井が誘って、亜城が誘いに乗ったか。そうだとしても陥れたことに変わりはないでしょう。事後に教官に告げ口するなんて性根が捻じ曲がってる」
「行為がエスカレートしたんじゃないですか。亜城はキスだけのつもりが、興奮した桜井がそれ以上を求めた。ロンドの暴走として処分されても仕方がない」
堂野が言い、翔平は教官室での亜城のセリフを思い出した。
俺の体を見てください。噛み跡を照らし合わせればわかります。
「嫌なら拒めばいい。体格は関係ないんです。あいつは教官とだって対等にやり合える。大人しく喰われるなんて、不自然すぎるんです」
亜城の自主練を思い出す。確かにそうかもしれないと、翔平は思った。
入校して二ヶ月。授業は本格化していく。
この日はプロファイリングの授業があった。犯行現場の写真を見て、犯人を予測するのだ。最初はモザイクなしの死体写真にヒヤリとしたが、画面越しに怖がっていては警察官は務まらない。目を背けたくなるような凄惨な現場写真を、翔平はグッと腹に力を込めて注意深く観察した。
「次の現場はこれだ」
モニター画面が切り替わった。翔平は思わず息をのんだ。他の学生も動揺して、教場全体がざわつく。
「F病院、特別病棟302号室。これも実際にあった事件だが、遺族の意向で報道は控えられた」
翔平は素早くペンを走らせる。
……メモが済んでも、顔を上げることができない。見たくない。
残像だけで気分が悪い。あれは、本当に人間の仕業だろうか。熊のような猛獣の仕業ではないのか……その可能性もあるなと、時間稼ぎに「クマ?」と書き込む。
ジワリと額に汗が浮かんだ。顔を上げないと。見ないと。そういう現場に、自分がいくかもしれないのだから。
意を決し、頑張って顔を上げた。凄惨な現場写真が目に入る。
広々とした病室。ベッドの上には白骨死体が横たわっている。風化によって白骨化したわけではないことは、壁まで飛散したおびただしい血痕と、骨に付着した肉片から読み取れる。殺された、というよりは、食い荒らされたような現場写真。当然、被害者の人相や年齢はわからない。
(ダメだ……こんな惨いもの……)
吐き気が込み上げ、翔平は俯いた。
周りを見回せば、皆自分と同じような反応で安堵した。ふと後方の堂野に目がいく。
堂野の顔は蒼白だった。普段は冷静沈着な男が、唇を戦慄かせ、今にも叫び出しそうな、驚愕の表情でモニターを凝視している。
「次の写真だ」
再び教場がどよめいた。
堂野の目が、さらに見開かれた。
恐る恐る、翔平はモニターに目を向けた。
「え……」
グロテスクを覚悟していたから、拍子抜けした。ただの学生写真だ。……いや、ただのというには綺麗すぎる少年だった。アイスブルーのブレザーがアイドルのステージ衣装のようで、彼の美貌をいっそう非現実的に見せている。
「白樺学園の制服だ」
誰かが言った。翔平はハッとし、堂野を振り返った。
ガタン、と音を立て、後退るようにして堂野が立ち上がる。
教場の視線が、一斉に堂野へ注がれた。
堂野は「うっ」と口を塞いで腰を折った。床に膝をつく。
「堂野っ!」
翔平が立ち上がる。
「堂野、きついか」
気分を悪くする学生は珍しくないのか、教官の声はのんびりとしていた。
「秋乃、悪いが堂野を保健室まで連れて行ってくれるか」
「は、はいっ!」
翔平は堂野の元へ駆け寄った。
「堂野、立てるか?」
堂野が頷いたので肩を抱き、立ち上がらせた。連れ立って教場を出る。
途中、堂野はトイレで吐いた。翔平は背中をさすりながら、彼が落ち着くのを待った。
脳裏に、白樺学園の制服を着た美しい少年が甦った。
堂野は大きな背中を揺らしながら吐いている。目は涙ぐんでいた。
(恋人って……さっきの……)
血みどろの病室、ベッドに横たわる死体を思い出し、吐き気が込み上げたが、堂野の恋人である可能性を考え、根性で堪えた。
かなりの時間が経った。さっきのプロファイリングはどうなったんだろう。授業では、解決済みの事件も、未解決事件も取り扱う。
堂野の吐き気が治り、トイレを出た。保健室に着くと同時に、授業終了のチャイムが鳴った。今日はこれで終わり。このあとは掃除だ。
「俺、教官呼んでくるよ」
保健室は開放されていたが、誰もいなかった。勝手に薬をもらうわけにはいかないから、翔平は教官を呼びに外へ出た。
堂野と一緒にいる間、相当気を張っていたらしい。扉を後ろ手に閉めると、ドッと肩の力が抜けた。その場に立ち尽くす。
「どいてくれますか」
「うおっ」
完全に気を抜いていたから、気配もなく目の前に現れた亜城に心臓が止まりそうになった。
「あ、ごめ……」
退きかけ、中に堂野がいることを思い出す。ロンドの堂野に、ワルツの亜城を近づけたくない。
……ハッとする。
まさか、堂野にちょっかいを出す気か?
疑うような目を向ければ、相手は「邪魔なんですけど」と睨み返してくる。
「何しに来た?」
翔平が聞くと、亜城の細い眉が苛立たしげに動いた。
「あんたに関係ないでしょう。早く退いてください」
「大した用じゃないなら帰ってくれ」
保健室には簡易ベッドがあるが、それは処置のためで、長時間休むためのものではない。体調不良なら寮に戻って休めばいい。
(こいつ、やっぱり堂野を狙って来たんじゃないか?)
疑いが膨れ上がる。堂野が保健室にいると聞きつけて、桜井のように陥れに来たのではないか……
「怪我をしたんです。退いてください」
見たところ、怪我をしているようには見えない。
「怪我なんてどこもしてないじゃないか」
亜城はチッと舌打ちした。扉へ手を伸ばす。
その手を掴もうとしたら、亜城は素早く手を引いた。
亜城は逮捕術も柔道も同期トップクラスなんです。あいつは教官とだって対等にやり合える。大人しくやられるなんて、不自然すぎるんです……長期生の言葉を思い出し、疑いが深まる。というかもう、それ目的に来たとしか思えなかった。
「なんなんです?」
顔の横に手のひらを掲げたまま、亜城は言った。
掴み損なったそれに目がいった。冷淡な顔と結びつかない、ゴツゴツとした岩肌のような皮膚に、虚を突かれる。
「怪我って……それか?」
目を凝らした。皮膚がささくれていたり、硬く盛り上がっていたり、指の節にはデキモノもある。
「なわけないだろ」
亜城はサッと拳を握った。
「……でも」
じゃあなんだ。問うように亜城を見ると、彼は呆れたように言った。
「ペンダコも知らないなんて、あんた大学で何やってたんだ」
「ぺ、ペンダコ……」
翔平の手は綺麗なものだ。ペンダコとは無縁の人生だった。
「それと懸垂」
懸垂は十回が合格ラインだが、回数を重ねればその分評価される。十回は翔平でも難なくこなすことができたから、亜城は評価のために回数を伸ばそうとしているのだろう。
一体、彼は何回できるのだろう。制服をまとった姿は細身だが、裸になったら……
「あ、ちょっ……」
亜城が扉に手を伸ばし、翔平は咄嗟に体でブロックした。
「じゃあ、どこ怪我してんの?」
亜城がジッとこちらを見る。なぜ足止めされているのか、わからない様子だ。
堂野が中にいると、知らないのかもしれない。だとしても入らせるわけにはいかない。
「……ってか怪我なら、絆創膏とかガーゼが欲しいってこと? それなら俺が取ってくるよ」
これを拒否すれば亜城は黒だ。堂野を陥れるためにここへきた。(強引)
「消毒液とガーゼ。あとあればキズパワーパッド」
亜城が答え、翔平は脱力した。なんだ、ただの思い過ごしだった。
「わかった。取ってくるから、ここで待ってて」
自然と口調が和らいだ。保健室に入る。
堂野はガラスの戸棚を漁っていた。会話を聞いていたのだろう、消毒液やガーゼを取り出し、テーブルに置いていく。
「かなり出血してるぞ」
「えっ?」
「亜城だ。ロンドと接触させない方がいい」
外に聞こえないよう、堂野は小声で言った。
「俺はもう平気だから、そこから出ていく」
堂野は窓を顎で示した。
「可能なら傷口を確認してくれ。自作自演かもしれない」
「自作自演……」
「じゃあ、あとは頼んだ。授業をサボらせてしまってすまない。さっきは助かった、ありがとう」
最後は早口で言って、堂野は逃げるように窓から出ていった。




