扱いやすい優等生
とうとうこの日が来てしまった。翔平は朝から胃が痛い。
「拳銃を手にしたときは回転式拳銃にあっては弾倉を開き自動式拳銃にあっては……」
あ、飛んだ。
「やばい……っ!」
翔平は頭を抱え、項垂れた。
「ついてねえな。拳銃の授業の日に教場当番なんて」
班員の増田が他人事のように言う。
「ついてないのは名字もだ。お前は良いよな。当分まわってこなくって」
翔平はこの日、二回目の教場当番だった。今は寮の靴箱で、ローファーから活動靴に履き替えている。
教場当番は日直のようなもので、その日の授業連絡や雑務などを行う。一回目は入校初日だったから、たいした仕事はなかった。
けれど教場当番は本来、教官の無茶振りに答えたり、校内を走り回って授業の準備をしたり、終業後も「地域警察官」として校内をパトロールしたり……とにかくめちゃくちゃ面倒くさい。
面倒で終わればまだいいが、通常点検の時ように、暗唱を指示されるからたまらない。言えなければ連帯責任で腕立て伏せだ。クラスメイトからも責められる。
そしてこの日は運悪く、拳銃の授業があった。授業に入る前に、「拳銃の安全規則七項目」を、教場当番が暗唱することになっている。
「射撃するときのほか回転式拳銃にあっては撃鉄を起こさず……だ、ダメだっ! 全然頭入ってないっ!」
「それ2番だろ。しっかりしろよ」
呆れた声に言われ、ムッとする。
「お前は覚えたのかよっ」
「自動式拳銃にあっては所属長が特に指示したときを除き、薬室にたまを装塡しないこと」
増田はサラリと言ってのける。
「……暗記、苦手なんだよ。書くのはまだ良いけど、口に出すのは……」
「言い訳すんなよ。俺なんて左右盲だぜ。右向け右って言われても咄嗟に反応できねえの。それに比べたらお前はただの努力不足。猛省しなさい」
増田は靴紐をキュッと結び、立ち上がった。翔平もため息をついて立ち上がる。今日は長い一日になるぞ……気が滅入り、胃がキリキリと痛くなった。
堂野に誘われ、昼休みに喫煙所に行くと、よくここで会う長期生がいた。二十代後半くらいの転職組だ。いつもは三人でいるが、今日は二人だった。
「珍しいですね。桜井さん、まさかついに禁煙デビューですか?」
翔平が軽口を叩く。今日不在の桜井は七福神のような優しい顔つきの男で、人当たりも良く、会えば必ず笑わせてくれた。「明日から禁煙だ」が口癖だった。
「いや、それが……」
どうしたのだろう。二人とも表情が暗い。翔平は堂野と目を見合わせた。「何かあったんですか?」と堂野が聞く。
「あいつ、退職するかもしれないんです」
八木という、メガネを掛けた細身の学生が答えた。
「おいっ」
加藤という、強面の学生が声を荒げる。
「どうせ時間の問題だろ。それに誤った情報が広まるくらいなら、先に正確な情報を伝えた方がいい」
「それは……でもまだ退職すると決まったわけじゃない。うまく話がまとまれば、あの話は広まらずに」
「後ろ盾がない限り、理性の効かないロンドは退職だ」
「ロンド……」
翔平が言う。堂野に驚いた様子はないから。気づいていたのかもしれない。
「誰かを喰ったんですか」
「はめられたんです」
堂野の問いに、八木が素早く答えた。
「ロンド嫌いのワルツがいて、そいつに……」
隣で堂野がタバコに火をつけた。立ち上る紫炎に自然と目がいく。翔平もタバコに火をつけた。午前中は散々だった。心に負ったダメージを回復させねば。
「ロンドの短期生がいたら伝えてください。亜城武瑠には気をつけろって」
通常点検で、警察学校外出泊五訓を暗唱した学生だ。目深に被った制帽の下、ギョロリと苛立たしげに動いた目を思い出す。
堂野はそれも気づいていたのか、表情を変えることなく、「はい」と答えた。
もう少し話を聞きたかったが、この後は拳銃の授業だ。翔平は準備があると言って先に喫煙所を出た。
喫煙所を出た足で教官室へ向かった。射撃場の鍵を受け取るためだ。
「秋乃巡査、入りますっ!」
入ってすぐ、亜城が目に飛び込んできてギョッとする。彼は担任教官と話していた。教官は座っている。周囲の教官も作業の手を止めて会話に聞き入っている。そのうちの一人……拳銃の教官が翔平に気づいた。
「しゃ、射撃場の鍵を受領しに参りましたっ」
翔平が言うと、教官は頷き、立ち上がった。鍵の保管庫へと向かう。
「誘ってなんかいませんよ」
亜城のキッパリとした声が聞こえ、ソワソワした。
「自作自演? 誰がそんなこと言ってるんですか。もう一度、俺の体を見てください。なんなら桜井巡査に喰わせてもいい。噛み跡を照らし合わせればわかります」
なんだよ……そのセリフ……俺は一生使う気がしないんですけど!?
「秋乃、おぬし、拳銃の安全規則、ちゃんと覚えてきたのか」
教官が鍵を差し出しながら言う。
「えっ……あ、えっと……」
「今言ってみろ」
サッと血の気が引いた。
「えっと……拳銃を手にしたときは、回転式拳銃にあっては弾倉を開き……自動式拳銃にあっては……弾倉を抜き出し、ゆ……遊底を引いて、たまの有無を確かめること」
つかえながらも、何とか三号目まで唱える。本番でこれはアウトだろう。
「もういい」
教官が当てつけのようにため息をつく。
「す、すみませんっ……」
「亜城」
話が終わったようで、亜城は扉へと向かうところだった。側を通りかけた時、教官が声を掛けたのだ。亜城が足を止め、体ごとこちらを向く。
制帽を取った状態の彼を間近で見るのは初めてだった。高校を出たばかりの18歳。けれど目の奥が仄暗く、年齢以上の荒んだ雰囲気を放っている。顔立ちは端正なのに、咄嗟に感じたのは「綺麗」でも「かっこいい」でもなく、「なんか怖い」だった。
肌は病的なほど白かった。カラスのような濃密な黒色の髪が、余計にその白さを際立たせている。
「拳銃の安全規則、四号目」
うわっ、無茶振り……ごめんよ亜城くん、と彼を見れば、冷ややかに一瞥された。
「射撃の目標物以外のもの、又は跳弾により人を傷つけるおそれのある方向には、銃口を向けないこと」
亜城が最低限の口の動きで答える。彼に抱いた「なんか怖い」の正体が、人間味のなさだと翔平は気づいた。
教官が「行ってよし」と亜城を解放する。亜城は軽く頭を下げ、出ていった。
見習え、とばかりに教官に睨まれ、翔平は肩をすくめる。自分だったら四号目、と急に言われても、まずは一号目から順を追わなければ出てこない。あの速さで答えるなんて絶対無理。
「高卒連中の方がよっぽど真面目に取り組んでるぞ。おぬし、さてはいつ辞めても良いと思ってるんだろう。自分には大卒資格があるからと」
「お、思ってませんっ……」
見抜かれてる。脇の下に汗がにじんだ。
「俺も大卒だ。三十代までずっとその気持ちでやってきた。俺はいつ辞めたって良いんだぞってな」
当然のように話を進められ、黙るしかなかった。やる気がないなら、今のうちに自主退職しろとか言われるんだろうか。
でも辞めたら、堂野とタバコを吸えなくなる。あの空間を失いたくない。辞めたくない。でも教官の言う通り、「いつ辞めてもいい」を言い訳にして努力を怠ったのは確かだった。
「……すみません」
素直に謝った。わかればいい、というように、教官は大きく頷いた。
「気を引き締めろ。おぬしらは6ヶ月で現場に立つんだからな。6ヶ月くらい、真面目に取り組め。手を抜くのは現場に出てからにしろ」
「はい」
教官は苦笑した。
「おぬしは長続きしそうだな」
「このタコ、現場に出ても手を抜くんじゃねえ」
別の教官がドスを効かせって言った。
「あっ、す、すみませんっ……そんなつもりはっ」
他の教官らが失笑し、翔平は顔が熱くなった。
「だがその気持ちを忘れるな。力が入りすぎても続かない」
教官は、亜城が出ていった扉を見やった。
「ところでおぬし、視力はいくつだ」
急になんだと訝りながら、「両目とも裸眼1・5です」と答える。
「ふん、なら困ったら管制室を見ろ。壁に拳銃の安全規則が貼ってある」
「マジっすか」
思わず素っ頓狂な声が出た。管制室は射撃場の中にあるガラス張りの部屋だ。
そんな裏技があったのかと驚いた。授業開始前は電気が落とされていて暗いが、今回は特別に明るくして、カンニングさせてやるということだろう。
驚きの後、じわじわと羞恥心が込み上げた。情けない。なぜもっと真剣に暗記しなかったのかと、翔平は今更後悔した。
教官は翔平をじっと見つめると、「行ってよし」と静かに言った。




