表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/47

獣になれない傍観者

 さすが貴族高校。ここは披露宴会場ですか? と問いたくなるような豪奢な食堂で、伊藤拓真は呆然と立ち尽くしていた。

 あれ……まさか本物の人肉じゃないよな?

 拓真の視線の先には「本日のAランチ」と表示された液晶モニターがある。それは主食、副菜、汁物、と順に切り替わっていく。瞬きし、目を凝らす。どう見てもメイン料理の上には「U12北海道産WH78−11を使ったシチュー」と書いてある。普通に読めば十二歳以下の人肉……ということになるが、肉の大きさはマスカットくらいありそうだ。あの大きさの人肉を、学食で提供できるくらい大量に仕入れる……そんなことが可能なのだろうか。コンビニに売っている人肉なんて、爪の先ほどのカケラが3粒入っただけで二千円だ。あのシチューをレストランで食べようと思ったら、一体いくらするだろう。庶民の拓真には検討もつかない。

 白樺学園しらかばがくえん。ここは華族や政治家といった出自の良い子息や、芸能人や社長、いわゆる成金と呼ばれる階層の子息らが通う超お金持ち男子校だ。ベルサイユ宮殿をイメージして建てられた本校舎、及び学生寮は年に一回一般公開され、二日間で三万人が来場する人気イベントとなっている。

 拓真は学力特待生として入学した。一般学生と同じアイスブルーの制服を着ていても、どこか着られているような気がしてならない。学生服といえば紺か黒が基調の地方都市出身の拓真からしたら、このホワイトルックはアイドルのステージ衣装のようなもの。拓真は中肉中背。リスとネズミを足したような顔はよく言えば癒し系だが、端正とは程遠い。

 すぐ目の前を、シチューの乗ったトレイが横切った。思わず視線が引き寄せられる。

 あの肉……やっぱり本物か?

 拓真の視線に気づいて、学生が足を止めた。顔を上げ、目が合う。

(堂野先輩……っ)

 生徒会長だ。男くさい、苦味の走った美貌にどきりとする。その隣には副会長の三崎唯斗みさきゆいともいるではないか。こちらは中性的な美形。二人とも公卿の家系で、金持ちばかりのこの学園でも一目置かれる存在だ。

 拓真は生徒会に所属している。ここの生徒会は単なる学校自治組織とは違い、所属することで様々な特権、サービスを得ることができる。やりたい放題、と言ってもいい。生徒会に所属してさえいれば、授業をサボろうが、テストでどんな酷い点数を取ろうが、卒業することができる。拓真のような特待生は、無論、テストで酷い点数を取るわけにはいかない。授業中も好きにしていいのは、成績を伸ばすための配慮だ。

 生徒会に入れるのは、拓真のような学力特待生と、寄付金の多い学生だ。寄付金の多い学生は、学年に十名から二十名ほど。学力特待生は学年に一名。生徒会で書記や会計といった役職を持つのはわずか五名。生徒会長と副会長はまさにカーストの頂点だ。

「こ、こんにちは……」

 拓真は姿勢を正し、頭を下げた。再びシチューが目に入る。けれど健常者の拓真には、それが人肉なのか、牛肉なのか、見分けがつかない。

 生まれつき、味覚を持たない者がいる。正確には、ヒトの血肉でしか味覚を感じられない人間だ。かつては食盲、食人症候群などと呼ばれていたが、近年、遺伝子の二重螺旋に特異な反復形状があることが判明し、それに似ているロンド旋律から「ロンド」と呼ばれるようになった。

 ロンドが味覚を感じる唯一の食材はヒトの血肉であるが、誰の肉でも良いわけではない。ロンドが人口の約5パーセントと言われる中、「味のする体」を持つ人種……ロンドにちなんで「ワルツ」と呼ばれる人種は約3パーセントと言われている。

 ロンドにとって、ワルツは骨と毛髪以外全て食材となる。他では味を感じることのできないロンドにしてみれば、ワルツの体は苦くても辛くてもご馳走と言えた。そのため、ワルツの肉は市場で高く取引されている。

 ワルツにその体質の自覚はなく、ロンドが食して初めてそれが判明する、と言われているが、実際のところ、ロンドはワルツの体臭や汗からも食欲をそそられるため、汗をかいたワルツに近づけば、食べずとも見抜くことができるとも、それ以前に、なんとなく雰囲気でわかる、とも言われている。

 でもそれも、拓真には一生知ることのできない感覚だ。

「伊藤くんって、ロンドだったの?」

 三崎が言った。凛とした美声は、彼の繊細な顔立ちにピッタリだ。

 名前を覚えられていたことにびっくりする。けれど嬉しいという感情が芽生える間も無く、拓真は反射的に否定した。

「いやっ、僕はロンドなんかじゃ……っ」

 言った瞬間しまったと思った。堂野の目尻が鋭く吊り上がる。 

「唯斗、行くぞ」

 堂野は足先を変えた。

 拓真は頭を下げ、「す、すみませんっ」と大声で謝る。これを引き摺りたくない。ただでさえ自分はカーストの底辺、成金の下の平民なのだ。トップに君臨するこの二人に嫌われたら終いだ。

 ロンドなんか、とか言ってすみません。でも、僕が生まれ育った田舎では、ロンドってだけで村八分にされるくらい、それはそれは忌み嫌われていたんです。街に出たって同じです。ロンドって言われたら、たいていの人間は警戒心を抱きます。だってそうでしょう。満員電車で目の前に汗をかいたワルツがいたら、たまらなくなって舐めてしまう。もっと酷い奴だとカッターで肉を削り取る。ロンドは犯罪者予備軍です。僕はそう教え込まれました。だから咄嗟に否定してしまいました。

 ……なんて、正直に言えるはずがない。拓真は二人の気配が去った後も、しばらく頭を下げ続けた。

 大理石の床を見つめながら、ここで、これまでの常識は通用しないのだと拓真は悟った。

 住む世界が違いすぎる。自分の生まれ育った田舎……日本の九割に該当する地域では、ロンドは恐れられ、犯罪が起きれば真っ先に疑われる存在なのは間違いない。けれどここは違う。そもそもロンドが犯罪を犯すのは、飢えているからだ。人肉は出回っているが高価なため、食卓に並ぶことはまずない。庶民が手にするのはジップ袋に入った小粒だ。

 だから「もっと食べたい」という欲望が犯罪に手を染める。

 けれどここはどうだ。拓真は顔を上げ、テーブルを見渡した。

 肉の大きさに驚いて、疑ってしまったが、舌の肥えたお坊ちゃんが偽物(牛肉をワルツの血で味付けしたもの)で満足するはずがない。あれは本物の人肉だろう。

 ここにいる彼らは、食べたいと思った時に、ワルツの人肉を食うことができる。飢えることがないのだ。それが彼らの常識なら、恐れられる理由はない。現に、堂野と三崎のテーブルには、取り巻き連中が集っている。もしかしたら、膨大な食費のかかるロンドが家系にいることも、この世界ではステータスのひとつとされているのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ