3.そして、現在。
突然の告白に顔を赤くさせていたシエンナは、ハッと顔を上げると、慌ててオーブンの扉を開けた。中のスティッククッキーは焦げておらず、ホッと胸を撫で下ろしながら、彼女は天板を作業台に置く。食欲をそそるチーズとローズマリーの香りが室内に広がった。
「シエンナは、僕のこと、好き?」
小首を傾げたスフェーンに、低く甘い声で訊ねられ、シエンナは再び顔をりんごのように赤くする。もじもじと彼女はミトンをはめた手をすり合わせた。
「うん、好きよ。ずっと、小さな頃から……」
俯いて、唇を尖らせながらシエンナは答える。チラとスフェーンを盗み見ると、彼は大きな溜息を吐いて俯いていた。
「はぁぁ……良かった」
顔を上げたスフェーンは頬を赤くして、心底嬉しそうに笑う。ドキンとシエンナの心臓は大きく跳ねた。こんな顔をして笑うだなんて知らなかったと、彼女の胸の高鳴りは治まらない。
「シエンナにさ、今、沢山婚約の申込みがきてるんだよね?」
「え?何それ?」
キョトンとシエンナはスフェーンを見下ろした。父も母も、そんなことは言ってなかったわよと、シエンナが困惑していると、彼は苦笑いを浮かべた。
「毎日、郵便配達員が馬車から木箱いっぱいの釣書を運んでるの、見たこと無いの?」
「えぇ〜?!見たことないわ!」
驚いて叫ぶシエンナに、スフェーンはアハハと笑う。
「きっと、ご両親がきみに気を遣ってるんだろうね。あんなことがあったから、しばらく婚約はしたくないだろうって」
スフェーンの言葉に、シエンナは成る程なあと腑に落ちる。ディランと婚約していた間、彼との間で楽しいことなんて殆ど無かった。
「でも、スフェーンとなら今すぐにでも婚約したいわ」
シエンナはさらりと心に思ったことを口にする。スフェーンは目を大きく見開いて固まると、勢いよく立ち上がり、彼女の手をミトンごと握った。
「え?!ちょっと、スフェーン?」
「今すぐ、ラッセル伯爵にご挨拶に伺おう」
スフェーンは勝手知ったるなんとやら。ずんずんとラッセル伯爵邸内を歩いていく。引きずられるように、シエンナは彼に手を引かれ執務室前に着いた。
近くにいた執事に「ラッセル伯爵と面会をしたい」とスフェーンが言付けをお願いすると、執事は朗らかに頷いて、執務室に入っていく。執事は直ぐに部屋から出てくると、ドアを開いて、二人に中へ入るように促した。スフェーンはシエンナを連れて、入室する。
「ラッセル伯爵、シエンナと結婚させて下さい!」
開口一番、そう叫んだスフェーンに、シエンナも座っていたラッセル伯爵も驚きのあまり固まった。
「ははは!いいよ、スフェーン君。シエンナが結婚しても良いと言うなら、私は反対しないよ」
ラッセル伯爵の言葉に、スフェーンは婚約ではなく結婚と言ってしまったことに気付き、顔を赤くする。隣のシエンナは彼よりも赤くなっていた。ラッセル伯爵はくつくつと笑いながら椅子から立ち上がると、二人に近づく。
「おめでとう、シエンナ」
「ありがとう、お父様」
ラッセル伯爵からの祝福の言葉に、シエンナは花がほころぶように笑った。
「スフェーン君。この秋から宮廷に勤めるんだろう?」
残念そうなラッセル伯爵に、スフェーンは笑顔で答えた。
「大丈夫です。毎日、飛んで帰ります」
「は?」
スフェーンの返答に、ラッセル伯爵は気の抜けた声を出す。シエンナも訳が分からないと首を傾げていた。
「実は、シエンナが王都に行ってしまった後、毎日、毎日、風の魔法で空を飛べないか練習したんです」
親子は顔を見合わせ、そしてスフェーンを見る。
「それで、今は自由に空を飛べるようになりました」
スフェーン少年が、王都のシエンナに会いたい一心で、毎日毎日、必死に魔力をコントロールして空を飛ぶ練習をしていたことに、ラッセル伯爵はぶわりと涙を流した。
「何たる純粋な恋心!スフェーン君、そこまでシエンナのことを……」
「はい、愛しています!」
二人のやり取りに、恥ずかしさと嬉しさで、シエンナは顔を熟れたトマトのように真っ赤に染める。誰か二人を止めてと彼女は助けを求めるが、生憎、室内には助けてくれそうな人物は居なかった。
その後、どれだけシエンナが可愛く、素晴らしいかを二人で語り合うのを、彼女は泣きそうになりながら、一時間近く聞かされる羽目になった。
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