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2.シエンナのこれまでの人生

 シエンナが五歳の頃、スフェーンが彼の兄レナルドと一緒に、初めてラッセル伯爵邸に遊びに来た。さらさらと流れる濡羽色の髪に、グリーンの目は、光が当たると万華鏡のように多彩な色を輝かせる。素敵な風の魔法使いの男の子。それがスフェーンだった。


 シエンナは、そんな彼を見て雷が落ちたような衝撃を受ける。この世には、こんなに美しい人がいるのかと。もじもじと兄の後ろから挨拶をするスフェーンに、ドキドキしながらシエンナは自己紹介をすると「同い年なんだね」と、彼は笑いかけた。その笑顔は、天使も平伏すような美しさで、シエンナはこんな素敵な男の子とお友達になれるなんて、自分の人生の運を全て使い果たしたんじゃないのかと、幼いながら不安に思った。


 次にスフェーンたちが遊びに来たとき、シエンナは一緒に庭を散策したり、屋敷の中を案内して楽しく過ごした。お茶の時間に用意された焼き菓子を、シエンナがそれを作ったメイドに嫉妬する程、スフェーンは何度も「美味しい」と言いながら殆ど一人で食べた。


 悔しい思いをしたシエンナは、焼き菓子を作ったメイドに「私にもお菓子作りを教えて!」と突撃する。困惑するメイドに、両親が「教えてやってくれ」と苦笑いしながら命じて、シエンナのお菓子作りが始まった。


 火の魔法使いであるからなのか、シエンナは焼き菓子以外は上手く作れないことが判明したが、彼女は落ち込まなかった。

 シエンナは自分の作った焼き菓子を携えて、両親と一緒にウッド伯爵邸を訪れた。「私が作ったものですが」と、シエンナが可愛くラッピングされた焼き菓子を、おずおずとスフェーンに渡すと、彼は目を輝かせてそれを受け取った。


「シエンナちゃん、凄いね!とっても美味しそう!僕、焼き菓子が大好きなんだ」


 屈託のない笑顔でそう言われ、シエンナの焼き菓子作りは加速していく。両親も使用人も、初恋に必死なシエンナを温かく見守り、彼女の作った焼き菓子の感想を率直に伝えた。

 毎回渡される焼き菓子を嫌がる様子は全く見せず、前回の渡された焼き菓子の感想を伝えて、スフェーンは笑顔で受け取っていた。彼の感想を聞きながら、シエンナは次は何を焼こうかしらと、胸をときめかせていた。


 このまま、シエンナとスフェーンは婚約するのだろうと誰しもが考えていたが、想定外の事態が起こった。

 シエンナが八歳になった頃、父であるラッセル伯爵が青い顔をして王都から帰ってきた。


「シエンナが、ディラン殿下の婚約者に決まった」


 それは青天の霹靂だった。シエンナは目の前が真っ暗になり、床が無くなって落ちていく感覚を覚える。


 初めての絶望。


 真っ白な顔をしたシエンナを、慌ててラッセル夫人は抱きしめ、夫に訊ねた。


「あなた、どうにかならないの?!シエンナは、シエンナは……!」


 スフェーンのことが好きなのに。


 来月には、正式に婚約証明書を交わそうと、両家の両親で話し合い決まっていた。もっと早く、婚約を結ぶべきだったとラッセル伯爵は片手で顔を覆った。


「本当にすまない。王命だ。シエンナの火をコントロールする力が欲しいと」


「あぁ、なんてこと」


 好きな男の子のために焼き菓子作りを頑張り、手に入れた魔力をコントロールする力を王家は欲した。


 理由は、王宮内にある聖火堂の火を絶やさぬ為。


 ローレンス国の初代国王が神から授かった火が、現在でも聖火堂の中で燃え続けている。


 その火を毎日、魔法を使い、白い火で薪に火を点け、絶やさぬように灯すことが王族の役割とされていた。王族はその婚約者も含まれる。


 現国王は水の魔法使いだが、伴侶である現王妃は光の魔法使いで、毎日聖火堂を訪れ、祈りを捧げた薪に光熱作用を利用して火を灯して焚べている。


 第一王子リロイの婚約者であるクロエ・ロバーツ公爵令嬢も、現王妃と同じ光の魔法使いだが、コントロールがまだ上手くいかず、火を灯すことができないそうだ。現王妃だけがその役割を担うのは大変なため、代役が早急に必要だった。


「だからって……シエンナはまだ八歳ですよ?!」


「ご懐妊されたんだ……」


「え?」


「王妃陛下は、ご懐妊された」


 妊娠初期の王妃に無理をさせ、もしものことがあれば取り返しがつかない。協議の末、第二王子ディランの婚約者にその役割を担ってもらうことに決まった。ディランと同じ年頃で、魔力コントロールの上手な令嬢はシエンナ以外にもいた。しかし、光の魔法使いは居らず、火の魔法使いもシエンナ以外に魔力コントロールが上手い令嬢は居なかった。


「シエンナ、すまない。本当にすまない」


 ラッセル伯爵の声を遠くに聞きながら、シエンナは呆然と天井を見つめていた。


 次の日から、シエンナは王宮に住み、王妃に付き添われ、代役として聖火堂に火を焚べ始めた。白い炎を放ち、薪に火を点けて焚べる。異変は起こらず、王妃はホッとした顔でしゃがんでシエンナの顔を覗き込んだ。


「シエンナさん、ありがとう」


「いいえ。陛下のお役に立てて光栄です。元気な赤ちゃんを産んでください」


 泣き腫らした目をしたシエンナは、弱々しく笑う。事情を知っている王妃は、痛ましい顔をして優しく彼女を抱きしめた。


「シエンナさん。必ず、元気な赤ちゃんを生んでみせるわ。そして、あなたが愛する人と結ばれるように最善を尽くします」


 真っ直ぐにシエンナを見つめて王妃は言った。シエンナは何故か本当にそうなるような確信を感じて、コクリと頷く。王妃は立ち上がると、シエンナの手を引いて聖火堂の扉に向かった。シエンナは振り返り、燃え盛る炎に願った。


 スフェーンと結婚させて下さい。


 少女の純粋な願いに応えるよう、炎は大きく燃えた。

 


 その後二年間、シエンナは一人で聖火堂の火を焚べ続けた。その間、王妃は王女を無事に出産し、第一王子の婚約者である光の魔法の使いの令嬢も魔力コントロールが上手く行えるようになったが、ディランとの仲は深まらなかった。


 母である側妃に似て、美しく華やかなものがディランは好きだった。不美人ではないが、美人でもないシエンナを、側妃とディランはお気に召さなかった。

 ディランは、シエンナとの交流の場である茶会を何度も断り、月に一回出席するだけだった。その時間も一時間に満たない。彼女の誕生日には、側近に適当なものを送れと指示を出していた。シエンナからの贈り物は、センスは悪くなかったので一応受け取り、事務的な内容をメッセージカードに書いて返事を出した。

 側妃は無事に出産を終えた王妃を「あなたのせいで我が子の婚約者があんな子に決まってしまった。責任を取れ」と詰り、婚約破棄の保証人の署名するように申請書を渡した。署名が済むと、それを嬉しそうに受け取って去っていく側妃の後ろ姿を、穏やかな笑みで王妃は見送る。できれば、ディランの有責で破棄されて欲しいと、暗い思いを腹に抱え、愛しい我が子の元に向かった。


 初めてクロエに会ったシエンナは、キラキラと輝く白に近い金の髪に、薄水色の瞳を持つ女神のような彼女の美しさにひれ伏しそうになっていた。彼女は申し訳なさそうに声を発する。


「シエンナ様、ごめんなさい。私が魔力コントロールが下手なばかりに、ご迷惑をかけて」


 慌ててシエンナは首を振った。


「いえ!滅相もない!私はただスフェーンのために毎日お菓子を焼いていたら、魔力コントロールが上手くなっただけで……」


 慌てふためくシエンナの言葉に、クロエは小首を傾げる。


「スフェーン?」


「あ、その……幼馴染で、初恋の人です」


 シエンナの返答に、クロエの目の色が変わった。


「そのお話、詳しくお聞かせ願えます?私、恋のお話が大好きなの」


 有無を言わせぬ美人の圧力に、シエンナは即陥落し、これまでの経緯を洗いざらい話した。クロエは真剣にシエンナの話に耳を傾け、ハンカチで涙を拭う。


「なんて悲恋。こんなのあんまりです」


 キッとクロエの顔が厳しくなる。美人は怒ったら迫力があるわと、少し怖がりながらシエンナは紅茶を一口飲んだ。


「私、早く魔力コントロールが上手くなるように、一層精進して参りますわ!そして、リロイ様と協力して、シエンナ様とスフェーン様が結ばれるように尽力します!」


 とんでもない発言に、シエンナは紅茶を吹き出しそうになるのを何とか堪えた。クロエは大船に乗ったつもりで任せてと言わんばかりに、にっこりと微笑む。シエンナは「ありがとうございます」と、少し困った笑顔で礼を述べた。


 王都にある王立ルピナス魔法学園の入学式。

 ディランにエスコートをすっぽかされたシエンナは、ラッセル伯爵家の馬車で登園した。憂鬱な気持ちで馬車を降りようとすると、濡羽色の髪の男子生徒が手を差し出していた。困惑するシエンナを、男子生徒は笑う。


「なんだよ、シエンナ。幼馴染みの僕を放っておいて先に行くなよ!王都は知らないとこだらけなんだから!」


「スフェーン、なの?」


 スフェーンとのたわいない手紙のやり取りは、シエンナが王宮に居を移してからも続いていた。

 久し振りに会った彼は、自分のほうが背が高かったのに、いつの間にか抜かれてしまっていた。それに、声変わりしてる。でも、スフェーンだわと、万華鏡のように多彩な光を放つ緑の瞳を、シエンナは泣きそうになりながら見つめた。

 幼馴染みとして、心配して馬車までエスコートをするために来てくれた彼に、シエンナの胸はいっぱいになった。薄っすらと浮かんだ涙を指先で拭い、彼女はスフェーンの手を取った。


「ごめんね、スフェーン。ありがとう」


「どういたしまして。お礼は焼き菓子ね」


 アハハと笑う姿は、自分の知っているスフェーンだと、シエンナは嬉しくなる。スフェーンが近くにいる。幼馴染みとしてでも、それは彼女にとって幸福な出来事だった。


 それから三年の学園生活の間、二人は兄妹みたいだと言われるような、仲の良い幼馴染みとして生徒たちに認識されていた。

 成績優秀、眉目秀麗、品行方正なスフェーンは女子生徒の憧れの存在となった。何度も、シエンナはスフェーンと二人きりになりたいという女子生徒たちの『お願い』を叶えた。その度、シエンナの心は悲鳴を上げたが、彼は誰とも付き合わないでいた。

 理由は公にしなかったが、文官になるための勉学に励むためと、まことしやかに囁かれていた。実際、スフェーンはどう知り合ったのか、リロイ王子と親しくしていたので、周りはそう考えたのだろう。


 そして、シエンナがディランから冷遇されていることも、学園内では知られていく。

 初めは、シエンナが悪いのだろうと考えられていたが、ディランの人となりが分かるにつれ、それは間違いだと広まっていった。

 更に、ディランは侯爵位以上の令嬢たちに接近したり、逆に王家と繋がりたい令嬢たちが接近したりと、異性関係にだらしがなく、危機管理能力が低いと評され、彼の周りはそういった女子生徒か、太鼓持ちの男子生徒ばかりだった。

 

 シエンナは都度都度、両親と王妃にディランの言動を相談していた。本来なら、母である側妃に相談すべきだが「ディランがそんな事するはず無いでしょう」と一蹴して取り合ってもらえず、彼女は諦めて相談先を変更した。

 両親と王妃は国王に、シエンナから聞いたディランの学園での言動を報告していた。国王は学園内でのディランの素行を調査させ、その結果に頭を抱えた。両親は国王へ、ディランとの婚約解消を訴えた。王妃は本当に申し訳ないと、シエンナに謝罪したが、彼女は苦笑いを浮かべるばかりだった。

 シエンナはお詫びとして、王宮内に自分専用の小さなキッチンを作ってもらった。ほぼ毎日、そこで焼き菓子を作って学園に持参し、スフェーンや友人たちに振る舞った。皆、美味しいと喜んで食べる姿を見ることが、シエンナの楽しみになる。

 一応、ディランにもシエンナは焼き菓子を勧めたが「貴族の令嬢が料理などみっともない。こんな貧乏臭い菓子などいらん」と、酷い断られ方をして以来、王妃に相談し、渡すことも勧めることも止めた。


 そんなある日。

 シエンナへディランの婚約者を辞退しろと脅迫状が届く。シエンナはスフェーンや友人に相談した上で、両親と王妃に伝えた。両親は怒り狂い、国王に猛抗議をし、王妃もシエンナの身を心配して学園内の調査を行った。結果、犯人はベネット侯爵家のロゼッタと判明した。シエンナにどうしたいか、国王と王妃が訊ねた。


「脅迫状を私に送るほど、ロゼッタ様はディラン殿下をお慕いしていらっしゃるのですから、この婚約は解消させる方向でお願いします」


 ベネット侯爵家では、嫡子であった先妻との娘のメイジーが修道院に入った為に、跡継ぎは後妻との娘で異母妹のロゼッタになる。ディランを婿入させる爵位も申し分ない。やっと解放されるとシエンナはホッと胸を撫で下ろした。


 その後も、シエンナは一応、ディランの婚約者として最低限のマナーを守った。万が一、婚約破棄となれば、こちらに非が無いことを証明しなければならないと考えたからだ。

 ディランはその対応を、シエンナは自分に惚れていて必死に気を引こうとしていると盛大に勘違いしてた。ディランに媚従う生徒たち以外は、彼の話を信じる者は居ない。勘違い王子、色ボケ王子と影で噂され、三年間でその人望はほぼ失われていた。


 そして、卒業パーティーで婚約破棄騒動が起こった。


お読みいただき、ありがとうございます。

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[一言] 本来の嫡子を追い出して血の繋がりがない?後妻の子を後継者に変更させてアホ王子と結婚させるのは王家による侯爵家乗っ取りと見られてもおかしくないですし、こんなことやらかす王家も大概無能なような^…
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